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三度目のガマルート。惨敗。

「今回もダメだった・・・」するすると上から垂らしてもらったお助けロープを掴みながら、悔しさと情けなさと安堵がない交ぜになった気持ちでわたしは岩壁に張り付いていた。地上から約5メートル、足を乗せているのは数センチほどの岩のでっぱりの上。目の前にはザラザラとして白っぽい、花崗岩特有の岩肌がある。マルチピッチクライミング(*1)の入門編として小川山で愛されている名ルート、「ガマルート」を登りはじめたところだった。

少しずつロープを伸ばしながらなんとかここまできたけど、この先どこにも手がかりや足がかりになりそうな凹凸がない。否、「『ない』のではなく、『見えていない』だけだ」と師匠は言うだろう。だけど、ギリギリまで遠くへ伸ばした手を焦ってやみくもに動かしてみても、指先すらかかりそうな場所はない。岩壁の中盤に張り付いたまま動けなくなっている姿を、ロープがつながっている相方は下からすこし心配そうな顔で見上げている。

(*1)マルチピッチクライミング...ロープの長さ以上のルートを、複数のピッチに分けて登攀すること。

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わたしがガマルートを登るのはこれで三度目だった。一度目は昨年の5月。基本のロープの結び方すらままならないとき、師匠と相方に連れて行ってもらった。生まれて初めての屋外でのクライミングは、登ったというよりも師匠に引き上げてもらったと言った方が正確で、途中見晴らしの良い岩の上で近所の美味しいパン屋さんのぶどうパンを食べたことだけが、やたら鮮明に記憶に残っている。5月にしては暑いほどの快晴だったけど、ある程度標高の高い岩の上には、さらさらとした気持ちの良い風が吹いていた。「そういえば子どものころ、木登りやジャングルジムが好きだったな」「大人になっても同じように、むしろスケールが大きくなった分、子どものとき以上に真剣になってしまう遊びがあるんだな」今まで登ってきたルートを見下ろしながら、そんなことを考えていた。
この日をきっかけに、気がつくと家の中にはクライミングのギアが増え、貯金の残高は減っ...(以下略)。高いところを見ると、上へ上へと登っていきたくなるのは人間の本能なのだ。仕方ない。

二度目はそれから数ヶ月後。クライミングとロープワークの練習をはじめてしばらく経ち、講習仲間と二人でガマルートに挑戦した。連れて行ってもらうのではなく自分たちで行く初めてのマルチピッチだった。楽しむ余裕などほとんどなかった。岩壁に張り付いたまま何度も絶望的な気持ちになった。平静を装っているつもりでも身体は正直だ。ビビって次の一歩がなかなか踏み出せず、自分の意思とは無関係に足がカタカタとミシンを踏みはじめる。じっとりと手汗が出てくる。「いまここで落ちたら・・・」その想像で余計に身体がこわばる。この時の記憶は強烈に「外岩怖い」「ガマルート怖い」という意識をわたしの身体に植えつけた。

だから今回のガマルートはわたしにとって、この一年どれだけ成長できたか、あれほど苦戦したガマルートをどのくらいするすると登れるようになったか、リベンジだったのだ。結果は冒頭の通り。惨敗。先行する師匠ペアに泣きつき、「師匠、ロープ垂らして・・・」。

***

クライミングをほんとに始めたばかりだった一年前、わたしは怖いもの知らずだった。今ならわかる。それは決してメンタルが強かったわけではなく、何が危険なのかどういうリスクがそこにはあるのか、ただ想像できていなかっただけだった。その後岩場での経験が少しずつ増えてくると、(技術的には1年前とあまり変わってないのに)怖さだけがあれやこれやとリアルにイメージできるようになってしまい、わたしのメンタルはもうふにゃふにゃである。「信じて乗り込め!」「お尻が引けてるぞ!」上から師匠の叱咤激励が飛んでくるけど、そりゃできることならそうしたいけど、身体も気持ちも全然ついてこないのです。

泣きの入った1ピッチ目以降は、各ピッチごとに相方とリードとフォローを交代しながら、てっぺんまで上がっていくことができた。

あぁ、大きな宿題を残してしまったなぁ。

去年も泣き、今年も泣かされたガマルートの1ピッチ目。来年は、来年こそは、ニカっと笑えますように。



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