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加藤さん

家の近くの喫茶店に、だいたい月に一度、
包丁を研ぎに来てくれるおじいちゃんがいる。

名前は加藤さん。

数ヶ月前にとなり町の鍛冶屋さんで包丁を新調したわたしたち夫婦は、長く大事に使いたくて、加藤さんに包丁研ぎをお願いすることにした。

先月は夫が、今月はわたしが加藤さんのところに包丁を持っていった。

包丁を預け近所で用事を済ませて戻ると、我が家の包丁はすでにツヤツヤと鈍色に光っていた。

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昔から職人さんに憧れがある。憧れだけで終わってしまったけど、その道を極めてきた人の仕事を、こんなに近くで見ることができるなんて滅多にない機会。少しのあいだ、包丁を研ぐ姿を見ていたくて、加藤さんが砥石や包丁を並べているテーブルにいちばん近い席に座った。

水出しアイスコーヒーを飲みながら、テンポよく動く加藤さんの手元に見入っていたら、「帰ったら、ぬるま湯で洗ってから使ってね」と声をかけてくれた。

邪魔をしてしまいそうだから、話しかけるのをためらっていたけれど、思いきってわたしからも質問をさせてもらう。

そこから加藤さんはたくさんの話をしてくれた。

包丁の素材やそれに合った砥石のこと。研げている状態の見極め方。赤錆と黒錆のちがい。包丁の重心について。道具の手入れについて。

「道具はなんでも、使ったあとの手入れが大事なの。手入れをすれば長く使い続けられる」

「料理だって、毎日するから、同じ食材を使って今日はこんなのを作ってみようって、だんだんできるようになってくる。自分ばっかりって思わないで、いい機会をもらったなって考えることもできるんだよ」

自分の手を動かして毎日毎日するからできるようになること。どんな状況も考え方次第でラッキーだと思えることがあること。

包丁や砥石ことから、話はしだいに仕事との向き合い方や物事の考え方にまで広がっていた。

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何十年と積み上げてきた加藤さんだから見ることのできる世界の片鱗を、加藤さんは気前よく見せてくれた。何度も頷きながら、忘れたくない言葉をひとつひとつ心のなかで反芻する。

加藤さんは話しながらも、刃に触れ、砥石に触れ、洗面器からすくった水をかけながら迷いのない手で次々と包丁を研いでいく。

大切な時間を分けてもらった夏の日の午後。

ありがとうございます。
また来月伺います。

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