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山便り (20)

命 名

 その辺に転がっている極ありふれた石に、名前を付ける必要性はないのだが、特別の親しみを感じると、名前を付けたくなる。
 私は山に到着して最初にすることは、車を降りる時、コーヒーポットとたばこ、ライターを持って一番お気に入りの場所に置いてある丸テーブルの前に座り、煙草に火をつけ、コーヒーを注ぐ。それからゆっくり、周りの様子を観察し始める。池に引き込んでいる水は止まっていないか、今日の沢の水量、咲いている花、ガマガエルの居場所等を確認する。そして下の写真のような目の前の景色に戻る。

 そもそもこの山を買おうと決心した理由は、この場所が気に入ったからだ。以来8年、山に来た日は何度となくこの景色を眺めているが、飽きるということはない。毎日、この滝の水量は変わる。それに伴い水音が変わる。周りの植物も成長し、また枯れていく。
 僕はこの滝を「双流の滝」と名づけている。滝を分けている真ん中の石を「サドル石」、右側の大岩を「ガマ口岩」と言っているが、自分ひとりだけが呼ぶ名だから、人様に文句を言われることはない。
 ところが、この沢が「日向川」と名づけられているのには文句がある。この山の地名が「大日陰」なのになぜ「日向川」なのか合点がいかない。名前をつけるなら、誰もがなるほどと思える名前をつけてもらいたいものだ。
 命名であせったことがある。長女が誕生し、自分の「洋」と妻の「礒」から、太平洋の磯から生まれた美しい砂「美砂」と命名し、我ながら良い名前をつけたと満足していた。それから間もなく、飲み会の帰りのタクシーで酔った勢いもあり運転手に、長女が生まれ「美砂」と名づけたと話したら、その運転手いわく「スケバン張りそうな名前だな」と言われ、ギャフンとしたことがあった。
 ネーミングで親しみやすさ、イメージも変わってくる。名前を公募し、宣伝に使う。社会にも経済にも関わりなく、ひっそりとネーミングを楽しむのもまた良いものである。

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