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番外編~イタリア旅行~

イタリア旅行記

 6月の台湾旅行のあと、夏、浜名湖に魚釣りに行った折、K氏から「今度海外旅行に行くならどこに行ってみたいか」と聞かれ、「イタリアかな」と答えた。ローマを中心に中世代の世界経済、文化の中心であり、その名残を感じさせてくれそうだと思ったからである。九月に入ってすぐ、K氏から9月1日の静岡新聞の広告欄に「富士山静岡空港発着 7つの世界遺産を巡るイタリア8日間」が載っているというメールが入り、すぐに飛びついて申し込んだ。静岡銀行で四日前、700ユーロ(500€キャッシュパック(50€×9、10×4、5×2)、200€(50€×3、10×3、5×4)のセット)を95,753円で換金する(レート136.79)。

11月6日(火)
出発 19:25発チャインエアライン0169便に搭乗するため阪急交通社から17:25に富士山静岡空港1階団体カウンターに集合するよう指示された。静岡空港の駐車料金はただなので車で行くことにした。一時間前に出れば十分だと思ったが、K氏宅を15:00に寄ることにし、余裕をもって出掛けた。浜松ICから東名高速に乗り、牧之原で降りると案の定一時間も掛からず静岡空港に着いた。ロビーには同じツアーバッチをつけた人がちらほら見受けられた。家では朝起きてから落ち着かない時間を過ごしたが、空港まで来ると待ち時間は気にならない。空港二階の展望台から飛行機の発着を眺めたり、夕食を済ませたりして時間を潰した。静岡空港の外は雨上がりの虹がかかり、すばらしい旅になることを予感させてくれる。集合時間になったのでカウンターに行くと既に今回のツアー参加者が集まっていた。このツアーの参加者は29名だという。搭乗券と海外旅行保険契約証を受け取り搭乗手続きを済ませる。

到着 富士山静岡空港からの国際便にイタリア直行便はない。今回のツアーは一度台湾に行き、台湾からイタリアに向かう。19:45離陸、22:56台湾到着。0:46台湾を出発する。日本、シベリアの上空を飛び続け、15:10イタリアに到着する。イタリアでは7日の朝7:10(イタリア時差-8時間)になる。14時間余りの飛行時間の後半は苦痛だった。映画を二本見た。 上空から左に夜明けの湖を見たが、後から考えるとアドリア海だったのだと思う。ローマ空港に降りると現地ガイドが待っていて、待機していたバスに案内された。いよいよイタリア観光の始まりだ。

11月7日(水)
 バスは最初にヴァチカン市国サン・ピエトロ大聖堂に向かう。カトリック教の総本山で、春の復活祭には世界から10万人の信者が集まると言う。聖堂の中を見たかったのだが、この日は法王が信者に説法する日で、広場には多数の信者が集まっていた。遠くから法王の姿を写真に収める事ができた。
 ヴァチカンから次のスペイン広場に向かう車窓から円形のサンタンジェロ城が見えた。二世紀にハドリアヌス帝が自分とその後のローマ皇帝の霊廟として造らせたが、6世紀以降は要塞、法王の住居、牢獄へと変貌し、現在は武器博物館となっているそうである。
スペイン広場
 17世紀にスペイン大使館があったことからこの名がついた。137段のスペイン階段はトリニタ・ディ・モンティ教会の参道になっている。ベンチがないので階段に座って休む人が多い。
トレヴィの泉
 バロック芸術の最高傑作で、ローマ最大の噴水である。「泉に背を向けてコインを一枚投げるとローマ再訪がかなう」という言い伝えを信じているのか、いないのかコインを投げる人、それを写真に撮る人でごった返しである。ご他聞にもれず、私たちも人の合間を縫って二枚のコインを投げた。二枚だと何のご利益があるのか。

コロッセオ
 古代ローマを象徴する高さ48.5 mの四階建て円形競技場を車窓から眺めた。5万人を収容する観客席があり、6世紀前半まで使われていたと言う。猛獣と戦う捕虜や奴隷から選ばれた剣闘士の怨念が宿っていそうだ。

 この日の昼食はピッツァだった。美味しかったが、縁が硬い。この後、シロップに漬かったフルーツが出たが、K氏のフルーツの中にガラス片が入っていてビックリ。添乗員をとおして、そのことを店側伝えると、平謝りで、お詫びにドリンクをサービスすると言ってきたが、K氏は断った。
 この後はバスで356 km離れたピサへ移動する。5時間余りの長距離移動だ。今晩の宿はピサの レプッブリカマリナーラ ホテルホテルの部屋の電話は回線が切れていて使えない。もちろん歯磨き粉、ブラシ、くし、スリッパなし。風呂なし。

11月8日(木)
 ホテルを9時出発。ピサの斜塔、洗礼堂、ドゥオモを見学する。1173年から鐘楼として建設に着手するも途中で地盤沈下し傾き四階ぐらいで一時中断したが1350年完成する。屋上の中心は4.5m横にずれている。16世紀末ピサ大学で数学教授をしていたガリレオ・ガリレイが「落体の法則」の実験をしたことでも有名。

 洗礼堂の丸い屋根の上には、小さな穴が開いていて、雨水が貯まるようになっており、その水を洗礼に使うのだそうだ。
 トイレ使用料80セント。
 日本語のガイドが就かず、英語なので添乗員が聞いて説明するので、時間が掛かる。

 この後、1時間半かけてフィレンツェに向かい、そこで昼食を取る。フィレンツェ風ステーキ(骨付き)は美味しかった。

 フィレンツェで最初に向かったのはウッフィッツィ美術館だ。ここにはメディチ家が収集した3万点の絵画か所蔵されている。ルネッサンスの花形画家ボッティチェリ作「ヴィーナスの誕生」は異教徒文化として排除された女性裸体像が復活していく先駆的名画だ。この他ボッティチェリの「春」、レオナルド・ダ・ビンチの「受胎告知」、ミケランジェロの「トンド・ドーニ」、カラヴァッジョの「メドゥーサの首」など名画がずらりと並ぶ。ここでの現地ガイドは知識豊富な日本人で、要点を押さえ効率よく案内してくれた。

 次に向かったのはドゥオーモ(正式にはサンタマリア・デル・フィオーレ大聖堂)だった。この聖堂はローマのサン・ピエトロ大聖堂、ロンドンのセント・ポール大聖堂に次ぐ世界で3番目の大きさを誇る。その巨大さ故、1296年着工し、難航した円蓋(クーポラ)はミケランジェロが1471年に完成させたと言う。白、ピンク、グリーンの大理石で作られた幾何学模様の外壁は、一層威厳さを放つ。

 この後フィレンツェの街を一望できる小高い丘にあるミケランジェロ広場に行く。広場の中心にミケランジェロの複製の「ダヴィデ像」が立っている。

 この後、ベネチアへ253 km、渋滞で4時間以上かかって移動する。ホテルに着いたのは夜の9時35分。それからホテル内レストランで夕食。水は有料で2フラン、ワイン、ビールなら5フラン。
宿泊ホテル:アントニー・メストレ

11月9日(金)
 ホテルを出発しベネチア本島へ船で渡る。岸は海水面から30 cmぐらいしかない。潮位が上がればすぐ水浸しになるだろうと心配しながら岸辺の建物群を眺める。大型客船も停泊している。ベネチア本島に上陸してすぐ、オプションで申し込んであった「ゴンドラ遊覧」をする。水の都ベニスを満喫する。運河沿いの建物下の部分は、水面下である。
 現地ガイドはイタリア人だが日本語がペラペラで愉快な人だ。

 サンマルコ広場の正面に見えるサンマルコ大聖堂は828年聖マルコの遺骸を安置する場所として礼拝堂が建てられたが976年焼失再建。更にベネチア共和国の威信を示すため1063年から400年掛けて今の大聖堂に建て替えたギリシャ正教の聖堂。ナポレオンは「屋根のない宮殿」(クーポラ)と絶賛したという。聖堂内見学のため入場待ちの列を作っているころには広場は潮位が上がって水浸し状態になり、鉄パイプで組んだ足場の上で行列待ちした。ガイドは長靴を準備していたが使わずに済んだ。入場セキュリティでリュックは禁止。内部でのカメラ撮影禁止。

 広場の右にはドゥカーレ宮殿が立つ。ここは814年ベネチア共和国総督の城をもとに建設。その後改築を繰り返し15世紀前半に完成。トイレ使用料1.5€。ベネチアのカーニバル謝肉祭で使うマスケラ(仮面)を買う。石膏製15€、刺繍製30€。ベネチアングラスの首飾り50€。この後、シエナまで321km、4時間かけ移動。ホテル到着19:40 20:30夕食、シエナ泊。
宿泊ホテル;アテナ ホテル

11月10日(土)
 ホテルからシエナカンポ広場へ行く。13~14世紀から変わらぬ様相を留める。1559年にメディチ家を君主とするトスカーナ大公国に併合され城塞が築かれた。ここカンポ広場では毎年二回13世紀から続く裸馬競馬「パリオ」が開催される。街の一角にしゃれたモザイク模様のドゥオーモがある。

 ホテルも古い様式の建物だが中は改装され近代的設備が整い、快適な空間であった。ホテルを出て左百メートル先突き当たりは墓地。丘陵地のため、建物を抜けると眺めが広がり、ドゥオーモの遠景が見渡せた。

 この後、アッシジまで127 km、2時間で移動し、昼食をレストランでとる。このレストランに行くのに、バスは狭い城門を通るのだが、バスとの間隔は10 cmあるかという際どさだ。
 運転手の技量を見た。レストランではグラスワイン4€でこれまでで最安値。レストラン入口横にビワの木が植わっていた。昼食後オリーブ畑を見ながらサンフランチェスコ聖堂に向かう。人々にキリストの再来と言われた清貧の聖者、聖フランチェスコを祀ったもので、堂中にジェット作「小鳥に説教する聖フランチェスコ」の他、聖者の生涯を順次示す大きな絵画が何枚も高い壁面に展示されていた。ここもカメラ撮影禁止であった。
 ここを見てローマまで177 km、2時間45分移動。夕食を街中の木々の豊かなしゃれたレストランで取る。ツアー参加者全員での最後の夕食となる。三団体一緒になったが、その前で男女各一名の歌手とギターでカンツォーネが披露された。男性歌手の声は張りと伸びがあり、高音も美しく出て、良かった。歌い終えると、CDを売り始めた。一枚20€で買う人はいなかった。夕食後ホテルへ。ローマでの宿泊ホテル;シェラトン パルコ デ メディチ。ここで連泊となる。明日はオプションで最後の観光となるポンペイだ。

11月11日(日)
ホテルを9時出発しポンペイに向かう。イタリア南部らしく、山々にも木々が生え日本でよく見る風景が広がる。車窓からベスビオ山が見えてくる。79年8月この山が噴火し、ローマへの物資輸送の中継点として栄えていたポンペイの街は一夜にして埋没する。
1748年再発見されて以来、発掘が続けられている。現在三分の二ぐらい終わっているという。

 紀元前6世紀には都市国家のレベルに発達しており紀元前1世紀にローマ帝国の支配下で更に繁栄していた。その当時の面影、犠牲者の姿もそのまま残っているとは驚きである。
 裕福な商人の家、二重壁になった浴場、円形劇場、水道、美術品、神殿、馬車の轍で凹んだ道路の石、パンの焼き窯など2000年前の生活がそのまま偲ばれるのは不思議な感覚である。

 紀元前6世紀ごろと思われるアポロ神殿の二つのブロンズ像「矢を射るアポロ」と「ディアナ」のレプリカも置いてあった。それを見た時、そのころの日本の土偶を思い浮かべた。土偶から古墳時代の埴輪を思い浮かべ、写実的に優れた文化と感性的に豊かな埴輪が
 対比させられた。ポンペイからの帰りにナポリに寄った。世界三大美港だと言われるのも納得できた。緩やかな傾斜地に立ち並ぶ建物、遠くかすむ峰の眺望はやはり美しい。
 ホテルに戻り、夜はオプションの「カンツォーネディナーショー」に行く。昨日の夕食と設定は大差がない。部屋の真ん中を開けてテーブルがセットされ、真ん中で、クラリネットを奏し歌う人、ギターを持って歌う人の男姓二人組みが歌と演奏を披露した。皆、ステージショウだと思っていたので、がっかりした感じだ。肉は硬かった。

11月12日(月)
 翌朝はホテルを7:00出発で空港へ向かう。12時間の飛行を考えると気が萎える。が、搭乗すると席がビジネスクラスとの境の最前列で足が存分伸ばせる。ラッキーな展開であまり疲れもせず、飛行機はインド洋周りで5:35台湾に着いた。飛行場で50ユーロを台湾通貨に換金する(レート33.96、1,698-手数料30で1,668元)。飛行場からホテルに着いたのが6:45。これから12:10まで休息であるが、私たちは世界で二番目に高い「TAIPEI 101」へ行くことにした。

 ホテルのカウンターで行き順を聞き、地図を片手にホテルからタクシーに乗り「桃園」駅に行き(130元)、そこから30分鉄道に乗り「台北」に行き(84元)地下鉄に乗り換え「101」駅で降りる(64元)と駅前にあった。入場料一人600元を払う。今日は比較的空いていて、スムーズにエレベーターに乗ることができた。88階まで34秒。台北の四方が見渡せた。階段で91階まで上り屋外展望台に出たが、柵が障害となり、イマイチだった。来た時と同じルートでホテルに戻る。途中、桃園駅内のコンビニで昼食のサンドイッチ買い集合時間内に戻ることができた。オプションで台北市内観光していた仲間と合流し、桃園空港に向かう。14:50発の飛行機は2時間40分で静岡空港に着陸。空港内の駐車場に停めてあったプリウスを見てホッとする。家路に向かう間、銃を持った軍人を見ることもないし、バックを盗まれないよう用心する気遣いも必要ない日本の安全をつくづく感じた。


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