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墓に生きる花

お盆のころになると、家族でお墓参りに出かけた。

父方のお墓は熊本の山鹿というところにある。車でむかう途中、目に入ってくるのは道に立つたくさんの灯籠。街路灯として夜の街をやさしく照らす。8月には山鹿灯籠まつりがあって、浴衣姿の女性たちが灯籠を頭にかぶり舞いおどる。

熊本の夏は焼けるように暑い。思春期にもなると自我も芽生え、家族と連れ立って行動することへの恥ずかしさや反抗心、面倒臭さもあったかもしれない。炎天の下、使い古された寺の手桶にたっぷりと水を入れ、のしのしと運ぶ。墓のまわりに生えた雑草を抜いて、ほうきで掃く。きれいになった墓石に水をかけ、家族が一人ずつ手を合わせていく。

ふと、赤やピンクやだいだい色の派手な花々に目がとまる。真っ青な空に鮮やかに存在する、百日草だ。その名の由来は、長い開花時期だという。死者たちが眠る場所で生き続けるんだと、言わんばかりに。

なぜか、その風景がずっと忘れられない。私にはいくつかの、いや、いくつもの忘れられない風景がある。

絵を描いていると記憶がよみがえってくる。いつか見た、しかし不確かな記憶の風景。気がつけば、それをえがいている。

小説や詩を読んでいても、どういうわけか風景描写に心が惹かれる。美しい文章を何度も何度も心の中でとなえ、思い浮かべる。

思い浮かべるのは、きっと、私のなかに眠る、不確かな記憶の風景なのだ。


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