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隣の男

朝早く、ゴミ出しのためドアを開ける。
おなじタイミングで隣の部屋の男性もゴミ袋を片手に出てきた。
めずらしく今どき黒いゴミ袋である。

お互いちょっとびっくりしつつ「おはようございます」が重なる。

くたっとした背広姿の男性は、背が低く小太りで、わりあい人が良さそうな雰囲気ではある。たまに会ったら挨拶する程度の交流しかない。

階段を降り切ったところで、男性がこれから乗るであろう通勤ラッシュを思い、ゴミをいっしょに出そうかと考えた。

「ゴミ、出しておきましょうか?」
「いやいや、だいじょうぶですよぉ」
「通勤ラッシュたいへんではないですか?」
「いやぁ、うれしいなぁ。ありがとうございます。でしたらゴミ袋。ゴミ袋を交換しましょうよぉ」

なぜだか分からないが、言われるがままにゴミ袋を交換する。
手にすると想像よりズッシリと重い。

「けっこう重いですね」
「そうでしょう?重いでしょう。想いは重い!なんてね。はははは」
「はぁ…」
「そういえば、いつもソファで気持ち良さそうに寝てらっしゃいますねぇ。あ、ほら、昨日、急に雨が降ってきたじゃないですかぁ。洗濯物を取り込んでいたら、少しだけねぇ、ちょっと見えましてねぇ」
「いつもソファで寝ちゃうんですよ。だめですよね」

見られていたのかと思うとスッと背筋に冷たいものが走った。

「分かりますよぉ。ソファで寝るの気持ちいいですよねぇ」

交換した黒いゴミ袋がうにょうにょとうごめいている。

「仕方ないですよぉ。僕も寝ちゃいますよぉ。はははは」

ゴミ袋はうにょうにょとうごめきながら私の足首に巻きついてくる。

「ところでねぇ、僕見ちゃったんですよぉ」
「何をでしょうか?」
「ほら、ねぇ」

ゴミ袋はうにょうにょとうごめきながら、ふくらはぎ、すね、ひざ、太ももと這いはじめ、いつしか下半身がすっかりゴミ袋の中に入ってしまった。

「おやおや、だいじょうぶですかぁ?」

男は私の手を握ると、おもむろにズルズルと引きずりはじめる。

「ちょっと!なにしてるんですか!?やめてもらっていいですか!?」
「いや、ほら、せっかくなんでねぇ」
「ちょっと嫌です!外に出して下さい!」

ゴミ袋がうにょうにょと、腹、胸、肩、首、頭と這い回り、私はすっぽりとゴミ袋の中にぜんぶ入ってしまった。男はなおもズルズルと引きずり、とうとうゴミ置場に連れて来られてしまった。

「出して下さい!出して下さい!」

ドスッ。
鈍い痛みが腰に走る。

ドスッ。
ゴミ袋ごしに男が蹴る。

ドスドスッ。
幾度となく男が蹴る。

ドスッ。ドスッ。ドスッ。

息を吸うたびゴミ袋が口元にへばりつき呼吸ができない。呼吸ができないゴミ袋の中で意識が朦朧としていき、朦朧とする意識の中で息ができないほどに意識が朦朧としていき、朦朧とするゴミ袋の中でゴミ袋が口にへばりつき息もできないほどに朦朧とする意識の中で私はどうして蹴られているだろうかと朦朧とする意識の中でぼんやりと考えていた。

男のすすり泣く声が聞こえる。
私も泣いた。

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