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小学校低学年の小梅

小学1年生になると、小梅家では習い事を一つ始められるという習わしがありました。

兄、姉、弟らが習字を習う中、私だけなぜかピアノを選び習い始めました。

市営団地に住まい、6人家族で特に裕福でもなかったはずなのに、家に安くはなかったであろう電子ピアノを買い、私に1年生から4年生までピアノを習わせてくれた両親に感謝です。

年に一度はピアノの発表会があり、毎年出場していましたが、覚えているのは初めて出場した年のこと。課題曲と自由曲を2曲弾くのですが、先生が選んでくれたのは「ミッキーマウスマーチ」と「雨にぬれても」。

こちらもかなり練習をして臨みましたが、ホールのステージでたくさんの人に見守られながらピアノを弾くので、ステージの脇でかなり緊張をしたのを覚えています。でも椅子に座れば後は弾くしかないので、練習の量通りに弾けた時はやっぱり嬉しかったな。

今たくさんの人前に出てもそれ程緊張しなくなったのは、小さな頃から少しずつ耐性をつけていたからなんでしょうね。(笑)

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2年生から少しずつ初めたバスケに4年生から本格的に打ち込むようになり、その影響でピアノを辞めてからは、残念ながら楽器に触れる機会はなくなりましたが、やはり音楽は今でも大好きで、基本的に家では常に音楽をかけています。

またピアノを習っていた為か、高校生の時にパソコンのタイピング能力が開花!もちろん今でもこの能力は役に立っています♪

小学校低学年の頃は、地域の団地に住む子ども達同士で集まり、それこそ外で豪快によく遊んでいました。

一番上は4学年上、下は2学年したのメンバーで、外が暗くなり、「夜ご飯だから帰ってきなさーい!」と母親に家から呼ばれるまで遊んでいたのでした。

4人兄姉弟であったこと、そして年齢差のある友達と遊ぶ機会が多かった経験は、やはり私のその後の処世術を育てる結果となりました。

遊びも常に本気で取り組んでいた為、その時に培ったドッチボールや野球などの球技の技術、リレー、その他身体能力を高める様々な遊びは、私の運動能力を更に引き上げてくれることに。

そんな風に遊んでいたので、帰省をした時に今は危ないからとジャングルジムやブランコ等の遊具が取り外され、ただの広場になっている公園を見た時は衝撃でした。

ブランコの鎖に手を挟まれて血が出ようとも、レンガ山で思いっきりこけて膝や肘をすりむいてそこそこな怪我をしようとも、そんなのは関係なしに遊んでいたからです。

時折見かける、今の子ども達が階段の踊り場で顔を突き合わせているのにそれぞれのゲームで遊んでいるのを見ると、私はあの時代に生まれて、子ども同士で外で遊びながら育って幸せだったんだなと思わずにはいられません。

姉によると、今は子ども達を外で遊ばせるのには危険だとか、暑過ぎるとかの理由で家の中で遊ぶことが増えたのだそうです。そういう子たちが成長したら、どのような大人になるのでしょうか?

なんでも、1981年には2時間11分/1日だった外で遊ぶ時間は、35年後の2016年には半減して1時間12分になったのだそうです。日本人の身長や体重は伸び続けているものの、その影響からか運動能力は反比例して下がり続けているのだとか。便利な世の中は知らない内に私達の能力をどんどん低下させているんですね。

外で遊ぶ元気な少女だった私は、学校で一時期大はやりした上り棒で曲芸をやっている時に、その上から頭から落ちて流血の大惨事になった事がありました。

その時の模様はありありと覚えており、足だけを上り棒の枠にある縁にかけてぶら下がっていた時に、頭に血が上ったからなのかどうやって体勢を立て直せるか分からなくなり、手で棒を掴まずに最初に足を外して頭から落ちたのでした。←ばか

地面と激突して「ゴっ!!!」と音を立て倒れた私に驚いた友達が、「小梅ちゃん、大丈夫!?」と言った時に、おそらくひどく打った為に喉が詰まったのか「大丈夫」という声すら出ませんでした。

友達に連れられてその足で保健室に行き、消毒をしてもらい、そのまま教室へ。おそらくかなり痛かったはずですが、その時はショックで痛みを感じておらず、頭に心臓があるみたいにドクドクと音を立てていたのを覚えています。

私は記憶のかけらにもないぐらい物事を忘れることが多々あったので、人生の途中までは、きっとこの時に頭を打ったせいで脳の細胞が損傷したからだと信じていました。

その時は病院へ行くこともなく、頭の患部からかさぶたがボロボロ取れてくるのが恐怖ではありましたが無事に治りました。でもその時の傷の影響で、今もその部分の毛は薄いのでした。死ななかったのがすごい。(笑)きっと運が良いんでしょうね。

そんな事もありましたが、その後特にひどい病気も骨折などの大きな怪我もなく、今の今まで一度も入院したことがありません。

突然ですが、あなたはあなたの初めての夢を覚えていますか?
私の人生で初めての夢は「ケーキ屋さん」になることでした。母に「お母さんにケーキを1つ5円で売ってあげる!」と言っていたのを覚えています。

タダではなく、少ないながらも家族からしっかりとお金を取ろうとするところを見ると、だいぶしっかりと育てられたことが伺えます。

小学校高学年になると、私の人生を動かす大きなできごとが起こります。

小梅



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