英語を学ぶということ・使うということ

ご無沙汰しておりました。1週間あまり米国に出張しておりました。

……と書くとなんだかすごくイケてるビジネスパーソンみたいですが、全然そんなことはなく。久しぶりの海外。米国でいうと10年ぶりくらいでした。

観光する時間もそこそこありましたので美術館・博物館めぐりやクルーズツアーなど、いくつか楽しいアクティビティも行うことができました。いいとこですね、アメリカ。


前も感じたことで、こんなふうに思うのも我ながら不思議なのだけど、アメリカの方、すごくシンプルに英語をしゃべりますね。私が日本で学んだ英語、教科書の英語、というか。アクセントも、語彙も(地域差、人種差、出身地、学歴などで差はあるでしょうけど)。

もちろんしゃべるスピードはとても速いし、知らないイディオムとかけっこう厳しいけど、face to faceでコミュニケーションしてるアドバンテージもあるのか、まぁだいたい理解できるのはふつうに驚くべきことです。


陳腐な言い方ですけど、結局英語は手段でしかないのだなと。

たとえるなら交通機関みたいなもので、あなたはどこに何しに出かけますか?という話です。

ほら、鉄道オタクの方は鉄道そのものが好きだけど、多くの方にとって鉄道はただの移動手段でしかない。それ自体にはたいして意味がない。


最近読んだ新聞記事によると、日本の小学校で英語を「必修」にしたところ、「英語嫌い」の割合が増えたらしい。英語に限らずですが、教育って難しいですね。

何か技術や知識を得るときに大事な要素が2つあると思ってる。1つは「好きかどうか」。好きって最強で、好きだとどんなにハードワークをしていても全然疲れない。もう1つが「必要かどうか」。別に好きでなくても、どうしてもそれが必要なら会得できるものです。

英語を好きでもなくて、かつ必要でもなければ、習得は無理ですよ。手っ取り早く外国語を学ぶなんてことは無理です。なめんなよと思う。