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スクラムマスターは何をモチベーションに働くのか?

この話のきっかけ

ある日、社内でスクラムマスターを中心にスクラムについて自由にディスカッションするイベントが行われた。その際に出てきた話の一つがタイトルにある「スクラムマスターは何をモチベーションに働くのか?」だった。
私もあまりスクラムマスターにおけるモチベーションをこれまで考えたことがなかった。開発者という立場の時は、価値あるプロダクトを自分の手で作りたいとか、自分の手で直接生み出したものがユーザーに届き価値として感じてもらえることがモチベーションだった。しかし、スクラムマスターとしては直接何か生み出すところには関与していない。

感謝されるけど評価されにくい?

スクラムマスターはスクラムガイドにもある通り、チームそして組織に対してスクラムの理論とプラクティスを理解してもらえるように働きかけることに責任を持つ。要するにプロダクトにではなく、それを生み出すチーム・組織に対して働きかけの矢印が向いている。
チームをより良くするためにチームを観察して、チームがもっと上手くできる方法を自分たちで見つけられるような土台を作り整備する。こういう行動はチームから感謝されるのだが、チームがプロダクト開発で成果を出したとき、スクラムマスターとしての直接的な成果は可視化されづらい。そういう所でスクラムマスターとしての評価ってされにくいよねというのがこの議論での共通認識だった。
極論言うとスクラムマスターとして素晴らしい働きかけをしてチームとしての土台を作り上げても、チームが価値提供に対してあまり成果を出せなかったら同じようにスクラムマスターも評価されないのである。(極論なのでチームが成果を出せていないのであればスクラムマスターとしての働きかけもまだまだカイゼンの余地があるのだろう。)

スクラムマスターの成果は見えづらい?

スクラムマスターとしての働きかけは可視化しづらく評価されにくいものが多い。チームに対して指示をし、働き方や開発方法などを直接変えるのであれば評価されやすいのだろうが、スクラムマスターはそれをすべきではない。スクラムマスターがすべきなのはチームを自己管理型のチームにすることであり、自己管理型のチームはビジョンやゴール達成に向けて自分たちがやるべきことを自分たちで判断できるようにしなければならない。
自分たちのことを自分たちで決めれるチームにするのは結構難しいことであるにも関わらず、そのための働きかけや成果が見えづらく評価されにくいというのは、スクラムマスターからすると苦しいというかちょっと辛いところなのかもしれない。

自分にとってのスクラムマスターとしてのモチベーション

それでも私はスクラムマスターが「かわいそうなロール」とは1ミリも思わない。むしろスクラムマスターはすばらしいロールだと思うし、サーバントリーダーシップをはじめ、現代型のリーダーシップに必要な素質を求められるロールだと思う。いわゆるリーダーと呼ばれる人たちが誰でも正しくできるロールではないと思う。
そんな私にとってのスクラムマスターのモチベーション。それは「チームが成長と成功を実感している瞬間を目撃すること」にある。
チーム全体が以前はできなかった何かができるようになったとき、開発効率が向上して開発スピードが上がっているのをどこかで実感したとき、ステークホルダーやユーザーからポジティブなフィードバックや感謝をされたとき…。
そういう成長や成功を実感するときのチームはいつもいきいきしているし、光っているように見える。そういう瞬間を見ると、スクラムマスターとしてもとてもうれしいし、もっと頑張ろうという気持ちにさせてくれる。
そう考えると自分自身の成果が可視化されてなくてもいいんだろうなって気持ちになる(個人評価のタイミングは少し困るかもだけど)。
スクラムマスターの成果は目には見えづらい。でもとても大きな目には見えない成果を果たしているはずだ。

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