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緊迫するイスラエル情勢 ~ 報復の連鎖

久しぶりに、国際情勢について書きます。
 
今月7日、ハマスがユダヤ教の安息日を狙ってイスラエルに奇襲攻撃を仕掛けました。
  
ネタニヤフ首相は戦争状態と宣言、報復のためガザ地区への空爆を開始。これまでに双方で5,000人以上が死亡、パレスチナの民間人にも多数の死傷者が発生し、難民は100万人に達しています。
 
イスラエルはガザ地区を包囲して、いつ地上軍が侵攻を開始してもおかしくない状況となっています。
 
何故、このような事態になっているのか。複雑な中東情勢と、今に至る経緯についておさらいしたいと思います。
 
 パレスチナとは
地中海東部の沿岸地域は、昔からパレスチナと呼ばれていました。
 
1948年、ここにイスラエルが建国されてからは、パレスチナ人が住むガザ地区やヨルダン川西岸地区をパレスチナと呼んでいます。

イスラエルとパレスチナ(bbc.com)

中でも、エルサレムはユダヤ教、キリスト教、イスラム教、それぞれの聖地となっています。

東西エルサレムと旧市街

2 イスラエルの歴史
(1) 創世期

紀元前1700年頃、キリスト教・ユダヤ教・イスラム教の祖・アブラハムが、神がイスラエルの民に与えると約束した地・カナン(注1) へと移住します。
 
(注1) パレスチナを含むナイル川からユーフラテス川までの領域をいう
 
紀元前1300年、モーセに率いられたユダヤ人がエジプトの隷属から逃れ、パレスチナに帰還します(出エジプト)。

The Real Story of the Exodus

紀元前1000年頃、エルサレムを首都としたダビデ王国が成立(その後、イスラエル王国ユダ王国に分裂)。
 
紀元前586年、ユダ王国がバビロンに滅ぼされ、一時的にユダヤ人が捕虜としてバビロニア(現イラク中部)に強制連行されます(バビロン捕囚)。
 
(2) 民族離散と亡国・迫害の時代
西暦70年、ローマ帝国の侵攻でユダヤ人は国を追われ(ディアスポラ)、以後1900年に及ぶ亡国の時代を迎えます。
 
散り散りになったユダヤ人は、ヨーロッパや中東、アフリカで暮らすことになりました。

ユダヤ人の民族離散(Reddit.com

そして、ユダヤ人が居なくなったパレスチナには、アラブ系の民族が住むようになったのです。

その後、キリストがユダヤ教の聖職者たちと対立して十字架にかけられると、ユダヤ人はキリストを処刑した人々とみなされ、特にヨーロッパで差別や迫害の対象(注2) になりました。
 
(注2)  結果、彼らはユダヤ教を通じて民族意識を保ち続け、教育レベルや蓄財の面で突出するようになっていった
 
(3) 国家再建への動きとイギリスの委任統治
19世紀後半から、ユダヤ人の間で、かつての王国パレスチナに戻って国を再建しようという機運が高まります(シオニズム運動)。
 
第1次世界大戦中、パレスチナはオスマン帝国の支配下にあったのですが、当時、オスマン帝国と敵対していたイギリスは、ユダヤ人、アラブ人、そして当時の同盟国(フランスとロシア)、それぞれに都合の良い密約を交わします(三枚舌外交)。

第1次世界大戦時の勢力図(mapszu.com) 

イギリスは、アラブ人に「オスマン帝国と戦えば独立国家を造る」と約束する一方、ユダヤ人にも「ユダヤ国家の建国を支持する」と宣言したのです(バルフォア宣言)。
 
結果、大戦はイギリス側が勝利しましたが、アラブとユダヤ、双方への約束は果たされぬまま、取り上げた領土はイギリスとフランスが山分けし、パレスチナは1922年からイギリスの委任統治領となりました。
 
その後、第2次世界大戦が勃発すると、ナチス・ドイツによるホロコーストが始まり、600万人のユダヤ人が殺害されました。

これを機に、国際社会では、パレスチナでのユダヤ人国家建設支持への機運が急速に高まります。

(4) 国連による委任統治
しかし、今度はパレスチナで入植ユダヤ人とアラブ人との対立が深まることになります。パレスチナを管理していたイギリスは、委任統治の満了とともに、この問題を国連に丸投げしたのです。
 
そして、1947年の国連総会においてパレスチナ分割案勧告決議(注3) が採択されました。
 
(注3) パレスチナをユダヤ人とアラブ人の2国に分けた上で、エルサレムを国際管理下に置くという内容
 
(5) イスラエル建国と中東戦争の勃発
ユダヤ人は、その決議に基づいて、1948年5月14日にイスラエルを建国し独立宣言を行いました。
 
しかし、広大な土地を奪われた挙げ句、勝手に他国が造られてしまったアラブ人は、この決議に反発。
 
イスラエル独立宣言の翌日には、周辺のアラブ諸国がイスラエルに攻め込みました(第1次中東戦争)。
 
以後、パレスチナをめぐるユダヤ人とアラブ人の長い戦争へと発展したのです。
 
戦争に負け続けたアラブ・パレスチナ側では、次第にインティファーダと呼ばれる抵抗運動が広がるとともに、アラファト議長率いるパレスチナ解放機構(PLO)が各地で対イスラエル武力闘争を展開します。
 
(6) 和平プロセスの進展
ノルウェーで協議された結果、1993年にクリントン米大統領が仲介するホワイトハウスで、イスラエルのラビン首相とPLOのアラファト議長が歴史的な和平調印式を行いました(オスロ合意)。

オスロ合意の瞬間(nbcnews.com)

この合意で出来たのが、パレスチナ自治政府でした。
 
(7) 和平プロセスの失速
しかし、イスラエルはパレスチナ自治区で入植活動を加速させ、台頭しつつあったパレスチナ武装勢力ハマスによる自爆テロが生起。
 
また、イスラエルの過激派によってラビン首相が暗殺されたりと、和平ムードは勢いを失います。

2000年、当時右派の政治家でのちに首相になるシャロン氏が、エルサレムのイスラム教の聖地に足を踏み入れたことでインティファーダが再燃し、テロが激化します。

一方、イスラエルの世論も徐々に右傾化し、テロリストの流入を阻止するためにパレスチナとの境界線上に高さ8m、全長700km以上にも及ぶ分離壁が構築されました。

巨大な分離壁(aljazeera.com)

そのため、パレスチナは天井のない監獄などと揶揄されることもあります。
 
(8) 過激派組織の台頭
2004年にアラファト議長が亡くなり、アッバス議長がその後を継ぎます。

ヨルダン川西岸地区は、パレスチナ自治政府の政党でPLOの主流派であるファタハが統治する一方、2006年の議会選挙でハマスに敗北してからは、ガザ地区はハマスに実効支配されています。
 
アッバス議長に過激派を抑え込む力はなく、2006年からレバノンのテロ組織ヒズボラがイスラエルと交戦状態になっています。
 
(9) 浸食されるパレスチナ自治区
同じパレスチナ自治区でも、ガザ地区は地域一帯が瓦礫になっていて、インフラも破壊されています。
 
そのため、国連が教育、医療、食料などの援助を行っていますが、生活水準はあまり向上していません。
 
一方、ヨルダン川西岸地区はユダヤ人の入植問題(注4) はあるものの、イスラエルとの出入りは比較的に自由で、一定の生活水準は保たれています。
 
(注4) パレスチナ自治区にユダヤ人が住み着いてイスラエルの土地として既成事実化したもの(既に約40万人が入植と推定)

このように、イスラエル国内に民族も宗教も異なるユダヤ人とパレスチナ人が共存することを2国家共存と呼んでいます。

ユダヤ人には、1900年もの放浪と迫害の末にようやく国を取り戻し、何が何でも国を守るという強い決意がある反面、一方的にユダヤ国家の樹立を強要され、その後も居住地がイスラエルに浸食されているパレスチナ側の不満が2国家共存を難しくしています。

「2国家共存」の実態(TRT World)

3 インテリジェンスの失敗
建国以来、常に国家の存亡と向き合ってきたイスラエルを守ってきたのは、世界一流ともいわれる諜報機関モサドです。

しかし、今回の攻撃を受け、モサド長官は「予兆は掴めなかった。攻撃は周到に練られ、ハマスがこれほどのロケット弾を持っているとは思わなかった。」と明言しました。
 
僅かな兆候を軽視したとの情報もありますが、何れにせよ「建国以来のインテリジェンスの失敗」と非難されています。
 
近年のハイテク依存・人間軽視の傾向は、モサドのみならず、日米を含むあらゆるインテリジェンス機関や、その他の組織・団体に共通する課題かもしれません。

4 米国の動向
今般の事案で、少なくとも30人以上の米国人が死亡し、10人がハマスに拉致されています。米国はハマスの行為をテロと断じ、イスラエルを支援する姿勢を表明しました。
 
軍事面では、空母ジェラルド・R・フォードがイスラエル沖に展開するとともに、2隻目の空母ドワイト・D・アイゼンハワーがノーフォークから出港しました。

また、空軍の増援機も周辺基地に展開し、不測事態に備えています。

USS Gerald R. Ford (USNI News)

現時点では、米国に武力介入の意思はありませんが、同盟国イスラエルに対し軍事支援を行う方針です。

他方で、2国家共存は堅持しており、18日の首脳会談では、ネタニヤフ首相と、その辺りのことを協議した可能性があります(米国にとり、人道危機の拡大や事態の長期化は政権運営にマイナス)。
 
(2) 米政権の背後にあるもの
このように、米国がイスラエルに肩入れする背景には、米国内のユダヤ系ロビー団体の存在があります。

20世紀に入って、ヨーロッパで迫害されていた多くのユダヤ人が米国内に移住したこともあり、現在は全米人口3億人のうち500万人をユダヤ人が占めています。

在米ユダヤ人は、政界を含む様々な分野に影響力を持つ優秀な人物を輩出しています。

中でも、イスラエル寄りの姿勢が顕著だったのがトランプ政権で、エルサレムをイスラエルの首都として正式に認めると発表し、米国大使館をエルサレムに移設しました。

米国大使館のエルサレム移転を承認(NBC News)

こうしたトランプ政権時代の強硬姿勢も、パレスチナ問題の解決を難しくした一因といえます。
 
 アラブ諸国の動向は
近年、パレスチナを支援してきたアラブ諸国にも変化がみられました。
 
元々、エジプトとヨルダン以外のアラブ諸国はイスラエルを認めない立場でしたが、2020年のアブラハム合意以降、アラブ首長国連邦(UAE)、バーレーン、スーダン、モロッコが相次いでイスラエルと国交を回復し、最近ではアラブの盟主・サウジアラビアも、イスラエルとの国交正常化を模索していました。

アブラハム合意(state.gov)

こうした状況にハマスなどの武装組織が失望と怒りを覚え、テロ攻撃を働いたのではないかと言われています。
 
6 日本が進むべき道は 
(1) 先ずは、邦人の安全確保が最優先
やや初動が遅かった印象を受けましたが、そもそも中東に赴く邦人は、ある程度、戦乱に巻き込まれることを覚悟の上で赴任しており、外務省の呼びかけに応じない人が多いという事情もありそうです。
 
また、日本人が韓国軍機で退避したり、逆に韓国人が自衛隊機で避退したりと、一部に好ましくない印象を持たれた方も居たかもしれませんが、緊急事態で日韓が協力していることは、むしろ望ましいことです。
 
私自身の経験からも、国内に居ると日韓は政治マターでは互いにいがみ合うことが多いですが、日本から遠く離れると、不思議と同じ東洋人として親近感を覚えます。
 
邦人の安全確保については、今後も各国との協力体制を深化させていく必要があると思います。

(2) パレスチナ難民の受け入れ
アフガニスタンの時もそうでしたが、追い詰められた人々に国籍云々を言ってても仕方ありません。日本は、パレスチナ難民も積極的に受け入れたらいいと思います。
 
その方が、国際社会における日本の評価を高め、日本の国益につながるのではないでしょうか。

(3) イスラエルの核兵器使用に警戒
イスラエルは核兵器拡散禁止条約(NPT)の非締約国で、なおかつ核兵器保有国であることを忘れてはなりません。
 
イスラエルは、とりわけ国防意識の強い国ですから、追い詰められたときは、ハマス、ヒズボラ、ホーシー派などの親玉であるイランに向けて核兵器を使用するオプションを担保しているとみられます。
 
中東からのエネルギーの安定供給という観点のみならず、今年のG7議長国という観点からも、そのことに警戒しておかなければならないと思います。

(4) 米国の中東回帰を食い止めよ
日本にとって最悪の事態は、米国が中東での戦争に逆戻りすることです。
 
イスラエルは、間もなくガザに侵攻するでしょう。そうなると、ヒズボラが参戦することになります。ヒズボラが参戦すれば、米軍が介入する可能性が高くなります。
  
また、ヒズボラを支援するイランもテロ支援の度合いを強め(注5) ていくでしょう。
 
(注5) 10月19日、イランが支援するイエメンのホーシー派がイスラエルに向けて複数のミサイルを発射した模様(米海軍の駆逐艦が紅海上で迎撃)

イエメン方面からの攻撃も(abcnews.com)

そうなると、米国はウクライナでのロシアとの代理戦争に加えて、中東でイランとの代理戦争にも巻き込まれ、益々、米国の力は陰り、相対的に日本周辺での中露の台頭に弾みをつけることになるのです。
 
2021年にアフガニスタンから撤退し、9.11以降、20年に及んだ中東域での戦争を終わらせた米国が、再び中東戦争に回帰すれば、それこそ中露の思うツボなのです。
 
おわりに ~ 人類共通の本質的な課題とは

パレスチナは、大元をたどればユダヤ人の土地だったのかもしれません。
 
しかし、欧米の身勝手な振る舞いと、十分な対話がなされないままそこにユダヤ人の国家を再建したことにかなり無理があったと思います。
 
土地をめぐる争いは、いつも「どこまで遡れば気が済むのか」という問題に行きついて、現状維持派と修正主義者との間で武力衝突に発展します。

民族、宗教、文化などの違いを乗り越え、報復の連鎖を断ち切って、どこまで寛容になれるか。
 
それこそが人類共通の本質的な課題なのであり、その縮図が、パレスチナ問題に垣間見えるような気がします。