自分へ

最近、少しだけnote依存気味。
これはかつて旧twitterで経験した状況と似ている。小出しに感情を吐くのは、ゴミ捨てと一緒でその場はきれいになるが、ゴミは一箇所に纏めただけで完了ではない。集積所まで持って行って初めて、ゴミ捨ては完了する。

この期間、思考のゴミをバラバラに捨てていた。そろそろ一箇所にまとめて捨てるときがきたのだと思う。

①本性なんてない

意地悪されたから悪い子、優しいからいい人、自分に都合の良い情報だけを取り入れて、都合の悪い情報はいらない。。。こういうのは、よくあること。批判はしてない。それが人の自然な反応。私もよく「あの人はこういう人」という思考をしてしまう。それでも大前提「人間に本性なんてない」。本当はそうも思う。
誰かの言動や感情の一面を見たってそれが全てではない。全てを知ることは不可能だからこそ、ほんの少しでも相手を知れた瞬間はとてつもなく嬉しくなる。人には様々な側面があって、どの自分を見せても受け入れてくれる人、というのは貴重な存在。
私にそんな人がいるのか分からないし、必ずしも見せられるかはわからないけれど、誰かのどんな面もその人の一部なんだと理解し、相手を知ることを楽しめたら最高だと思う。
知ることを楽しむ。それは理想論でもある。だって現実は、嬉しい楽しい気分が良くなる情報ばかりではないから。
それなら、嫌なこと、見たくない現実に直面したらどうすればいい?知ることを楽しむには、自らの感情の動きを知る必要がある。

②感情が動く瞬間を意識する

思春期の頃、私はかなりの分人でした。
分人というより、二重人格?
家では感情爆発系、外では我慢強い忍耐系。
だから、感情を抑えたり出さないことは得意。
むしろ出さない方が得意。
そうすると、後々マグマのように感情が吹き出すことがある。本当は喜怒哀楽くるくると素直に全て出すのが一番身体にいいと思う。しかし社会に出たらそうもいかない。

感情は、身体の動きと切り離すと上手いこと感じやすくなる。私今怒ってるぞ!頭で感じるだけ。決して感情に蓋をしない。その代わり、身体の反応と感情をなるべく切り離す。物に当たったり怒鳴ったりしたら、身体とセットになっている状態。そうすると、感情が行動に変化して、元々の感情とは別の問題を引き起こしてしまうから。
私だってできないことばかり。
でもね、感情に蓋をするのが一番良くない。
感じきると不思議と薄れるのが感情です。

③潜在意識に入った感情を表面化させる

現在直面している問題は、今からどうにでもなる。自分の在り方次第で変えられる。問題は、潜在意識に入り込んでいる感情の整理整頓だ。普段自分で意識していない感情、無意識の反応は、頭で考えてどうにかなるものではない。こちらは、何かの出来事や経験をきっかけに降って湧いてくるものなので、感情と行動を意識して切り分けることが難しい。

例えば、怖い経験をしてフラッシュバックに陥ったとき、感情と行動はセットになっている。震える、汗が出る、涙が出る、ここで私は怖いと感じる前に、震えてる、と思ってしまう。
本当は、怖いんだよっ、怒りなんだよって、それを真っ先に感じるはずなのに、身体の反応が先にきてしまった場合は、ちゃんと後でその時の本当の感情を感じきるように意識する。

ここまで書いてきて分かった。
身体の反応と感情は別々だという意味が。

私はかつて、暗い部屋で寝れなくなりました。
夜道を歩くことができなくなりました。
マフラーを巻かなくなりました。
音楽を聴きながら夜道を歩けなくなりました。
今は、全部できるようになったことです。

感情と各行動を切り離すまでの間、だいぶ時間がかかった。時間が薄めた部分ももちろんあるけれど、私は無意識の感情をそのままにせず、感情と行動を切り離すよう意識し続けた。もちろんそれだけではなくて、瞑想、呼吸法、本をたくさん読む、自分の経験を人に話す、ありとあらゆることを試しながらだったけれど。。。

そのおかげで完璧ではないにせよ、日常生活を送れるくらいは、嫌な感情と行動を切り離すことができるようになっていった。

④行動に移してしまった感情は振り返る

瞬間湯沸かし器のように感情を顕にしてしまい、失敗した経験がある。好きの愛情表現とか、良い方に感情が表れる例もあるけれど、反省するのは感情と行動がセットになった悪い例について。

失敗した、間違えたと思った行動は、その時とは違う感情の波が来た瞬間にもう一度振り返ることで、客観的に物事を見れるようになる。平常時でもいいのだけれど、目には目を感情には感情をぶつける。

例えば、嫉妬で狂って怒ってしまった場合、自分が安心できて優しい気持ちでいられる時にもう一度その出来事を振り返る。振り返ると、嫉妬は相手の問題ではなく、自分が不安に思っている状態そのものに問題があったと気付く。そう、自分が安心している状態であれば、何が起きても揺れない。無理に達観する必要などなくって、安心している状態で考えても、あれはどう考えても嫉妬案件でしょ、となればそのままその気持ちを感じきる。

自分が100%正しいなんて思えないけれど、100%間違っているとも思えない。グレーゾーンを思い出すと移ろいゆく感情に身を任せる瞬間をありありと思い描くことができる。きっと思い描ければ、次こそは感情と行動を切り離せる。そう信じている。

⑤ここぞというときには全て一体化

感情と行動を切り離してどうなる?最終的に機械になりたいと言うわけではない。嫌な感情も良い感情も感じきれるようになると、感情と行動がぴったり一致した瞬間を極上のものとして感じきることができる。

それは何も大層なことでなくてもいい。
美味しい物を食べた時、嬉しい出来事があった時、些細な出来事でも感情と行動がぴったり合ってくると、それだけで心地が良い。

⑥補足

感情は行動と切り離すだけではなく、複数の感情が一緒になっているときにも切り離すようにする。ときには、楽しい、切ない、苦しい、気持ちいい、愛おしい、いくつもの感情が同時に湧くことがある。それらの感情をそれぞれ分けて感じきれると、自分の感覚が立体的に浮かび上がるような感覚があって、より感情を詳細に味わえる。

ここまで書いてきてわかったこと。
感情的な人って、表情豊かな人や分かりやすい人だけではない。それが例え表に出ていなかったとしても、感情を意識して感じきっている人は、感情的な人と言えるのではないだろうか。

あとがき

これを書いている最中、たまたま大きめな祭りに遭遇した。
道沿いいっぱいに屋台が並び、群衆が闊歩する。
道端に座って焼きそばを頬張る人、お酒を飲んでほろ酔いの人、屋台の屈強なお兄さんたち。
何故か、東北の海沿いの街を思い出した。
こんな私でごめんなさい。
私は本当に、家庭人に向いていない。
ごめんなさい。ごめんなさい。
そう思いながら人波を縫って駅を目指した。。。