人との出逢いはその一瞬一瞬が本番である

良い出逢いを求めたい、自分に合う人と結婚したい、そんなふうに人は人を求めて彷徨い経験値を上げていく。

私の生活は今、上手くいっているとは言い難い。それは、過去の恋愛や人付き合いの経験値が不足しているからではなく、単に今、私自身目の前の相手と向き合っていないこと。それだけが原因だ。

よくある婚活成功ヒストリーで、妥協せず自分に合う人を見つけるためには、たくさんの人と経験を積んだ方がいい!というマニュアルを見かける。それで幸せになれる人ももちろんいるとは思う。しかし、人生においてバックボーンが違う私たちにとって、万人に共通するマニュアルなど存在しない。もし、ある方法を実践して理想の人と巡り会えたとしても、たまたまその人がそうだっただけで、全員に当てはまる話ではないというのが、本当のところだ。

多くの人と出逢い交流することのメリットは、相手のスペックを測り、相性を見極めることではないように思う。たくさんの人と交流し、相手から受けた影響によって自分の内面が変化し、自分自身が変わることで幸せをつかめる。もちろんそういうケースはあると思う。変わらなかったとしても、たくさんの人と出逢うことで、自分にとって本当に大切なことに気付く。それによって本当に大切な人に気付く、ということもあるかもしれない。

しかしそれは、恋愛に限ったことではない。仕事でも趣味でも何でもそうで、コミュニケーションがレベルアップしたから幸せになれるという、単純な方程式は成り立たない。それは、私の友人達を見て実感したことでもある。

私の友人で、大学卒業後初めてできた彼氏と結婚した女性がいる。彼女は容姿端麗で聡明、もともと異性からとてもモテる人だったが、高嶺の花過ぎて、彼女に表立ってアプローチする人はあまりいなかった。恋愛にも結婚にも全く興味がないとのことで、大学時代はひたすら好きな研究や趣味に没頭していた。そんな彼女が恋に落ち結婚した相手は、日本のトップ大学院を卒業し、某大手企業の研究者として将来安泰な相手。彼女は、そういう相手に狙いを定めて婚活していたかというと、全くそんなことはない。出逢った相手がそういう人だった、そして意気投合した、ただそれだけのことだろう。

もう一人、私の高校時代の友人は、社会人になって初めて付き合った彼氏と結婚した。この彼女も学生時代は恋愛とは無縁で、リアルの相手よりも芸能人、アーティストを追いかけていたいタイプの人だった。確かネットで知り合った相手と意気投合してそのまま結婚したと聞いた。二人とも、今も幸せそうだ。

別にね、プロセスなんて関係ないと思うんです。どれだけの人と経験を積んだって出逢える人は出逢えるし、出逢えない人は出逢えない。確率の話で、数を増やせば出逢える確率が増えるのは当然のこととして、実際に結婚した相手と幸せな生活を送れるかどうかは、自分次第。

友達二人は、どちらかというとわが道を行くタイプで、人を羨まないところは共通していたように思う。そして、恋愛に対する欲求や恋とはこういうもの!という先入観も少なかったのだと思う。決してコミュニケーションに長けているというわけではなく、どちらかというと寡黙で思慮深い、時々ズバッと自分の意見をいう人たち。過剰に空気を読むわけでもないという点も少し似ている二人だった。

彼女たちは決して、恋愛や結婚を目的として生きているわけではなかった。自分の好きなもの、満たされるもの、興味のあるものを突き詰めていった延長線上で、たまたま理想の相手と巡り逢えた。きっとそんな感じなんだろう。

友人達を見て、私はそんなふうになれないな〜と思っていた。自然体でいるって考えて振る舞う時点で自然体ではないのだから。それはそれで無理をしている自分だ。だから昔の私は、恋を求めて彷徨っていたんだなぁ〜と振り返る。

かつての私は恋愛迷子で、合コンや友達の紹介、婚活など出逢いを求めて彷徨った結果、今がある。だからといって上手くいっているか、と言ったら全然そうではない。様々な経験は決して無駄にならないけれど、頑張れば上手くいく、経験値を上げれば上手くいく、人との出逢いはそういうものではないと実感している。

今目の前にいる相手を大切にできる人、自分の手の届く人との関係を大切にしている人は、結局どんな状況からでも信頼できる相手との関係を築けるように思う。私自身はそれが足りないか、過剰なのかもしれない、と思う。

人との出逢いに練習なんてない。それは相手に失礼というのもあるけれど、自分自身が、誰かにとっての練習、踏み台だと思われたら寂しいと思うから。恋愛に限らず、人として向き合いたいと思えるすべての人に対して、この出逢いは本番。そう思って臨みたいと、強く強く思う。

何も正論で捲し立てたいわけじゃない。この出逢いは練習、あの出逢いは本番、なんて考えるくらいなら、全員と遊びの恋をする!と開き直っている人の方が素直で、ふわっと軽くて、人として好ましいとさえ思ってしまう。自分自身、色々なことを複雑に考えてしまうからこそ、多分単純な人が好きなんだ、きっと。単純、というのは悪い意味ではなく、物事をシンプルに考えられるという意味で。

私が複雑に考えてしまうときほど、シンプルな考え方、生き方の人から、自分が忘れかけていた何かについて、ハッと気付かされる。そして、悩んでしまう自分も肯定した上で、もう少し楽に、もっと単純に考えようと、思えるようになっている。今私に足りないのは、シンプルに考えることかもしれない。一瞬一瞬の出逢いを大切にする。例えそれが心変わりを伴うものだとしても、自分の想いに正直でいたいと思う。