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相手との境界が溶けても、依存ではない心の関係性はある

他人の幸せを心から願う。
そんなことは偽善だとずっと思っていました。
それでも最近は少しずつその感覚がわかるようになってきました。

聖人君子ではないので、四六時中誰も彼もの幸せは願えません。自分が本当に大切だと思える人、特別な人、一期一会で出会った素敵な人に対してそういう感情が起こることが増えてきました。


家族や他人と心から向き合い、相手の良いところを自分にインストールする。そんなことをいとも簡単にやってのける人のことを今、とても尊敬しています。

頭が良い人と付き合うと頭が良くなる。
芸術的な人と付き合うと芸術的になる。
優しい人と付き合うと優しくなる。
スポンジのように吸収していく人。

それでも、芯の部分はブレていないようで、そこもまたいいなぁと思います。


人のことを褒めてばかりの回になりそうですが、誰かを自分にインストールするということは、私にも覚えがあります。

私は最近、ある人に似てきたなぁと思うのです。仕事での立ち振舞い、人に嫌われてもいいという気持ち、ふとした時に感じる「似てるなぁ」がたくさんあります。元々私にはなかった部分が、いつの間にか私自身になっていった。そんな感覚です。

人として彼のことをとても尊敬していたし、憧れていました。今はもう会うこともない人だけれど、ずっとずっと、彼のことを考えて生きているうちに境界が溶けたのかもしれません。

人と人の関係って面白いですね。
大切な人がずっと心の中にいるというのは、とても心強いことです。そしていつの間にか私の一部になっていました。

現実の関係はお互いの想いが重ならなければ成立しない。

けれど、心の中は自由です。

好きな人をインストールして自分に取り込む。
真っ直ぐに相手と向き合わないとできないことだと思います。それで傷ついたり苦しくなったり、そんなこともあると思いますが、誤魔化さず、逃げずに向き合う姿にいつも心を打たれています。

今、私にも自分の心にインストールしたいと思える人がいます。今はただ、貴方が恋人と幸せで楽しい時を過ごしてほしい。そう願っています。自分の幸せを願うのが下手な分「貴方の幸せ」と思うと、私も素直に自分の幸せを願える。自分勝手にもそんな気がするのです。

これが「貴方のために」ではダメなのは、それが依存を引き起こすから。「貴方の幸せ」「私の幸せ」それぞれが成立していることが大事だと実感しています。

昨日まで自分の中にあった常識がいつの間にか覆っている。そんな変化も感じます。変わろうとして変わったわけではないのに不思議な感覚です。

核となる考えがあること、心と身体が健康であることなど、一定の条件は必要になるとは思いますが、人との境界を溶かすことが必ずしも依存には繋がらない。それを今、実感しています。