「気付く」は人生のテーマかもしれない
誰かと意見が対立したとき、話し合いで解決できない人がいる、というのは、人と対峙するときに念頭に置かなければならないことだ。
人は誰しも善悪二元論に囚われる瞬間があると思う。自分はそうではないと思っても、誰でもその思考に陥る可能性はあるし、私にもそういう面はあると自覚している。
私は時々、正論を言うなと揶揄されることがある。しかし私の場合、善悪と自分の快不快は全く別のもので、自分が不快だと思ったことがたまたま正論だっただけだと思うことがある。
もともと私が不快だと思ってい