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人口20人の瀬戸内の島に自分のルーツがあった。家族と20年ぶりの帰島。

2023年4月、移住先探しを目的に、四国を1ヶ月かけて旅をした。週5日仕事をしながらの、ゆったりスケジュール。

四国に来たら、行きたい場所があった。移住先候補ではなく、ただ行ってみたかった場所だ。
それは瀬戸内海に浮かぶ「手島」という島。丸亀製麺で知名度が高いであろう、香川県丸亀市に属する、人口が20人もいない島だ。

その島には20年前に1度だけ訪れたことがある。父が生まれ育った場所ということもあり、5歳の夏休み家族と一緒に親戚に会いに行った。

覚えている記憶はかなり少なくて、
・茄子の天ぷらを食べていたら兄や再従兄弟に冷かされ茄子が嫌いになった
(そしてその後20歳になるまで食べれない)
・海で遊ぼうとしたが怖くて入れなかった
・軽トラのうしろに少しだけ乗った(気がする)
このくらいだ。

団地暮らししか体験したことのない幼いわたしにとって、島はまるで別世界。
きっと恐怖しかなかったのだと思う。正直、あんまり良い思い出がなかった。

そしてそれから20年が経ち、島にもう一度行きたいと思った理由はシンプルな好奇心と祖母を連れて帰りたかったから。

大人になった今、その島を訪れて何を感じるのだろう。
90歳を超えた祖母、元気なうちに連れて帰りたい。


そして、四国旅の最後に、父と母、叔父と祖母を関東から呼び寄せ、みんなで島に帰ることになった。


手島は、人口が20人もいない。(が、移住者が半分くらい占めている。)
父が幼かったころは、200人はいたらしい。ピーク時は700~800人。

丸亀港から船で60~100分。
船便は1日3,4便。
商店はもちろん、自販機すらない。
信号機もなくて車線もない。

南北に山があり、集落はまとまっている。
車がなくても住めるくらい小さな島だ。

集落には築100年前後の古民家がずらりと並んでいて、コンクリートの建物は旧学校くらいである。
島にあるほとんどの家が空き家。悲しいけれど崩れている家も少なくない。

丸亀港から2つの島を経由してやってくるフェリー
人口が少ないけれど1日2往復も出てくれる。
こちらは島のメインロード。この通り沿いは移住者が多く住んでいる。
そして島人によって道や畑はきれいに保たれている。

関東育ちのわたしは、もちろん旅中知っている人に偶然会うことはなかったが、島に着くと、お会いしたことのなかった親戚や、家族みんなの名前を覚えているおばちゃん、父と仲の良かったおじさんに会った。

そんな人たちが、もともとあったお家のことや、祖父母が大事に育てた木のこと、父との思い出の場所などたくさんのことを教えてくれた。

お墓に行くと自分と同じ苗字のお墓が何個もあって、水道近くには苗字が書いたやかんまであった。

遠いところに来たはずなのに、どうやら自分と全く関係のない場所というわけではないらしい。

父はこの島で生まれ、育ったのか。
祖母は今のわたしくらいの歳で島に戻ってきて、
島にいた祖父と結婚したのか。
家族を知っている島人が何人もいるな。
先祖はいつこの島に辿り着いたのだろう。

大人になってから訪れてもここは別世界で、なんとも不思議な感覚に陥った。ルーツなんて考えたこともなかったが、ルーツを感じざるおえない旅だった。

今は亡き祖父が育てていたバベの木。T字が特徴で、父と祖母とTポーズ。
(つーちゃん、素敵な写真ありがとう)

一方、20年ぶりに帰島した祖母は、
行く前は「もう歳だから行けないよ〜」と何回も言っていたらしいが、
旅の終わりには「連れてきてくれて本当にありがとう、もう一回くらい行きたい」と言葉にしてくれた。

祖母からこんなに感謝されたことは生まれて初めてで、
願望を伝えられたことも初めてで、
もしかしたら最初で最後の旅行かもしれなくて、
コロナでこの旅の決行が3年ほど遅れ、念願の帰島だったこともあり、
空港でお別れするときはこっそり涙してしまうほど感慨深かった。

92歳からしたら20年ぶりって大したことないのかもしれない。でも20年ぶりに親戚や島人、兄弟のお墓参りができて、そして家族と旅行ができて、島に帰ることができて、
祖母にとってほんの少しでも温かい思い出になっていたらそれだけで十分である。

祖母は手先が器用で裁縫が大得意。
どうやらわたしにも少しはその遺伝があるらしい、引き継ぎたい技である。
家族と、親戚と、フェリーの前にて。
島と島人に手を振る祖母の後ろ姿。

足も腰も脳も元気な祖母だったが、この10ヶ月後、本当に急に旅立ってしまった。欲を言えばもう一回一緒に行きたかったけど、このとき一緒に行けて心から幸せだった。
ばあちゃん、素敵な島を教えてくれてありがとう。


祖母や父がいた島は、海がきれいで、山もあって、朝日も見れて、夕陽も見れる。
何もないけれど、そんな何もないところがとても、とても美しい場所だった。

夕焼け - 西の海岸から
朝焼け - 東の港から

そして何もないけど、なんでもできる、可能性に満ち溢れた島なのである。
人口は少ないけれど未来はまだ暗くなくて、むしろなんだか明るい。そしてとてもあったかい場所だ。
だけど島人の話無しにして島の魅力は伝えきれない。その話は次のnoteにでも書きたいと思う。

最高な島にまさかのルーツがあった。
そのルーツを大切に守りたいと思う旅であった。


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