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【読んだもの】風の歌を聴け(村上春樹)、感想

①なぜ刺さったか
②自分とどう重なったか
③これを受けて今後どうするか

「真の芸術が生み出させるためには奴隷制度が必要」
①芸術って確かに余剰だよな、と納得したこと。そしてそれは、暇を持て余した人に対するものではなく、例えば奴隷みたいに、日中ずっと働いていろんな思い?が込み上げる中での作業中や時間の余白で作り上げるものだということ。全てが満たされている人、いろんなものを与えられている人よりも、満たされない何か不足を感じている人の方が生み出せるもの、あるいはそうゆう人が生み出すからこそ面白いのかもと思った。

②芸術的な何かを生産することが好きだけど、わたしが目指していたのは「奴隷制度」から生まれるものとは少し違う。どちらかといえば何も積み上げてないのに自分の感性だけで無理やり搾り出そうとしていた。そりゃ産み続けられへんわ、となんかどこかで納得した。わたしに必要なのは奴隷制度みたいな、縛られることや軽減されること、それによって生まれる何か憤りみたいな訴えかけたい何か、最近の言葉で言うとインプットってことなんかな?でもそれとは少し違う、内側から湧き出るもの。ハングリー精神?のようなもの。

③奴隷になる、とは言えないしできないししたくはない。でも同じような感覚を味わうためにできることとして思いついたのは、例えば仕事でスケジュールを詰めつめにするとか。仕事してる時間を乗り越えるために、なんかいろんなこと想像してることってあるし、そんな時間にいいアイディアが思いついたりするかもしれん。最近文章を書くことにハマっているから、それはまさにネタのためにも、自分の中にもっともっと文句をためてみるのも面白い文章を生み出す刺激になるのかもしれんと思った。

文明とは伝達である。
①わたしたちが今生産、消費している芸術すべては文明によるものか、と気づく、今さらやけどな。文明とか伝達とか、とりあえず今日のわたしたちが楽しんでいる芸術にたどり着くまで、たくさんの人のいろんな思いが掛け合わさっているんよな。そう思うと人間みんな複雑に作用しあった結果を楽しませてもらってる、ありがとな~って思えたよ。

②例えば自分の意思を伝えるために言葉を習得してそれでこうやって文章としての芸術を生み出すみたいに、自分もその一部だったなと感じた。わたしが伝えた思いが何かを生んだり、何かを伝えたくてわたしも何かを生み出せるのかもと思った。

③とりあえずアウトプット。あと自分の思いを形にすることを惜しまないように。

「誰にも迷惑をかけずに生きれたらすてきだと思わない?」
①迷惑をかけずに生きれている人っているのか?そしてそれは必要なことなのか?と考えてみた。

②わたしはバリ迷惑かけまくってる人やと思う。あとは相手が迷惑と思ってるんかにもよるけど。でもわたしも多少は迷惑かけられてることもあるし。だからといって徹底的に迷惑が嫌で指摘したり排除していきたいとかは思わんから、反対にわたしが迷惑をかけている人もそう思ってくれてたらいいな、くらいで気にせんようにしてる。でもこうやって考える人もいるよな、その人らはなんでそう思うのかって聞いてみたくなった。

③いろんな人にこの質問してみよっと。自分が考え方好きって思ってる人たちに。ちなみにボーイフレンドは、「自分が絶対に迷惑をかけるとわかっているからこそ、その生き方が素敵だと思う」らしい。

「僕は18年間、そこで実に多くを学んだ。街は僕の心にしっかりと根を下ろし、想いでの殆どはそこに結び付いている。しかし大学に入った春にこの街を離れた時、僕は心の底からホッとした。」
①なんとなく共感できたから。状況も自分と重なった。生まれ育った街との絆のようなものを感じながら、そこを離れてホッとする、その矛盾が少し悲しいような気がした。

②結局、故郷に対してあるのは好意なのか嫌悪なのか、どっちなんやろうって思うしわたしはどっちだったか?と考える。どっちの感情もあった気はする。好意はもちろんあった。でも嫌悪というより、別の街に対する憧れのようなものが勝っていただけかもしれん。ボーイフレンドに聞いてみたら「今まで着古して脱ぎきれずにいた服を、やっと脱いで箪笥の奥にしまったような感覚。自己嫌悪から離れられるということ」って言ってたし、それは共感できる。地元にいると良くも悪くも「そこでの自分というキャラクター」に戻ってしまう感覚があるし、どんなに成長したと思っても、帰ってきたら戻ってしまう感覚がある。地元にいたときの旧タイプの自分、みたいなのから逃れられるから町を出たら新しい自分になれるかもという来たいが勝つのかも。

③地元は好きなので大切にしたい。変わっていく自分も、地元で育った頃の自分も大切にしたい。地域貢献できることしていきたいなってゆうのは常に思ってる。自分がどんなに他の町を好きになっても、そのわたしを作ってくれたのは紛れもない地元やし恩返ししたい。ただそこに戻ることだけが恩返しではないと思うけど人が減っていくのは寂しいからなんか出きることないかな~。

もし僕たちが年中喋り続け、それも真実しかもしゃべらないとしたら、真実の価値などなくなってしまうのかもしれない。
①確かにぃ〜〜ってなった、だけなんやけど。

②合わない時間が愛を育てるって話を思い出した。

③「余白」を楽しむ。完璧を求めない。伸び代から何が生まれるのかを楽しむ。そうゆうことかな。
会わない時間が愛を育てる、それは本当でもあるけどそれだけではないのではないんちゃうかな。実際、遠距離って始まりや乗り越えたときはそれだけの価値があるって思えるけど会っている時間にも確実に愛は育まれているものだと最近感じる。ちょっとした会話ややりとり、気遣い、二人の日常の中に愛を感じる瞬間がたくさんあると思うから。24時間365日会い続けていたらうんざりするもんなんかな。

ねえ、私が死んで100年もたてば、誰もわたしの存在なんか覚えてないわね。
①当たり前なんやけど急に寂しく感じた。自分のこともやけど自分が愛した人たちが忘れていかれるのは寂しいなって。

②わたしのこともそうやけど、この先、わたしの家族や友達や大好きな人のことを覚えている人はいなくなっていく。自分の中に生まれた嬉しい気持ちも悲しい気持ちも、その人たちとの思い出全部を記録したい、って思った。他人はそんなものに興味はないかもしれん。でもその本質は伝えていきたいなって思うから。

③100年以上既に残っているもの、文章や写真や映像なら残せるのかも。今のわたしにとって大切なもの全て。人でもいいし、気持ちでもいい。街も全部。ちょっと久しぶりに、写真撮りたい!!ってなった。残したい。残すこと。形にすること、それが本来の目的やん。わたしが好きやった写真や映像って誰かに評価されるためじゃないやん。って気づけたよ。

「あらゆるものは通りすぎる。誰にもそれを捉えることはできない。僕たちはそんな風にして生きている。」
①最近の自分の哲学に通ずるものがあった。

②流れに身を任せる、それはわたしの生き方でもあるしこれからもそうしようと思っていること。出会いも別れも過去も未来も憧れもどんな感情も掴めないもの。そこにあって、そして通り過ぎていく。それ以上何もすることはできない。又吉の月の話と似てる。そこにあるだけ。

③なるがままに放っておこうと思う。過去の栄光に縋るのをやめる。自分たちはそこに存在するだけのこと、

「幸せか?と訊かれれば、だろうね、と答えるしかない。夢とは結局そういったものだからだ。」
①だろうね、っていう返しがいい。「とっても幸せ」とか嘘でも言えば幸せになるんだ~とか言って、最近いろいろ幸せについて考えてたからな。そんな自分と反対やったから惹かれた。

②幸せか?と訊かれて嘘でも「幸せ!!」ということで幸せになろうとしていた最近のわたしやからこそ、「だろうね」なんて適当な感じで答えてしまうところが人間味があって、綺麗事じゃないというか無理してなくて好きや。わたしも、わたしはほんまに幸せと思って幸せって言うこともあるし反対にちょっとモヤモヤしながらも幸せって「言い聞かせている」時もある気がするから、嘘ついてないなんのドラマもない日常をそのまま包み隠さず言い切っている所が好き。そして人生ってのはけっきょくそのなかで満足するしかないんよな。

③自分の感じていることに対して、無理に嘘つくことはしない。けど、どんな状況でも捉え方次第なことも忘れない。そのバランスよな。「だろうね」って言い切ってもいいことも自分の中で覚えていたいしそれを言い切る勇気を持ちたい。そして夢とは思っているよりも普通だったりするので「これを叶えたら絶対幸せなんだ」みたいな姿勢を止める、あまり追い求めないようにしておく。でも何かに夢中になって目指してるときって楽しいよな~~。


全体的に

断片的に思い出が残る、小学生の夏休みみたいな感覚。これ!という一つの一連の出来事やテーマについて、というわけではないから。一夏の、という感じ。

読んだ後はLo-fiを聴いていたからかやっぱり切ない気持ちになった。所々そんな気持ちにさせる要素があったからかな。死や別れや平凡な日常への適応とか。

けっきょく過去に死んだ女の子についても詳しく書いていなくて、ちょっとモヤモヤが残る気もする。焦点を当てたい女の子は小指の子の方やったんかな。とゆうか焦点は一人に当てるつもりはなかったんかも。

ベットの女の子の話で、ばあちゃんを思い出したんよな。入院中ばあちゃんはどんな気持ちやったんやろう。わたしもっとお見舞い行って、一緒に楽しく時間を過ごしてあげればよかったなって。孤独な時間を想像したら申し訳ないとゆうか、もっと寄り添いたかったと思う。最近ばあちゃんの話題多いな周りで

墓石に何を残すかを考えみた。何歳で死んだとしてもお茶目な自分でいたい気もするからな~。「なんやかんやで楽しかったわ!またな!」くらいしか今思いつかん。わたしが死ぬときって誰が生きてるんやろう。生き方定まってないみたいで嫌になってきた。

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