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両親の離婚から転がり落ちる

 親との最古の嫌な記憶は8歳の頃。
朝起きたら両親が喧嘩してた。目を開けたら母親が父親の頭を衣装ケースの蓋で殴ってた。
何が起きてるのかさっぱり分からなかった。
そのうち母親は泣きながら外に出て行った。
訳が分からないなりに母親が居ないと不安な子供だった私は、泣き叫びながら後を追おうとしたが父に止められた。
父は「戻ってくるから大丈夫」みたいなことを言ってた気がする。
その通り、ちょっとした後に母親は戻ってきた。
何をしに外に出たのかは分からない。
泣きじゃくる私に母親は「どこか行っちゃうと思ったの?置いていくわけないでしょ」と言ったのを覚えている。

 そこから記憶は飛んで。
知らないうちに両親は離婚していた。
気付いたら私は父親の実家で、父方の祖母と暮らすことになっていた。
親権は母親なのに。

 なぜこんな捻れが発生したのかを説明する。
まず私の母親はタイ人。
離婚した時にタイの実家に帰ることを考えたらしいが、私は生まれてからずっと日本で暮らしていたため、タイに連れて行くのは可哀想だと思ったからだそうだ。
私は母親の言うことは信用していないので、この発言が本心かどうかは知らない。
あと5歳離れた弟がいる。当時は3歳だった。

 話は戻る。
母親は日本語が片言な上、読み書きはできない。
持っているのは運転免許くらい。
靴の製作所や蕎麦屋でアルバイトをしたこともあったがパワハラやセクハラで続かなかったらしい。
最終的に、タイ人の経営するスナックで働くことになった。
スナックなので当然夜の仕事になる。
子どもを置いて仕事に出る訳にも行かず、仕方なく父方の祖母の家に住むことになった。

 祖母の家は県営住宅で、ゴキブリ出放題の設備ボロボロ、住んでる人達は井戸端会議で悪口大会をしているクソな団地だった。
母親は数日おきに会いに来ては1時間も経たず自分の家に帰っていた。
弟がいたので不思議と寂しさはなかった。

 後々に祖母から聞いた話。
両親の離婚直前に祖父が亡くなったのだが、祖父は両親の仲を取り持つストッパーだったらしい。
祖父がいなくなったことにより、父親が暴走して借金を作り離婚に繋がったようだ。
母親が言うには、私の妊娠中からお金が無く、ミルク代やオムツ代を祖父母に貰いに行っていたらしい。
断られて追い返されたこともあったらしい。
「あの時は泣きながら頭を下げて本当に惨めだった」と言っていた。
 
 妊娠中の母親がストレスフルだと胎児に影響が出ると聞いたこともあるし、産まれる前からお金がなかったであろうことは予測できるので、私が胎内にいた頃から栄養も片寄ってたんだろうなと思ってしまう。
私は左耳が難聴だし。


推敲してないので誤字脱字があるかもしれない。
今日はこの辺で。

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