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大吉原展と紅子さん:性産業に生きる女性たちを想う①

今年の新年会。
「吉原」付近で働くドクターから「吉原の住民が、今度東京芸大に美術展のテーマとして吉原を取り上げてもらえることになって喜んでいたんだよ」と聞いた。
吉原と言えば「元々遊郭で現在はソープ街」。
いかがわしい場所としてその存在を無視され続けている街でもある。
でも、吉原は過去に数々の芸術や文化が生まれた場所。
売春を経済基盤にしてきたという許されない要素がある一方で、当時の殿方を魅了した別の美しい顔を持っている。

吉原についてこれまで全く関心が無かった私。
吉原を含む性産業、そしてそこで働く女性達に無関心なままでいるのは、医師として何だか無責任に感じていた。
これも何かの縁。吉原の世界を覗いてみようかな。
そして男性側から見る遊郭でなく、遊女たちの眼に吉原はどう映っていたのかみてみたい。
そういえば、吉原で元ソープ嬢の写真展も開かれるらしい。
「性産業で働く女性たちの思いを知りたい」というシンプルな動機でこの日の外出先が決定する。

雨上がりの休日朝、上野公園へ。
開場時間が10時なので、それまでの間園内を散策する。

不忍池辨天堂の屋根にチュン
不忍池にカイツブリ
モフモフ、カイツブリの子供たち
雨上がり、空は洗い立ての色
東京芸術大学に到着

私は医師として色んな人生を見ているけれど、性産業に関わる女性たちの人生に触れたことが無い。
日の当たらない世界でひっそりと生き、どこか忌避されがちな彼女たち。
まずは「大吉原展」で江戸時代を生きた遊女たちの人生を覗いてみよう。
館内は撮影禁止だ。

1618年に幕府公認の遊郭として誕生した吉原。
最初は日本橋にあったが、1657年の大火で現在の位置に移転した。
1872年に明治政府が芸娼妓解放令を発令するまで250年近く栄えたという。
館内には喜多川歌麿、葛飾北斎、歌川広重などの日本美術を代表する絵師たちが吉原を描いた作品がずらっと展示され、浮世絵などを通して吉原の歴史や文化、遊女たちの教養やファッションなどがテーマごとに紹介されている。
驚くのは、その集められた絵画の多さ。
当時の美術界の有名人の多くが吉原に関心を寄せていたことが分かる。
吉原では売春だけでなく、春には桜の木をわざわざ植えて花見を楽しんだり、華やかな年中行事があったりしたそうだ。
文化の発信拠点として機能していた吉原。
歴史をたどりながら浮世絵の数々を見て回る。

後に購入したクリアファイルより「吉原の花」

作品で一番印象に残ったのは、喜多川歌麿が描いた「吉原の花」だ。
1791年頃の作品で、1.9x2.6mの大きさながら細部にまで手抜きの無い筆仕事。迫力がある。
美人画の第一人者だった歌麿。登場人物はすべて女性だ。
女性だけ描かれた世界はとても華やかに見える。
現在はアメリカのワズワース・アセーニアム美術館で保管されているという。

吉原に入れられた女性は、借金の返済が終わるまで吉原を出られない。
大半の遊女が本意ではなかっただろう。
しかし描かれる遊女たちは皆艶やかで、身体を売るだけでなく芸を身に付け披露している。
その華やかな姿が「男性の」目を通して描かれている。
彼女たちは望んで吉原にきたわけでないけれど、置かれた場所に適応し工夫する姿にたくましさを感じた。

一方で、数枚の写真が私の心に大きく突き刺さる。
時は明治から大正時代に差し掛かり、吉原の記録が絵から写真へ移りゆく。
男性絵師が描く艶やかな姿からは程遠い、幼さが残る遊女たちの写真。
冷や水を浴びせられ、現実の世界にぐっと引き戻される感覚だった。
10代で身売りされ、男性の相手をせざるを得なかった彼女たち。
男性にとって吉原はパラダイスだったのかもしれないが、彼女達にとってはさぞ苦行だったに違いない。

会場奥には、辻村寿三郎らが作成した「江戸風俗人形」が展示されている。
こちらは写真撮影可だ。

遊郭を再現したミニチュア
窓から覗き見。リアルすぎて背徳感がある。

傍に添えられた辻村寿三郎のコメント。
悲哀を潜めた遊女に寄り添おうとする男性側からの温かいメッセージに、ぐいと心を掴まれる。

葦の吉原仲の町。
悲しい女達の棲む館ではあるのだけれど、それを悲しく作るには、あまりにも彼女たちにむごい。
女達にその苦しみを忘れてもらいたくて、絢爛に楽しくしてやるのが、彼女達へのはなむけになるだろう。
男達ではなく、女達だけに楽しんでもらいたい。
復元ではなく、江戸の女達の心意気である。
女の艶やかさの誇りなのだ。
後にも先にも、この狂乱な文化は無いだろう。
人間は、悲しみや苦しみにも、華やかにその花を咲かせることができるのだから、人の生命とは尊いものである。
私は、置屋の料理屋で生まれ育ったので、こうした苦界の女達への思い入れが、ひとより深いのかもしれない。
辛いこと、悲しいこと、苦しいこと、冷酷なようだけど、それらに耐えて活きているひと達の、なんと美しいことだろう。
ひとの道に生まれて来て、貧しくても、裕福でいても、美しく活きる姿をみせてこそ、生まれてきたことへの感謝であり、また人間としてのあかしでもあるのです。

辻村寿三郎「ジュサブロー展」図録 作品解説 1992年より

辻村に言わせると、吉原は「後にも先にもない狂乱な文化」。
女性の人権を無視した「殿方にとって夢のような世界」は、女性の権利が確立しつつある現代となってもう再現されることは無いだろう。
私には、女性の人権を無視した当時の男性たちによる「悪ノリ」文化にみえる。
吉原には「儚さ」という言葉がぴったりくる。
華やかな彼女たちの面ばかりが描かれているけれど、その裏には悲しみや苦しみが確実に存在していたんだね。
彼女たちが苦しみながらも美しさを追求したこの文化。
汚らわしいものとして抹消するのではなく、大切に伝えていかないといけない。

「大吉原展」、来て良かった。
200年前に実際に存在したとは思えない独自の世界。
吉原を性風俗だけで終わらせず、文化や芸術の中心として繁栄させた女性たちの底力。
そしてそれを上回る彼女たちの犠牲。
臭いものに蓋して終わりにせず、物事の色んな面を知ることが大事だと思った時間だった。

さて、お次は現在の吉原に目を向けてみよう。
吉原で働いていた女性の写真展を見に、上野公園を後にする。