青年海外協力隊、帰国、職探し


協力隊でモザンビークへ

 
協力隊でルワンダかガーナに行きたかったのには理由があって、英語圏で経済が盛り上がっている感じがあって(これを書いている今ガーナでデフォルトが発生したニュースがありましたけど)二年の任期が終わってからもそこでやっていけそうな気がしたからです。モザンビーク派遣の通知が来たときに、モザンビークについての知識は場所と首都名と、ポルトガル語圏で過去に激しい内戦があった、程度でした。Wikipediaを見るところから始めました。
 
 退職して二か月弱二本松の訓練所に行きました。訓練は語学が中心でポルトガル語を一から勉強しました。少人数のクラスで新しい言語を身に付けるには非常によい環境だと思います。語学以外にもよい友人に恵まれて充実した時間を過ごしました。毎朝のジョギングでほぼ毎日ダッシュをしていたのでこの時期が人生史上最も体力的に充実していました。
 

職場の方に頂いた名前入りユニフォームを着て走っていました。
13Sチームというところで働いていました。


 
 2015年の10月にモザンビークに行きました。任地はイニャンバネ州のビランクーロといって知る人ぞ知るビーチリゾートです。最近ではイギリスの王子様が来たとニュースになっていました。職種はコミュニティ開発というなんでも屋さんで、地域の経済関連の行政機関に配属です。私以前にすでに二代の隊員が同じところに派遣されており三代目でした。要請内容はざっくりまとめると現地の人たちの収入を向上させてくれ、といったものでした。協力隊を受験した時から任期が終わったら行った国に住もうと思っていたので、どういうことをやったら稼げるのかを色々試しました。色々試して全部失敗しました。「これを続けてスケールさせたら日本人が暮らせるぐらいの収入を得られそうだ」と思える活動は出来ませんでした。「全然知らない見知らぬ土地へ行って、自己資金(といっても数十万円ぐらい)で一から事業を起こそうと思ったらそれは2年では全く足りないだろうし失敗するのが普通でしょう」と今なら思うのですが。気負い過ぎていたのだと思います。
 ボランティア的にも、ボランティアが帰国してからも現地の人だけで自走できる何かを残すこと、いわゆる仕組み作りが出来たかというと出来ませんでした。任期の終わりごろは体調も悪くてメンタルも不調でした。

隊員の時、農家さんと

帰国してからの進路

 
 帰国後の進路は悩みました。隊員として派遣される前はモザンビークに住むつもりだったのですがまた戻りたいとは思えず、でもアフリカに対する思いは捨てきれずでした。自分でアフリカで商売をするのは難しいというのは分かりましたが、日本の企業にまた就職して駐在員になるまで何年か日本で働いて空きポストを待って、というのは出来ないと思ったのでJICAの専門家としてどこかアフリカの国に行こうと思いました。高給なので奨学金を一気に返済できるだろうという思惑もありました。
 JICAの仕事に応募するにはTOEICの点数が必要だったのでとりあえずクリアすることにして、実家の神戸に戻って図書館でTOEICの勉強を始めました。帰国した月は10月で少しすると寒くなってきました。実家は神戸の北区です。どういう場所か知らない方に少し説明するとほぼ全域が山を切り開いて作られた新興住宅地で、実家の近所が開発されて売りに出される際には神戸の軽井沢という謳い文句だったとか。ちなみに実家のある、そこより少し北辺りは神戸のヒマラヤと呼ばれていたらしいです。ものすごく寒い土地柄なのです。年中半袖短パンとサンダルで生活していた南国帰りには過酷な環境で、図書館の自習室でしばらく勉強していると手がかじかんできて勉強どころではない感じでした。
 寒かったので沖縄に行こうと思いました。JICAの応募はオンラインで出来るので生活費が安いタイとかに行こうかなとも思ったのですが失業保険の関係でハローワークへ行く必要があって、じゃあ一番南の方に行こうということで沖縄にしました。ネットで不動産情報を探したら琉球大学の近所、中城村に格安の物件があったので年が明けて1月から沖縄に行きました。
 
 あのタイミングで沖縄に行って本当によかったです。特にツテなどなく、いきなり観光地でもない場所に来た謎の人だったのですが、地域の人たちに温かく迎え入れていただきました。本当によくして頂きました。滞在は7か月ほどでしたが人生で一番成長した期間だったと思います。
 
TOEICの勉強は1月に900点を超えた後、次の受験のタイミングにどうしても外せない用事が重なってしまい、足切り点は超えていたのでもう十分かなと思ってやめました。その過程であるきっかけがあり、漠然とアフリカではなくやっぱりまたモザンビークに戻ろうと決意しました。
 
 そんな感じでモザンビークに派遣される専門家のポストの公募があるのを待っていたら出てきました。どんな内容の募集だったかは忘れたのですが応募したら書類で落ちました。というサイクルを3回か4回ほど繰り返してどうやらこのままでは駄目そうだと思っていたところ、JICAが国際協力関係の仕事がしたい人向けのオンラインキャリアカウンセリングをするという案内がきまして早速申し込みました。予約した時間に接続したところJICA側の機材トラブルか何かでうまく接続出来ないまま面談時間が終了しました。日を改めるということになった別れ際に、「こちらはこの日のためにPC用の機材を買ったり準備したのに。しっかり対応してほしい」みたいな軽い文句を言ったら面倒くさい人認定されたらしく、次の回は偉い人が出てきました。お名前など忘れましたが「ぼくが直接面談することは基本ないから。貴重な機会なのでなんでも聞いてね」と言っていたので偉い人だったのだと思います。 
 覚えているアドバイスを要約すると、「専門家っぽくない。ゼネラリストとして優秀だというアピールをしているけれど専門家向きじゃないね。話した感じやキャリアを見ると国際協力という感じがしない。ビジネスの方があってるんじゃない?若い人たちがアフリカビジネス界隈で盛り上がってるらしいからそういうところに顔を出してみたら?」という感じでした。今振り返ってもかなり踏み込んだカウンセリングだったなと思います。カウンセリングが終わって休憩がてらFBを開くと、翌週に東京にてアフリカ各国で起業している人たちのパネルディスカッションがあるという案内があったので申し込んで東京行きのチケットを買いました。それが6月だったと思います。
 



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