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令和の音楽

またnoteに戻ってきた。
というか、noteの存在をずっと忘れていた。
書きたいこともなかった。
アウトプットが怠かった。

私はずっとフラストレーションが溜まっていた。
子供は手がかからなくなり、夫は樹木のように穏やかで、パートに行き炊事をし毎日を消費するだけの日々は凪いでいて元来激しい情動に飢えている私には些か退屈であった。おそらく人々はこれを幸せと呼ぶのだろうけど。

4年前の冬、子猫の時から育てた猫が死んだ。
その時私の中から何か大切なものが確かに抜け落ちて、私は多少(かなり)心というか自分の中心部が傷ついてズタボロになった。
小さな命が私を作り、私を壊した。
ずっとそのズタボロになった所を見ないように蓋をして平然と日々を消費した。時々蓋を開けて泣いたり、後悔したり、懺悔したりした。

昨年から、私の大切な思い出であり心の中の礎となっているミュージシャンの訃報が続いて、私はまた参っていた。
どんどん失って、失い続けてこのまま年老いていくのかと。悲しみを積み重ねていくだけの人生なんて送りたくないと私は焦った。

自分の老いを実感する毎日だ。いつしか中年太りはしているし、どこかしらが常に痛い。
自分が老いるのだから猫も好きな人も老いて、死ぬ。当たり前の摂理なのだけど。
多分私はまだ足掻きたい。
もっと感情を揺り動かしたい。
忘我して踊って、言語化できない情動の波に呑まれたい。

死を見つめて
またやろう、という感情が戻ってきた。

そして令和の音楽に触れ、ライブに行ってきました。
その事は次の記事で書こうと思う。


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