moyassa

考えることと書くことと猫を見ることが好き。川谷絵音とyamaとずっと真夜中でいいのにと…

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考えることと書くことと猫を見ることが好き。川谷絵音とyamaとずっと真夜中でいいのにともぐらコロッケをこよなく愛している。ハンドルネームは昔々インターネットの大切な場所で大切な人達に呼んでもらってた名前。突然アウトプットしたりしなかったりします。

最近の記事

生き物に赦されている

子供の頃近所に乗馬クラブがあった。 小学生だった私は勝手に侵入し馬を眺めていた。 たぶん親に苦情が来ていつしか出禁になった。 子供の頃廃墟のようなプレハブ小屋に沢山猫を飼っているおばさんがいた。 小学生だった私は時々下校時に猫を見に行った。 子供の頃通学路を少し外れた場所の家の庭に大きなシベリアンハスキーがいて私は勝手に侵入し犬を撫で回していた。 全て記憶が曖昧で多少(大部分?)が改竄されている気もするけれど 私の人生の傍にはいつもちいさな生き物がいる。 生き物に生か

    • 令和の音楽2

      私の原点・原体験はBLANKEY JET CITYであり、椎名林檎であり、Coccoであり、ゆらゆら帝国であり、Radioheadである。 人は17歳の時に聴いていた音楽を一生聴き続ける、とどこかで読んだことがあるが成る程。 今でも上記の音楽を聴くと心が搔き乱されるし、当時の空気感や匂い、気持ちなどとセットで記憶として立ち昇ってきて平常心ではいられない。 私は新しい音楽を聴こうと思った。 過去をなぞるのもいいだろう。だが停滞している自分には適度な新陳代謝が必要だと感じた。

      • 令和の音楽

        またnoteに戻ってきた。 というか、noteの存在をずっと忘れていた。 書きたいこともなかった。 アウトプットが怠かった。 私はずっとフラストレーションが溜まっていた。 子供は手がかからなくなり、夫は樹木のように穏やかで、パートに行き炊事をし毎日を消費するだけの日々は凪いでいて元来激しい情動に飢えている私には些か退屈であった。おそらく人々はこれを幸せと呼ぶのだろうけど。 4年前の冬、子猫の時から育てた猫が死んだ。 その時私の中から何か大切なものが確かに抜け落ちて、私は多

        • ハロー私の感受性

          ハロー。久しぶりだね。 君が私の中にやって来たのはあれは14だか15だかそのくらいの時だったね。 一緒に大人になったね。たくさんの苦しみを教えてくれてありがとう。君が私の中に来てくれてなかったらこの人生はとてもつまらなかったと思えるんだよ。 いなくなったと思っていたら君はふらりと戻ってきたね。 あの頃より少しだけ君も私も老いたから、あの頃みたいに素直に君と向き合うことは出来ないかもしれないけれど。 でも今の私は知っているよ。君が持ってきてくれるものは苦しみもあるけれ

        生き物に赦されている

          言葉を束ねるのは難しい

          女性はマルチタスクであるといつか何かで目にしたけれど私は究極にシングルタスク人間であるなと思う。 人と関わることに注力すると自分の内面を見つめることができなくなる たくさん書きたいことがあったはずなのに全部霧散して、他人の表情とか言葉を読み取ることだけに必死に集中してしまう どうにもバランスを取ることが難しい あの言葉たちはどこに行ったんだろう?霧散して消えていったように見えて、どこかに隠れて期を見ているだけで、また戻ってきてくれるのだろうか?また、空っぽだ ふつふ

          言葉を束ねるのは難しい

          隙間

          我が家のキッチンの換気扇の電球は3年間程ずっと切れている 夫は不便だから換えたら?と言うが私はそのままに敢えてしている 我が家のキッチンは家の中の最奥にあり昼でもかなり薄暗い 換気扇のゴオーという音の下の暗がりにただ座っているのが好きだ 子供が赤ちゃんだった頃泣き止まない時ここで換気扇の音を聞かせてみたりしたなとか(赤ちゃんは換気扇の音が落ち着くらしい)思い出したりしながら 静かに暗がりに息を潜めていると日常の隙間に入れる気がしてとても落ち着くのだ 私は現実からプ

          惚気話

          夫の好きな所は私に無関心な所だ ただの無関心ではなく、底に深い愛のある無関心 夫は私の外見にも思考にも興味にもまるで関心がない 私が鬱々としていてもひどく興奮していても激昂していても狂喜していても それがどうかしたの?とお構い無しに気球みたいにそこに浮かんでいる 夫は多分真に自立した人間性を持っているので他者と自分を重ね合わせたりなどしないからだ 突き放すのではなく放っておく そういうスタンスで配偶者を愛せる夫を私はかなり、尊敬している

          惚気話

          移動販売車

          聞きなれないメロディーにふと目を覚ます。いつの間にか眠っていたらしい。スマホの時計は午後2時36分を示している。窓の外に見える空は今にも降りだしそうな灰色の雲で覆われている。 聞きなれないメロディーが少しずつ近づいてくる。移動販売車だ。パイプオルガンのこれはまるで不協和音だ。一体何の販売車だろう?映画で見た外国の教会で流れている宗教音楽のようなメロディーの正体を確かめたくて私は外に出た。 アパートの共同玄関を出て道路に出ると丁度移動販売車が角を曲がってこちらへ向かってくる

          移動販売車

          変なの

          消えそうな感情を掴まえて 消えないようにそっと浮かべておくのが文章を綴ることだと信じている身としては そうじゃないお金に換えるだけの無為な文章は 理解できない 変なの

          変なの

          猫を見る

          朝起きてまず猫を見る 猫も私を見る 猫が何か話しかけてくる たぶんオハヨウと言っているので私もオハヨウと言う 猫が窓の外を見る 私はそんな猫を見る 猫はソファーで丸くなり私を見ている 私も猫を見る 猫の下に子供の服がある 猫が服をあたためてくれているのだなと私は解釈する 猫にそんな意図はないのだとしても 猫がいて服があって結果的にあたたかい服を子供は着られる 意図と解釈がずれていても 結果オーライ そんな風な人生を生きるのだ 猫から学ぶことは多い

          猫を見る

          繊細さは罪なのか

          その人らしさを何かしらにカテゴライズすることは好きではない 精神科医や心理学者に一体何がわかるというのだろうと思ってしまう 傷つきやすいことは罪か 弱さは悪か 群れから外れるものは愚かか 異端は排除されるべきか 個性にラベリングしてひとまとめにすることで居場所を得るべきじゃない あなたはそのままでいいんですとか耳障りな言葉を使って差異をつけてはいけない 何もおかしくはない。繊細さも臆病さも慎重さも、そうでない人間と大きく違うものではない。 多面体じゃないか

          繊細さは罪なのか

          子供目線

          テレビを見ていてCMになる。子供はいつも、CMもとても真剣に見る。 テレビの前で正座をしたり体育座りしながらCMすら真剣に見る。 ビールのCMが流れる。グラスとグラスがぶつかり合い、注がれたビールが波打ち弾ける表現を見て、子供は「あっ こぼれたよ もったいないよ」と言う。 私はいつも子供が飲み物をこぼしたり味噌汁をこぼすのを咎める。注意が足りない、飲食物を大切にしろ、食卓を汚さないように食事しろと、割と口うるさく言う 母親はああ言うのにどうしてビールは派手にこぼしても

          子供目線

          限界

          どんな言葉でも表現できない感情がある それを綴ろうと沢山の本を読んだ それでもどうしても、どの言葉にも当てはめられない感情がある 言葉をバラバラにして難解なパズルを組み立てるように色んな角度から組み合わせていってもあぶれる感情がある インプットもアウトプットもできない感情がどうしても残る 私はその感情たちをどうしようもなくただ、忘れないように眺めて認めてやることしか出来ない いつか死ぬ日まで、その感情たちに名前をつけて文章にのせてやりたいとずっと願っている

          ひとりになりたい

          1人になりたいなとふと思うのは、きっと私が孤独ではないからだなと思う。 家族がいて、何不自由ない暮らしがあって、一週先の一ヶ月先の一年先の予定があって、母親として妻として猫の飼い主として役割があって でも時折何もかも忘れて、完全に1人になりたいと思うのだ そんな時は一先ず何時間でも眠るようにしているのだけど、その時間すら取ることが出来ない境遇の人がいて その人が永久に眠りたいと考え実行したとしてそれを誰が責められるだろうか というようなことを、うとうとしながら考えた

          ひとりになりたい

          悪趣味

          彼女は幸福を信じられない。 右ノ上葉子(33)。ありふれた主婦である。地方都市、ローンを組んで購入した小さな建売、2人の子供、穏やかな夫、ささやかなパート、健康に不安はなく生活は順調。結婚生活も8年目でまぁこんなもんだろう。可もなく不可もなくな毎日は端から見ると十分すぎるほど「幸福」だ。 葉子は幸福を信じられない。 毎週水曜日投函される地域のフリーペーパー。一画に小さく載っている賃貸物件の広告。単身者専用敷金礼金なし。1ヶ月フリーレント。築40年。葉子は鋏で丁寧に切り取

          悪趣味

          宮沢賢治と米津玄師は同じ景色を見ている気がしてならない

          日本人の音楽好きの多くは米津玄師が好きであることは、先日リリースされたアルバムの売れ行きやYouTubeの再生回数の多さで明らかだが、私も米津玄師が大好きだ。いい歳こいて信奉しているといっても過言ではないレベルで好いている。 もしも2020年現在、私が10代で米津玄師に触れていたらどうなっていただろう。あの多感な時期にこんな素晴らしい才能の若い男性の音楽を信奉していたら。ちょっと人生が変わるレベルで魂から呼応していただろうとすら感ずる。 彼の良さはたくさんあって、もうなに

          宮沢賢治と米津玄師は同じ景色を見ている気がしてならない