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茂おじちゃん

私の父方の親族とその配偶者は、祖父母含め、全員教員でした。
父だけが会社員(新聞記者)。父に遊んでもらった記憶はほぼありません。
小さい頃は不在がちな父の代わりに親戚が可愛がってくれて、特に私は叔父である茂おじちゃんが大好きでした。
その叔父のことを書いた文を13年前に「くらしの詩をつづって2007」という本に載せていただきました。それを転載します。

今は成人した私の子どもたちが小中高校に通っていたころの文章です。とっくに叔父の亡くなった年齢を超えました。あらためて本当に優しい人だったと振り返ります。

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茂おじちゃん】

茂おじちゃんは父の弟です。私が産まれた頃は高校生で同居家族の一員でした。仕事が忙しい父に代わって、ずいぶん遊んでもらいました。今思えば、よくまぁうるさい子供達の相手をしてくれたものです。私も弟も従兄弟達も、叔父のことが大好きでした。


そんな茂おじちゃんが突然の心臓の病で亡くなりました。54歳でした。叔父は大学卒業後、中学校の先生として10年勤めた後、先生を育てる立場となりました。葬儀には会場が溢れる程大勢の教え子さん達が集まりました。涙の中、教え子さんの心のこもった弔辞を聞き、私は初めて「教育者」としての茂おじちゃんを知りました。


昔、叔父の前で「教員採用試験でも受けてみようと思って」と軽はずみに発言したことを恥ずかしく思いました。志があいまいな者は教師になる資格はないと怒りたかったに違いありません。愛妻家で子煩悩な優しい面しか知りませんでしたが、先生としての厳しい話も聞きたかったです。葬儀の後、家に帰ってアルバムを開き、産まれたばかりの私を抱っこしている若い茂おじちゃんを見つけ、私はまた泣きました。


あれから何年か経ち、今年は七回忌を迎えます。私の子供達は沢山の先生や仲間と出会いました。学校では、時に、いろいろな問題も起こります。私を含め大人達は、社会の宝を大切に育てることができているか、茂おじちゃんが厳しいけれど、優しい目で空から見ているような気がします。

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「暮らしの詩をつづって2007」北海道新聞社編より



 

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