松田佳之

福岡県在住。妻と息子の3人家族。 林業をしながら写真をやっています。

松田佳之

福岡県在住。妻と息子の3人家族。 林業をしながら写真をやっています。

マガジン

  • 「流れる時間。」

    2023年11月23日から25日にかけて、 福岡県久留米市に在るholmというカフェで自身初の写真展を開催しました。 その時の写真や言葉をマガジンにしています。

最近の記事

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写真展「流れる時間。」

数日前に3日間という短い期間で初めての写真展を開催した。 都合がつかず、写真展に足を運べなかった友人たちに向けて、 本noteで展示をまとめたいと思う。 正直に話すと、展示内容を有料にしようかとか、そもそも載せないでおこうかとか、色々と迷ったけれど、初の写真展ができてよかったね。で終わらせたくはないので、ここできちんとまとめておこうと思う。 無料にしたワケは、有料にしたところで僕の懐にしかそのお金は流れ込まず、いや入ってくる保証もないけど。展示を快く受け入れてくれたho

    • 5月に撮った写真

      山の麓から平野部へ段々と田んぼが潤い、ツバメたちが軒下に泥や草を運ぶ。山仕事の合間に沢の中に入るとカニが顔を出す。公園には露店が一軒、かき氷を売っている。朝のニュースでは気温が30℃を超えると耳にする。もうすぐ2人目の子が産まれる。産まれた月日を足したり引いたりすると、3という数字がつく人が家族に多く、書いている今日か、28日にポンと出てくるのではないかと盛り上がった。5月は遠くへでかけることができなかった。 目にしたこと、食べたもの、耳にした音、手に取った感触、鼻を通る香

      • 細かい年輪幅。

        ここ数日、目覚ましをかけた時間に起きれないことが続いている。そしてひさしぶりに起きることができた。 仕事から帰ってくるのが夕方の6時から7時の間、それから家族で食事を済ませて寝室に入るのが夜の9時半ごろで、子どもの絵本を読んだり、僕が読みたい本を読んで寝入るのが10時ごろ。 それで目覚ましをかけている時間というのが、4時。何かを生み出す時間を確保したくてこの時間に起きるという目標を立てた。はずだった。 夜の時間を諦めて、このタイムスケジュールを組んでいるんだけれど、今週

        • クヨクヨ期の父とヤルヤル期の息子

          書くことができないと思っていても、書き始めたらそれができることが往々にしてある。書くまでは、いやぁ、今日もかけることがないなぁと思っていても、書き出したら止まらないことがある。いやぁ、書き出してもやっぱりどうしょうなくつまらないなぁ。と自分で自分を否定してしまう時の落差もあるのだけれど、その話を面白いか判断するのは、「SNSの先にいるどなたか」なので、自分でそれを判断しなくて良い楽さというものがある。 しかも、ここではおいそれと自分の内面性を両手をあげて差し出して共感を得る

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        写真展「流れる時間。」

        マガジン

        • 「流れる時間。」
          4本

        記事

          楽しみを構成するほんの一部。

          撮った写真を見返していると、あることに気づいた。その写真をいくつか。 何か共通点があることに撮った本人がようやく気づいた。撮っている全てではないんだけれど、意識の集合体としてその点群を見つけた。 いや、薄々もしかしたら、そうかも。と感じていたのだけれど、この際言葉にしておこうとおもう。どの際というと、思いついた今この際だ。 僕は、林業をしている。仕事として山をみている。林業という言葉よりも山仕事という方が良いなとおもうので、なんの仕事をしているの?と聞かれると、山仕事を

          楽しみを構成するほんの一部。

          同じ列車に3回。

          「ひとつのことを繰り返す。」というのは、単純そうに見えて僕にとってそれは難しいことの一つ。興味が湧けば、あれもいい。これもいい。と手を出してしまいそうになる。 先日は、兄家族が県外から帰省していたので、一緒に幼い子供向けのテーマパークへ出かけた。十数年ぶりにそこへ訪れてみると、観客数はゴールデンウィークの恩恵をしっかり受けていた。 園内に置いてある自動販売機は、まだお昼を過ぎていないというのにそのほとんどに売り切れの赤い文字がいくつも表示されていた。 テーマパークという

          同じ列車に3回。

          後の人生に大きく影響を及ぼすもの。

          いつも頼んでいる現像所から写真が返ってきた。デジタルで撮るのも、フィルムで撮るのもどちらも好きだ。 フィルムで撮っていて良かったな。と思うことは、データをプリントして頂けることと写真ができるまでのプロセスに他の人と接する機会が生まれることだ。 いや、デジタルでも人と接する機会を生み出すことは可能だと思うし、フィルムにしても現像からプリントまでを自分1人ですることも可能だけれど、今の僕にその技術はない。 プリントして頂けるというのは、アルバムにする一役を担ってもらえる。と

          後の人生に大きく影響を及ぼすもの。

          ランチに行った2人。

          週末は、友人夫婦と会って話した。 2時間の人生をかけて、会いにきてくれることがただただ嬉しい。この日は雨だった。 ランチの後に立ち寄ったケーキ屋には、枯れた枝がディスプレイされていた。普段、山で目にする枯れ枝とは違って落ち着いた空間を装飾していた。道具や物はその立ち位置で雰囲気がガラリと変わって面白い。 友人と話している最中、息子はあらゆる場所を冒険の種にしていてた。机の下、荷物おきのカゴの中、家具屋さん、ケーキ屋の窓際、点字ブロックの上、水たまり、 大人になると、目を

          ランチに行った2人。

          行き当たりばったりなのがいい。

          先週末は、家族で旅館を楽しむために佐賀の嬉野へ。 6月に出産を控える妻の希望で、ひたすら旅館でぐったりする1日を過ごしたいということで、宿を予約していた。 正直なところ、料理を除いた他は残念な品質だったのだけれど、 それでもある場所で家族で過ごした。という時間は何事にも変えがたい。 どんな体験をするにしてもいいところだけを見ていると、その悪いと思った自分を否定することに繋がるかもしれないと思い込んで、こんなことを言っている。 次に宿に泊まる時は、相応の宿か諦めてチェーン店

          行き当たりばったりなのがいい。

          築かれるものと気疲れ。

          若さと老い、男と女、人種、経験の積み重ねの有無にとらわれず、その人との対話を楽しみたい。それは、その人との関わりの奥にある豊かさを知りたいから。 きょうの話は、 “声を大にして言うのは、実績が積み上がってきてからだろ。“とか、 “若いお前にはわからんだろうけど”というような一方的な言葉を受けたフラストレーションの行き場に困っているからここで書くことにした。 実力があるから言葉が伴うのか、 言葉があるから実力が伴うのか。については、僕は後者だと信じている。 いや、そう信じた

          築かれるものと気疲れ。

          出会ってきた点群の中間値。

          これまで、どれだけの人と会って話してきただろうか。 どれだけの人に尊敬や憧れの眼差しを向け、かく在りたい。と感じてきただろうか。いや、その反対に、軽蔑的な視点や自分ではやらないな。と心に決めた行動はいくつあるだろうか。 そういうことを考えながら雨雲の下で車を走らせていると、僕の輪郭というものは、良くも悪くも“これまで出会ってきた点群の中間値“で形作られているのではないか。ということを考えついた。 ともすれば、そのサンプル数は多いに越したことはないし、その質もまたよりよい方

          出会ってきた点群の中間値。

          映画館に行くまでの道のり。

          先週から妻と息子が車検のために郷に帰っているので、1人で過ごしている。週末になれば会えるのでもうしばらくの辛抱なのだけれど、いかに家族と過ごすことに依存していたのか。を考えている。 1人でいれば、洗い物を急いだり、ゴミ出しをきちんとしたり、部屋を掃除する強制力がなくなるからなのか、この1週間はかなり不摂生な時間を過ごしている。いやはや、家族が家の中に居るというのは大事なことなんだな。 単に早く妻と息子の顔を見たいのです。あぁ週末よ。 というわけで、不摂生を極めた結果、習慣に

          映画館に行くまでの道のり。

          撮りたいことの一つ。

          人は流れている時間を取り戻せない。 子どもと接していると、それを特に強く感じる。 前にも同じようなことを何処かで書いた気がするのだけど、書いておこう。 息子を撮る時に大事にしていることがいくつかある。 その中の一つが、彼が十数年先に家を離れるとき、生きていく中で大きな出来事に出会した時、幼い自分が五感で感じたことを思い返せるように。ということだ。 幼少期の原体験がその後の基盤になると信じている。 生きている人のその全員がいつか死ぬ。 その死ぬまでの間にどこで生きて誰と

          撮りたいことの一つ。

          飛び道具と5%

          最後まで読んでくれているのか。というところは重箱の隅にでも置いといて、noteを始めた友人との話でスキがつかない。という会話になりました。 そこで僕のnoteはどうなんだろう。とダッシュボードをひらいてみると、みてくれている人の5%の人が僕が書いたものにスキをしてくれているということに気がつきました。 当然、ひとつひとつの記事でみてくれている人の数とスキをしてくれている人の振れ幅はそれぞれ違うのですが、その全体の5%は複利のように効いてくるのではないか。と考えています。恥

          飛び道具と5%

          ファンタジー側の人。

          世界には、ファンタジーをつくる人がいる。 気づいていないだけで、身近なところにもそういう人はたくさんいるはずだ。 先日大阪へ行った時に、バーへ連れて行ってもらった。 今年に入って元々お酒が劇的に弱い僕はアルコールを摂取することを控えていた。程よく酔える許容量を超えていたのか、翌朝までそれが響いていた。酒の話はほどほどに、そこのバーテンダーと話したことを書こうと思う。 アルコールにも名前にもめっぽう弱いので、そういう話はしない。 バーのカウンターは、アフリカ原産のモモンガ

          ファンタジー側の人。

          2歳の頃の記憶はないけれど。

          夜を半袖で過ごせる季節がやってきました。 肌寒い春はどこへ。 2歳になった息子のプレゼントを買うために家電屋さんのおもちゃコーナーへ行きました。 2歳だった頃の記憶はほとんどないけれど、息子の様子を見ているとしっかりと考えを持っていて、好きなことと嫌いなことがはっきりしていて物心はすでに付いていそうだな。と感じています。 そこで買う前に妻と、息子が選んで自分が欲しいものを買ってあげよう。予算が余るようだったら自分たちが息子に買ってあげたいものを買おうという話をして、コー

          2歳の頃の記憶はないけれど。