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「死」とはなにか? 一度、踏みとどまって考えて欲しい

シェリー・ケーガン
誰もが「やがて死ぬ」とわかっている以上、「どのような生き方をすべきか」という疑問について慎重に考えるべきだ。

知人の死をきっかけに改めて考えなければと思い、『「死」とはなにか?』という本について購読しました。
僕自身の中での整理も含めて、記事にしましたので良かったら見ていってください。

しっかり、考えて欲しいからこそ口調いつも通り書かせていただきます。
ご了承ください。


本書は、
なかなか手が出にくいタイトルに、見た目もゴツく、日頃本をよんでいてもブルっちゃうぐらいの強そうな本です。

この記事をみて、読んだ気分になるのも良し、購入するか決めるのも良しだと思います。

僕のおすすめは、Amazon最強のサービスAudible(オーディブル)です。
始めは本が全く読めなかったので、音楽を聴くよな感覚で聞くようにしていました。耳から聞く方が、習得率が良いともされているます。


1.シェリー・ケーガンって?

まずは冒頭に出てきた、シェリー・ケーガンについてです。

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著者:シェリー・ケーガン
イエール大学哲学教授。道徳・哲学・倫理の専門家。
「死」をテーマにしたイエール大学での授業は、23年連続で「最高の講義」に選ばれているそうです。

ちなみに、Googleで画像検索するとだいたい教室においてある教壇に乗っかて胡坐をかいて説明している様子が出てきます。(可愛い)

シェリー先生はこの講義の内容について
「死の本質」あるいは「死という現象にまつわる心理学的な疑問や社会学的な疑問」だ。

と言っています。

要するに、「死んだらどうなるの?」と言っているわけですね。

気楽な親戚のおじさんみたいな雰囲気のシェリー先生の
人気講義の内容について迫っていきましょう。


2.死を恐れることはない

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あなたは、真剣に自分の「死」について考えたことはありますか?

考えたことがある人も、無い人も、シェリー先生にこう問われます。
「死ぬということはどういうことですか?」

あなたなりに考えてみてください。
(考え終わったら、次に進んでください)

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人間の機能を「P(パーソン:人格)機能」「B(ボディ:身体)機能」に分類しました。
P機能とは → 人格や記憶や意識です。
B機能とは → 身体を構成する心臓などを指しています。
そしてシェリー先生は問いを投げていきます。
人にとって「死」とは、意志決定ができなくなるP機能の喪失なのか?と。


P機能の停止の例

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・脳死状態
これはB機能は機能しているのに、意識や記憶がありません。他者から見れば生きている状態でも、本人にとっては…?難しい問題ですよね。

・睡眠時
睡眠しているときや気を失っているときも意識はありません。


B機能の停止の例

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これは一部機能しない場合もあることもありますが、生まれてからずっと機能しています。B機能がすべて停止した場合、P機能も喪失することになり、その物体は死体です。

シェリー先生は言います。
どちらの停止がより死に決定的かと言うとB機能の停止が決定的で、
「身体が作動し壊れる。死とはただそれだけ」と。


3.「死」は悪か?「不死」は善か?

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死ぬことは、果たして悪いことなのか?

これは、皆が一度は考えたことがあるのではないでしょうか?
僕らはなんとなく「死」というものを嫌って逃げようとしています。
大人になっても死ぬことは怖いです。まだまだやりたいことたくさんありますしね。

さて、シェリー先生は「死が悪いことか?」という問いにはこう答えています。

「不死は良いことか?」という観点からの検証です。
古来より不老不死を求めた為政者は少なからず存在しました。秦の始皇帝もそう言われています。不死を求めるとうことは死ぬまでにできない心残りがあるということなのかもしれません。
しかし何らかの方法によって1000年生きたとして、それは「私」なのでしょうか?

シェリー先生はそう投げかけます。

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つまり、B機能が停止したとしてもP機能が存続している状態です。
そのP機能はわずか50年の間にも趣味や価値観が変わるというのに、永遠に生きた私は、身体を何回も入れ替え、もはや1000年前の記憶や興奮など忘れ去り交友関係も違っているでしょう。それはもはや「今の私」と同じと言えるのだろうかとうのです。

これを聞くと、不死になった意味って何なんだろうとは思いました。
そう考えると、「死」と言うのは永遠の退屈を終わらせてくれるキッカケになるので悪いこととは言えなそうです。


4.「自殺」は善か悪か?

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シェリー先生はこう語っています。

自ら死ぬということは、回復の可能性をすべて断つことである。したがって、否定はしないが推奨はしない。

シェリー先生は自殺に関する章の中で、「生きててよかった」があるならば「死んでよかった」もあっていいと言っています。

この言葉には、自殺する人を全否定していない愛情のようなものを感じました。

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僕は、辛いことがあったら、「辛いことは次の成功への試練」と考えるようにすることで、少しはポジティブにとらえることを実践しています。

しかし、どうしようもない状況の人にしてみれば、あるいは私自身がその選択をするところまで来たとしたなら、未来の希望まで考えられるのか?
と思ってしまいました。


5.どう生きるか?

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私たちは、いずれ死にます。
※遠い未来の人はわかりませんが

死について考えるということは、「どう生きるか」という問いとセットで考えることになると、シェリー先生は言っています。

死を免れない私たちはどう生きるべきか?
人生は何かをやるには短い。追求するべき価値のあることに取り組むのがいいだろう。まずは達成可能性のあることをすること。死ぬ死なない以前に、人生を台無しにしないことが大事だ。

これは、シェリー先生だけでなく、多くの成功者が言っている考え方ですね。

僕の目標は
好きな仲間と好きな時間を過ごすことのできる人になることです。正直この目標には、まだまだ足りないことが多いですが、まだ26歳の僕にとって達成可能性があると思って日々取り組んでいます。

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さいごに

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「死」について考えることが、すなわち「どう生きるか」を考えること、というのが本書で改めて考えるきっかけになりました。

本書は、なかなかややこしい話ではありましたが、メッセージが何かを分かったうえで読んでいくと納得性のあるものかなと思いました。

なんとなくに生きるのではなく、達成可能性があり、やるだけの価値があることをしっかり考えて行動していきたいと改めて思いました。

今からあなたも、「なんとなく」をやめて一緒に、達成可能性のある価値のあることを考えて行動しませんか?

そして、いつもさいごまで読んでいただきありがとうございます。
今回はこの辺で「ばいちゃー☺」


ちなみに私が購読したのは、「縮約版」で、もっと分厚い「完全翻訳版」もあるので、購入するのであれば完全版のほうがよさそうです。




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