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10.そして一人旅が始まる ートルコ・ギリシャ・ハンガリー編~中近東から東ヨーロッパへ

無事、トルコに入国した僕はケバブが有名なアダナを経由して
イスタンブールへ。
同じイスラム圏でも明らかに今までの国とは雰囲気が違う。
何しろ女性がベールやスカーフで髪の毛を隠していない。
ビールも普通に売ってる。
1日で5回流れるコーランもさほど聞こえてこない。
エジプトから旅をして来た僕にとって
イスタンブールは、こてこてなムスリムの国ではなく
「東洋と西洋が良い感じに交わる街」だった。

僕は当時付き合っていた彼女の大学の夏休みにトルコで
落ち合う約束をしていたのだが、
のんびり旅して来たつもりでも
予定より1ヵ月も早くトルコに着いてしまったので
時間を調整する為に東ヨーロッパを回る事にする。

まずは陸路でバスを使って約10時間
お隣のギリシャ、アテネへ向かう。

パルテノン神殿

教科書で観たパルテノン神殿へ。
今まで貧乏旅行を続けてきた僕にとってヨーロッパは
物価が高いく昼ご飯も満足に食べれない。

取り敢えず、スタンプラリーの様に有名な世界遺産を観たら
目標達成。
1,2日でそそくさとギリシャを後にして
セルビアのベオグラードへ。

当時はボスニア・ヘルツェゴビナでの紛争が終わった後で
元々ユーゴスラビアであった国々が独立した時でもあった。
そのせいもあってかギリシャと比べると
ベオグラードは首都なのに、大分荒廃した感じがあって
体感として暗く、空気は重く社会主義の爪痕が感じられ怖かったので
さっと通り過ぎてハンガリーのブダペストへ。

ハンガリーは東ヨーロッパと西ヨーロッパとの間という感じで
物価も高すぎず、それなりに都会で過ごしやすい街だった。
イスタンブールがアジアとヨーロッパが交じる場所なら
ブダペストは西ヨーロッパと東ヨーロッパの境界と言った感じだろうか。

何故か、ブダペストには日本人宿があり
(シリアを出てから全く無かった!)
女主人の名前を取ったヘレナハウスに泊まって情報収集する事に。
日本人宿がある辺りも建物にハンガリー動乱の銃痕が残っていて
歴史を感じた。

ここブダペストのヘレナハウスでも
得体のしれない中年の実業家?らしき人で
仕事もしないで何年も旅行している男の人や
ボスニアに行って紛争の写真を撮ってきたカメラマンに有ったりして
色んな話が面白かった。

ハンガリーには温泉が幾つか有って
日本の温泉が恋しくなって来ていた僕には
最適の場所だった。
お風呂場の内装もヨーロッパ調で綺麗で
何人かのバックパッカー達と良く遊びに行った。

街の真ん中を流れるドナウ川も
ブダペストに優雅な雰囲気を醸し出す役目を果たしていた。

トルコを出てからギリシャ、セルビアと落ち着けずに旅をしてきた
僕にとってブダペストは心落ち着けてリラックス出来る
ステキで綺麗な街だった。

ブダペスト

そこからお隣オーストリアのウィーンへ。
物価が高くてゆっくり観光出来ず
ザッハートルテという有名なチョコレートケーキを
カフェ・ザッハーで食べたが甘かった!

モーツアルトの結婚式と葬儀が行われたと言われる
シュテファン大聖堂にちらっと立ち寄り

シュテファン大聖堂

そそくさとオーストリアを後にして
隣国チェコへと旅路を進めた。

貧乏旅行している僕にとって西ヨーロッパの国々
ギリシャとオーストリアは物価が高くゆっくり滞在出来なかった。

今までの中近東と比べると
滞在わずか1,2日で通り過ぎた国も
幾つかあって駆け足で旅をしていた。
この当時の僕にとって近代的な都会より
素朴な田舎の方がのんびりしていて、
物価も安くあんまり何も考えずリラックスして
五感を通じて感じる事が多かった。


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