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知識浴に溺れている


窓の外に広がるのは、いつもと変わらぬ光景。
茶畑と墓を見下ろし、おにぎりと針を食らう。
角部屋に籠ってても、五感は失われていない。
ダンプカーが今日も、家を揺らして走っていく。


4年目の夏にして初めてコロナにかかった。

これまでも遊び行ったり、旅行行ったり、アクティブに動いていたから、
逆になんで今までかかってなかったのかも不思議ではあるが、まあワクチンも打ってるしマスクとか消毒とかも
しっかりやってたからだと思う。

けど最近は暑すぎる。
暑さゆえに、マスクはサウナすぎる。
コロナ禍の3年間は、
電車の中でマスクを外すことも、○○だったが、
今年は暑さも相まって我慢することを忘れたようだ。

感染源は分からないものの、マスクを外す機会が増えたのは確かだと思う。



途中、夏の電車談義。

僕はいつも電車に乗るとき、電車が駅に入ってくる時間ぴったしにコンコースを下りるようなタイミングで、家を出ている。
そう、家を出ている。
駅までは数キロ離れているが、家を出る段階でそうなることが決まっているのだ、経験則で。
もちろん駆け込み乗車はしていない。
本当にタイミングゲーがうますぎる人になっているだけ。

なぜそうするかというともちろん、自転車をこいだあとに、最速で冷房に行き着くためである。
数年前には冷房量で車掌さんを評価していたほど、
夏の暑さ対策は電車頼みになっている。

そしてありがたいことに私の最寄り路線は、扉の開閉がボタン式だ。
空調が無駄にならないように、
という環境とコストを考えた方策をJR東日本が行ってくれている。
(実際の理由は、そんな乗る人がいないから)
自分でボタンを押して車掌さんのまねをすることができ、私も子どもの頃よくやっていたそうだ。
ここ数年は、感染対策のために全自動ドアになっていたが、今年は半自動が復活した。

全ドア開扉して換気喚起の大正解も、今年にしてみれば大不正解になる。
ドアを開けたら自分で閉め、みんなで車内の温度を保つんだ!

One for All, All for One の心意気さ!

読み人知らず

青梅線(別に最寄り路線を隠しているわけではない)には、「ドア奉行」なる者もいる。
ドア奉行は、右側のボタンの場所に寄りかかってる人のことだ。不特定多数が当てはまり、その形態や動作にも違いがみられる。

ドア奉行

①周りをよく見ているシンプル優しい奉行。
もちろん降りる人がいたら開くボタン押すし、乗る人のために開閉してあげることもある。

②気づかないふりして実は分かってるツンデレ奉行。
スマホを見てるか、読書をしている。腕を組んでいるときに空いている方の指でドアボタンを押す。このときノールックかつノーモーション。スマホまたは本から目を離すことはなく、降車客からしたら「あれ?青梅線自動ドアだっけ??」とも勘違いされる。
ただし、降りる客がツンデレ奉行の存在に気付いていない場合は、少しだけ自分から顔を挙げて、決して声に出すことはないが「まあ自分ボタン押すんで」というテレパシーだけを送っている。なんだかんだ会釈にも応じる。

③他人に興味ナシ!気まぐれ奉行
これが一般的かな。とりあえず押すときは押すんだけど、気づかないor忘れているときは押さない。自分は降りないから停車駅なんか気にしてないけど、降車客のボタンを押す指が自らの身体に接近して初めて、自分の役割に気付く人。別にどうでもよい。

④態度豹変 ビビディバビディ奉行
これはずばり、③の進化系。
今までボタンのことを気にしてなかった人が、自分が降りる駅になると、一番にボタンを押してそそくさと降車していく。この奉行がいると、いくら自分が降りたくても、ドア操作と駅の着順を取られてしまう。
まったくよくない魔法がかかっている。

⑤ボタン押しまくり!お任せできない勘定奉行
こやつは、ろくに考えることもせず開ボタンを連打するやつだ!
連打したら早く開くと思っているのか!
そんなわけあるかい!
ファイアーマリオじゃないんだよ!
考えたらわかるだろう!長押しが一番いいんだってば!
ボタンが緑に変わった瞬間に回路がつながるんだから、
「開」長押しの方が効率いいに決まってるじゃないか!
マリカーのスタートダッシュと同じだわ!
それに連打で何ミリカロリーを使ってしまうというのか!
自己発電スイッチでもない!無駄な労力!Mottainai!

⑤の言葉を使いたいがために「奉行」を登場させたが、
④の方が気に入っている。


終盤、奉行談義。

そもそも「ぶぎょう」という読み、きもちわるくないか?

「奉」の字自体は、奉公、奉仕、大政奉還とか
「ホウ」読みの方が強い気がする。
そんな中で ブ?   ブ???
他に思い浮かぶ言葉もないので辞書で調べることにした。
高校入学時に購入してロッカー保管していたにもかかわらず、おそらく1回も使うことなく、帯だけボロボロにして持ちかえってきた漢辞海で検索。
漢字辞典って面白い。

なんと「奉」の音読みは、
「ホウ」が漢音 「ブ」が呉音であることが分かった。
そしてこの漢音、呉音というのが何かというと、
音読みの種類を表す分類で、中国由来の呉音・漢音・唐音とそれ以外の慣用音というものがあるようだ。

呉音は、5~6世紀の中国南部 長江下流域の音で、7世紀ごろに朝鮮の百済から伝わった。
漢音は、黄河中流域の音で、7~8世紀に遣唐使や留学僧が伝えた。(日本語の漢字に最も多い)
唐音は、平安中期から江戸にかけて中国浙江地方から伝わった、とされている。

(旅する応用言語学『音読みの種類(呉音・漢音・唐音)について』
https://www.nihongo-appliedlinguistics.net/wp/archives/7188)

☝初めて「引用」をちゃんと使った。
つまり、古くに伝わった方は「ブ」であとから「ホウ」が伝来したのだ。
したがって、「ブギョウ」という役職が5~6世紀にあった??
となってしまいそうだが、それは間違いかもしれない。

武家役職である「奉行」は平安時代から呼ばれ始めたもので、
「奉行する」という言葉に由来する。
ここで「ブギョウする」と呼んでいなければ、「ブ」の方が兄説 が立証できないため、今度は旺文社古語辞典を手に取った。

奉行(ぶぎょう)「上からの命令によって事を行うこと。」
「光親卿、院の最勝講ーーしてさぶらひけるを(徒然/48)」

旺文社古語辞典 1122ページ

徒然草が書かれたのは1300年代のことだが、少なくとも「奉行」が「ブギョウ」と読まれていたことは分かり、また念のため「ホウコウ」と読まないかを調べたが掲載はなかった。
そして、平安時代における「奉行」は、律令法による機関の上下関係を表す言葉からきている。

したがってかなり長くなったが、
「ブ」の読みは律令システムの中身として唐から渡ってきたのではないか。
これが最後の仮説であり私の推測である。

ちなみに「奉」をブと読む熟語として漢辞海に載っていたのは、
「供奉(グブ)」
でした。知らねえそんなことば。
学びになりました。


最後に、読み方が多いことで有名な「生」の読みは
呉音・漢音・唐音で分類できるのか??
気になりました。

結果はこうです。

読み方が多いのは、訓読みがたくさん派生しているからだというのを忘れていました。

以上。

コロナの引き籠り生活は、私の知識欲を少しだけ開花させてくれる。


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