絵画を作る葛藤
今日は私と絵画の関係性について書こうと思います。
私の作品はと言うと、
ドローイング(描く)と言うものとはズレがあって、
どちらかと言うと、「画面を創る」と言う感じ。
激しいコラージュの上から絵の具を乗せますが、
あまり描いている意識はありません。
私の作品が抽象的なモノだからかもしれませんね。
作品作りって、自分の最も本質的な部分に触れる行為です。
少なくとも私はそうで、深層心理の奥底の何かに触れています。
それが吉と出るか、凶と出るかは、わかりません。
でも、作品作り中に、時々起きるフラッシュバックは、私の現在の心に深い爪痕を残して行きます。
昨日もそんな状態で、涙が止まらなくなり、動悸がしてパニック発作が起きました。
こう言う事はままあるし、すぐ落ち着く事はなく、しばらく引きずってつらいので、精神科で診てもらいます。
病院の先生には、
「コントロール出来るようになる」
と、言われていました。
しかし、芸大生だった頃から今までの6年間で、コントロール出来たことは一度もありません。
絵画を創る前段階では、色味やトーンは考えています。
しかし、作り始めると、思っていたものとズレが生じることもたくさんあります。
そんな時は自分の気持ちに正直になって自由に描くのも楽しいです。
自由にしすぎるとトランス状態に陥って、深層心理が抉り取られる事になりますが(汗
このような状態で、作品作りは楽しいことばかりではありません。
心の枯渇感は拭えないし、言葉に出来ない苦しみが湧いて来ます。
たぶん、「まぁまぁうまく行ったなぁ」と思える時に、何かが成仏しているように感じます。
終わりには寂しさと安堵が同時にあるような、虚しさを覚えます。
作品が完成した後は、とてもやりきった気持ちがあり、充実しています。
締切に間に合った安堵かもしれませんが(笑)
展示まで行ってしまえれば、このやり場のない感情も成就するのですが、今回は公募展なので落選する可能性があります。
落選したら作品が可哀想ですよね。
その時はどうしましょう。
結局のところ、作品創りって、どうしようもない欲求がそうさせて来る。
苦しくてもつらくても、作品を創る事で生きながらえている自分がいる。
ご飯を食べるように、生きる為にしている。
辞めたい時もあるけれど、辞められない。
これは、信仰に近いものだと私は感じている。
私の中で作品を創る行為って、神様との邂逅なのかもしれない。
必ず神様は、そこにいてくださると言う感覚を最も味わっている時間が創る時間だと思う。
埋まらない承認欲求だとも思う。
展示した時の喜びを感じるひとときを最後に、後はただただ虚しい日々を送る。
またあの時の快感を味わいたくて、虚しくも頑張っているように思う。
ただ、そこに本当の喜びは無く、それはハリボテなのだと私は知っている。
それでも辞められないでいるのは、なぜなのだろう。
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