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4人の子育てをしながら、わたしが「漫画」を仕事にしていくまでの道のりを振り返ってみた

「え!お子さん4人生んでから漫画を描きはじめたんですか?」

自己紹介で漫画の話をすると、これが一番驚かれる。

絵の勉強もしたことはなく、電話しながらそこら辺の紙にボールペンで落書きするのが、唯一の描く時間だった。

そんなわたしが、30代も半ばを過ぎて4人目の子どもを産んでから急に漫画を描きはじめ、漫画で生計を立てていくようになるなんて、まったく予想していない未来だった。


はじめまして。インスタグラムとブログで育児漫画を描いている、もとこ(MOTOKO)と申します。8年前に関東から高知県へ移住し、夫と子ども4人の6人家族です。

2018年始めから漫画を描きはじめ、もうすぐ6年になります。ありがたいことにたくさんの方に読んでいただき、漫画はわたしのメインの仕事になりました。

といっても、『進撃の巨人』みたいな壮大な物語を描くわけでもなく、ふだんは家族のことを中心としたコミックエッセイを描いています。

主な収入は企業のPR・連載記事・挿絵・イラストなどなど、いろんなお仕事をさせて頂いています。

ですが、インスタグラムで漫画を描きはじめるまで、絵を仕事にしたことは一度もありませんでした。

このnoteでは、そんなわたしが4人の子育てをしながら、どんなきっかけで漫画を描きはじめ、仕事にしていくかまでの道のりについて書きました。

今までこういう話をしたことがなかったので、インスタグラムきっかけでわたしの事を知ってくれていた人は、ちょっと驚くかもしれません。

まず、いきなり夫が登場して衝撃の一言を放ちます。

ややこしくてごめんなさい。けど、ちゃんとわたしの話につながりますので、ご安心を。それではどうぞ。


36歳夫、奮い立つ

夫、36歳の宣言

「俺、漫画家になる。」

夫が突然言いだしたのは、3人目が生まれたばかりの頃だった。今から約12年前、2011年夏の終わり。

一人目の子どもが生まれてすぐにアルバイトから正社員になり、9年近くずっとサラリーマンをしていた夫。30代半ばを過ぎ、自分のやりたい道はコレだ…!と高まっていた。

ここで「だから、会社辞める!」と言われていたらわたしも慌てたけど、そこは現実的な夫。まずは仕事をしながら、池袋で開かれる週1回の漫画教室に通いたいとのことだった。

正直、驚きはなかった。

若いころからバンド活動をしたり、絵が得意だったり、前職もカメラマンだったこともあり、クリエイティブな仕事をしたがるのは必然のようにも思えたから。

まぁ、漫画って働きながらでも描けるし、わたしも読むの好きだし、いいんじゃない?と、当時はそんな軽い気持ちで受け入れていた。

こんなふうに、まず一番身近な夫にとって、漫画が『読むもの』から『描くもの』に変わった。

このことが、少しずつわたしに影響を与えることになる。

「俺より上手いね!?」

宣言どおり教室に通いはじめた夫、ある日そこで1ページ漫画の宿題が出された。

教室の前夜、夫は宿題を仕上げたものの、ダイニングテーブルでウンウン頭を悩ませていた。

子ども達を寝かしつけたわたしがリビングにいくと、「いまいち面白くならない…!」と言いながらわたしに漫画を見せ、アドバイスを求めてきた。

夫が描いたものを見る。内容は、会社での夫と同僚の一場面。

うーん……

何がよくないのかうまく言えないけど、たしかに(申し訳ないけど)いまいち面白くない…。

どうしたら面白くなる?と一緒になって考えはじめると、自然とネーム(漫画のコマ割り・セリフを入れたラフ画)が浮かんできた。

助け舟を出すつもりで、近くにあった子どものお絵かき帳の1ページをピリッとちぎり、鉛筆を手に取る。

頭に浮かんだものをサラサラと形にしてみた。

「こんな感じ?ちょっと絵が雑だけど…」

と言いながら夫に手渡す。

夫が食い入るようにそれを見つめ、そのあとわたしの顔に視線を移し、

「モトコ…漫画上手いね…!」

と言った。

「え、こんなの誰でもできるでしょ…?ていうかわたし、絵そんなに上手くないし…」

「いや!こっちのほうが全然面白い!主人公のアップで終わるのも感情が伝わっていいし、俺のより字が少なくて読みやすいし…!」

褒められて悪い気はしないけど、ちいさな頃から漫画をたくさん読んできたせいかごくごく自然に描けたので、どこに褒められ要素があるのかよくわからなかった。

絵が上手くてストーリーが面白いのが漫画でしょ?当時のわたしは、漠然とそんなふうに思っていた。

「モトコって、漫画描けるんだね!?絵は得意だと思ってたけど、漫画もできるんだ〜!すげ〜。」

この時、夫が注目していたのは、コマ割りやネームの上手さといった基本の『魅せ方』の部分で、漫画を描かない人にはあまり意識されない、いわば演出の部分だった。

けどわたしがその意味に気づくのは、ここからまだだいぶ後。

当時は自宅で英語教室もやっていたし、なにより小学生・幼稚園・0歳児の3人男子の子育てで、平日はほぼワンオペ。

一番大変な時で、「じゃわたしも漫画描いてみよ♪」なんて1ミリも考えられなかった。

3人男子育て中で毎日がドタバタだった

それでもこのやり取りを今でも覚えているのは、無意識だけど、やっぱり嬉しかったんだと思う。そうじゃなければ、すぐに忘れてしまいそうな、本当にささいな言葉だった。

「描きたい」と思ったきっかけ

それから6年ほどの月日が流れた。

この間に、わたし達は関東から四国の高知へと家族で移住していた。

夫は漫画を描きはじめて1年もたたないうちに、とあるマンガ賞の大賞を受賞!けどそのままトントン拍子とはいかず、苦戦しながらも漫画を描き続けていた。

2017年、移住して3度目の春に、わたしは4人目の子どもを出産した。

初めての女の子だった。

高齢出産でくたびれた身体ではあったけど、ひさしぶりの新生児のお世話は思いのほか心に余裕があり、娘が可愛くて可愛くてしかたなかった。

ある日、かたわらに眠る娘の寝顔を、飽きることなくジーッと眺めていたときのこと。眺めるだけでは飽き足らず、

この!
フニャフニャの!!
はかなさっっっ!!!

描きたいっっ!!

と突如思い、そばにおいてあったボールペンで、ノートの端っこにカリカリと落書きをした。

かわいく描けたな〜と自分で満足していると、仕事から帰ってきた夫がそれを見つけ、すぐに自分のスマホの待ち受け画面にした。

嬉しかったけど、照れ隠しで「え、待ち受けにするの(笑)?」と聞いたら、「可愛かったから。」とまっすぐに言われる。

あぁ、前にも夫は、わたしの描いたものを褒めてくれた。あの時も嬉しかったなぁと、ふと思い出した。

そういえば、絵を描くことが好きだった。

移住してから子どもの英語教室に区切りをつけ、40歳手前で自分の仕事を模索している最中だった。

「イラストレーター」なんて憧れる響きだけど、ほかに上手い人がたくさんいるし、技術もまったくない。今から仕事にするなんてとても無理だと思っていた。

けど。

夫のスマホに写った娘の絵をもう一度見る。

写真に撮られてちょっと加工されたイラストは、思いのほかいい感じに見えた。とりあえず、こうやって好きなものを描いてみる。それくらいから始めてみてもいいんじゃないか…。

その時描いた娘の絵

数日後ちいさなスケッチブックを買ってきて、娘のイラストをすこしずつ描きはじめた。

家計が追い詰められてとった行動は・・・

その一方、夫の仕事がピンチだった。

勤めていた会社の高知での事業が撤退することになり、大阪勤務なら…と打診される。けれど高知での生活を手放したくなかったのでお断りし、4人目が生まれたとほぼ同時に無職が決定していた。

大黒柱の収入が途絶える…!と追い詰められていたところ、高知の地元紙「高知新聞」で、漫画賞の募集を見つけた。目に入ったのは賞金で…大賞50万円!

貯金を切り崩さなければ…というピンチの中、半分冗談、半分マジで、「こうなったら賞金…狙おう!」と、生まれて初めて原稿用紙に向かうことにした。

8ページのネームから原稿完成まで、勢いがあったので5日くらいで仕上がった。

そのころ赤ちゃんである娘のイラストばかり描いていたので、中学生の長男と娘をモデルにした創作漫画になった(今思えば、後にインスタグラムで描きはじめる育児漫画の原型だった)。

生まれて初めて描いた漫画の原稿

夫も昔描いた漫画をリライトして応募。

夫は無職、わたしは生後3ヶ月の娘を抱っこ紐で抱っこしながら、ふたりでコンビニのコピー機で漫画の原稿を印刷した。

不安がなかったと言えば嘘になるけど、それこそ漫画みたいなこの状況がどこか可笑しくもあり、思わずコピー機の前で一緒に自撮りした。

アラフォーふたりして漫画って。いよいよネジがはずれちゃってるな〜と逆に笑えてくる。

そして結果は…、
ふたりして箸にも棒にもひっかからず。

けどたったの8ページとはいえ、初めて漫画を完成させた。わたしにとってそれは本当に大きなことで、なによりすごく楽しかった。

やっぱりこういうことを、仕事として育てたい。そんなふうに心に火がついた出来事だった。

道具を変えただけなのに!

その年の冬、夫が漫画を描くために、中古でワコム社の「液晶タブレット」を購入した(仕事も見つけました)。

通称「液タブ」といって、紙に描くのとほぼまったく同じ描き味で、デジタル作画ができる道具。

「俺が仕事に行ってるあいだ、モトコも使っていいからね。」と言ってくれたので、さっそく触ってみたら…

もう…感動ッ!!めちゃくちゃ描きやすいうえ、自分の拙いイラストでも、画面に映って色を塗ると、一気にグレードアップしたような錯覚を覚える。

娘のイラストを描いたときと同じように、「それっぽくない??」とテンションが上がった。この道具、もっと早く出会いたかった…!

それから2ヶ月くらい、暇さえあれば夢中になってデジタルで絵を描く練習をした。

お正月、娘をおんぶして液タブ練習するわたし

知らない人から反応をもらったきっかけ

描くきっかけをくれた娘は生後10ヶ月、可愛い盛りになっていた。

名前を呼ばれて「ハーイ」と手をあげてお返事ができるようになっていて、ある日それを見た兄3人とパパが「おぉぉ!」とどよめく場面に遭遇した。

男4人が0歳のヨチヨチ女子に心を鷲掴みにされている様子がなんだか可笑しくて、その場面を1コマ漫画にしてみた。

その漫画をなんとなくツイッター(現在はX)にあげたら、同じ高知県で暮らすインフルエンサーのイケダハヤトさんがRTしてくれた(その節はありがとうございました)。

当時からイケハヤ砲と呼ばれていただけあって、知り合い以外からのいいねや、4〜5人からのポジティブなリプライまで返ってくる。

その時あげた1コマ漫画

今度はインスタグラムにも同じ1コマ漫画をあげてみたら、こっちはさらに見知らぬ人からのいいねの数が多かった。

その後もイラストと漫画をSNSにあげてみたけど、漫画の方が圧倒的に反応が多く、(漫画の力ってすごい…)とじわじわ感じはじめていた。

しかもSNSで育児漫画を描いてきた先人たちのおかげで、読んだ人が気軽にポジティブな反応をする土壌ができていたようにも思う。

リアクションが多いほうが励みになるので、そのままインスタで描きはじめることにした。

4人兄妹で一番下が女の子というちょっとめずらしい構成だったせいか、更新するたび、いいねもフォロワーもどんどん増えていく。

今まで感じたことのないスピード感と成果に、「これだ…!」と、やっと自分の天職を見つけたような手応えを感じてドキドキした。

描き続けていくと、兄と妹のエピソードにいいねやコメントが多く付くことに気づき、漫画の方向性もそちらに寄せていった。

わたしがネームを描くたびにアドバイスをくれたり、自分ごとのように応援してくれた夫は驚きながらも、ドヤ顔で言った。

「ね?だから俺、
 モトコ漫画描けるっていったじゃん。」

「テーマがない」「切り口が弱い」持ち込み先での厳しい声

インスタをはじめて3ヶ月くらい、フォロワー数が5,000人を過ぎたころに、書籍化を目指して出版社への持ち込みをしてみようと思い立つ。

GWが明けたばかりの春の夜、深夜バスでひとり東京へ向かった。

2日間で事前にアポが取れた4〜5社回ってみたけれど、結果はなかなか厳しいものだった。

「テーマがない」「切り口が弱い」「ひとつひとつの4コマのオチに欠ける」など、どこでも大体似たようなことをやんわりと言われた。

(やっぱり甘くないなぁ…)と、生まれて初めての持ち込みでズーーンと疲労感を感じながら、それでもプロの編集者のアドバイスを無駄にせぬよう、高田馬場のタリーズで、言われたことをポチポチPCにメモっていた。

わたしの今の実力だと、「漫画」が主役の媒体じゃ弱い。

ならば育児雑誌の1コーナーとか、そういう形ならどうだろう?とふと思った。インスタでは無料とはいえ、それなりの数の反応があるんだから、きっと需要はあるはずだ。

その場で育児雑誌をいくつか検索して良さそうと思う出版社に営業メールを送り、ヘトヘトになりながらまた夜行バスに乗って高知へ帰った。

東京から戻った翌日、営業メールを送った一社から返信が来た。

手に汗をかきながら、恐る恐るメールを開く。

「作品を拝見いたしました。
ナイトのようなお兄ちゃんたちと姫のような娘さんのほのぼのキュンな関係がとても素敵に描かれていると思いました。

子だくさんママは読者さんたちの憧れです。
ぜひとも弊誌で連載をお願いしたいです。」

あまりの嬉しさに、最後まで読む前にメールを閉じた。一気に読んでしまうのが、もったいなかったから。

描きはじめて3ヶ月、初めて漫画が仕事になった瞬間だった。

それからも子ども達の日常をひたすらに描いていき、翌年の夏には同じ出版社から念願の書籍化を果たした。

この頃、インスタグラムのフォロワー数は15万人に届こうとしていた。

念願だった書籍

一番大切にしたいもの

今は冒頭で書いたように、インスタグラムのフォロワー数が増えていくにつれ企業のPR漫画の依頼が来はじめ、その他媒体での連載・挿絵の仕事で、身を立てています。

今年もありがたいことに仕事が途切れず、漫画家としてまた1年活動することができました。ずっと支えてくださっている読者さんのおかげで、本当に感謝しています。

夫も変わらず漫画を描き続けていて、あれからもわりと大きな賞を何度か受賞し、今は連載を獲得するべく、担当さんと頑張っています(これが長い…!)。

夫の漫画の場合は、担当さんがつき、賞を取り…と正攻法。わたしはSNSから裏道を通って来た感覚があります。

たまたまわたしの方が先にデビューをしたけれど、わたしは夫の漫画が世に出ることも、強く強く信じています。

いつか皆さんを驚かすので、待っていてくださいね。

けど本当は。

漫画賞に出すため、ふたりでコンビニのコピー機の前で自撮りしたり、追い詰められて、どう見ても漫画描いてる場合じゃないのに、描き終わった達成感に浸り(もしかして入賞するかも…!)と一緒にワクワクしていたあの瞬間。

結婚して20年以上経った今でも、そんな瞬間を共有できていること。それが本当に尊くて、一番大切にしたいことなんだと、このnoteを書きながら思いました。

わたしの大好きなSEKAI NO OWARIの「yume」という曲に、こんな一節があります。

でも本当は夢ってさ 叶えるモノじゃなくってさ
共に泣いたり笑ったりするモノなんだ

わたしの背中を押してくれてありがとう。
来年もまた、あなたと一緒に夢を見て歩いていきたいです。

2023年 冬

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