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『熱が高まる』コロナ発症0〜1日目



コロナかな?と思って、熱を測って、抗原キットで陽性が出てから、家に帰るまでの時間は強烈だった。


ここにいてはいけない、人に近づいてはいけない、近づいた人を殺してしまうおそれがあるという感覚。


息を吹きかけたりしたら確実に人に感染する、というよくわからない確信があった。


明けて今日、発熱外来での医療従事者の方々の対応はすごかった。絶対に感染しないで、診察をする、そのために安全な距離を取るという姿勢。


自分は穢れてしまったのか、穢れそのものだなと思った。

感染力が強いというのはこういうことなんだな、と思った。


しかし一方で自分のやってることは何だ、ネットやTwitterでやってることは。感染という見方をすれば、希望や活力といったウィルスを感染させようと目論んでいるようなものだなと。

自分自身の中のウィルスの感染力を日々高めていき、人と濃厚接触して確実に感染させたいんだな、自分は、そういうことだろうと。


コロナでの濃厚接触者は妻ひとり、抗原キット陰性。仕事で忙しくて外で散歩するくらいしかきちんと話せてなかったから、伝染らなかった。どう思えばいいのか。

今は自宅隔離なので、妻とドア越しに話したり、広めの距離でチョット会話して、すぐに引っ込むというのをやってる。自宅療養一日目にして結構寂しい。


この寂しさは、コロナ無感染でも一人暮らしで独身の人たちに確実にあるものだなと久々に思い出した。Twitterはあっても寂しいんだよね。

早く終わるといいね、感染症で分断された世界が早く終わるといい。感染してからの分断された、というリアリティがすごい。


コロナに感染した友人が、復帰したあとマスクを頑なにつけ続ける気持ちもよくわかった。なんであんなに怖がってつけるのかな、感染したから?と当時は思った。したからだよ。

その友人は、コロナで客が減り仕事が暇になったので、仕方ないと「本来の目的」である創作を隙間時間でやるようにしたらしい。


映画が撮りたい、でもこの状況では無理、ならアニメを作るかと思ってやってみたらしい。

自分の中の熱を、圧力を高めるようにただひとりで黙々とかき続けた短編アニメ映画は、映画コンクールで複数の受賞をした。それが去年かな?


今年の9月、その映画にもう2つの短編をくっつけたオムニバス映画として、下北沢で2週間、上映されるらしい。

こちら。1つ目は一人で作り、2つ目はロックバンドのMVとして、3つ目の新作は演者の方々が複数参加している。引用RTで宣伝しているので見てもらえばわかると思う。


コロナでの発熱とは違う「熱」が、たった一人、自分の内側で圧力を掛けて高めた熱が人に伝わっている


自分は今、コロナに感染して熱が高まってる。昨日は38℃、今日は39℃。明日の40℃は勘弁してもらいたい…。


けれど、それとは別の自分の中の熱に圧力をかけて、白熱させて、それを他人にガンガンに感染させてしまいたい、熱狂させたいという気持ちは高まってきた。白熱電球のように熱くなりたい。

体を冷やしながら、心を熱くするという難しい作業をやっている。冷えピタシートが買えなかったので頭がなかなか冷えない。


バランスが難しいよね、と大人になってしまったのでものすごく無難な「ぬるい」言葉も出てきてしまう。

これからどうなるんだろ…


と思ったけど少なくとも10日間はこの部屋にいることは確実なんだよね。Twitterで見てくれてる人はお付き合いよろしくおねがいします。


こんな感じでTweetしたのを後でコロナ療養記&エッセイという形でnoteに転載しよう。一日一つくらい。


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