日記を書いたことがないと気付いた日に。
私は日記を書いたことがない。それに気付いたのは誰かの日記を読んだからかも知れない。
一日に起きたことを書けば良いのだろうか。書いてみようと思ってこんなに悩むとは思わなかった。
最近のことを考える。今したいことをじっくり考える。自分が書きたいものに思考出来る時間が少ない時には、無理に創作しないと決めている。
私は、人よりずっと遠回りだしゆっくりの人生だからだ。タイミングを待てばいい。さんざん焦って失敗してきたから自分を待てるようになった。
小学校四年の息子がギャルのモノマネをクラスの女子から教わったと言ってきた。それを私に見せてきた。
「なぜ本物のギャルじゃないんだ」と危うく怒りそうだったが仕方なく立ち会った。
「ウチらギャル。可愛い~」
と本物のギャルが聞いたら怒りそうなセリフを何やらピースを逆さまにした形でポーズして決めてきた。
「どう?似てる?」
なぜ私がギャルに詳しいと知っているのだろうか。いつ教えたのだろうかと考えたが、正解が浮かぶことはなかった。
ただ、私もギャル好きな父としてきちんと息子にだけは伝えなければならない。と心を鬼にした。
「本物のギャルとは、もっと尊いものだ」
私はしっかりと息子と向き合うことに成功し、父としての役割をきちんとしている自分を褒めた。
駄菓子菓子、息子も息子で私に対してどうしても息子として譲れないところがあるらしかった。
息子としての役割を理解してきている。
私はモノマネにプライドを持つようになった息子がとても誇らしくいつもよりカッコよく思えたので刈り上げを連続で擦りあげた。
私の手を振りほどき、息子は私の目を見た。
「天然のフリした女の子のモノマネもあるよ」
聞き捨てならない言葉を紡いだ息子にもう一度確認したが、やはり天然のフリした女の子のモノマネも出来ると言ってきた。
私は世の中の道理をきちんと説明することにした。
「どんな女の子にも『天然』というのは最初から『特技』として持ち合わせているんだ。それを大事に抱えて生きている。『天然』を繰り出すか出さないかは、女の子に選択権があるんだ。お前が簡単に判断して良いものではないんだ。マネして良いほど『天然』はお前に寄ってこない」
息子は、私の大事な話は少しも聞かずにモノマネを続けた。
「あのね~私天然だから分かんない」
少しゆっくりと、そして息子の体のどこから声を出しているのか分からない声を聞いた。
私は、およそ自分の息子が出せる類いの声とは想像出来ない声だったので嬉しくなった。
悪くない。そう思った。
「こんな女の子全然可愛くないよね」
私は、再び聞き捨てならない言葉を話した息子に動揺したのだがその動揺は隠して、父としての威厳を出して、ここでもしっかりと父を全うした。
「女性はみんな可愛いんだ。それは決まっていることなんだ。それを否定するということは、お父さんを、お父さんと思わないと言っているようなものなんだぞ」
「じゃそんなに問題じゃないじゃん」
言い返す言葉を紡げなかった。
横で話を聞いていた娘が話し掛けてきた。
「どうでも良いんだけど、バドミントンしに行こうよ」
このバッサリ感に将来を期待せずには要られなかった。そして私は、例え娘だろうと女性からの誘いは断らないと決めている。
「良いけどな。勝負にならなくても泣くなよ」
本気で戦うからこそ意味がある。娘に勝つということで親としての尊厳を保ちたかった。絶好のチャンスだと考えていた。父としてバドミントンを除いては生涯他に良いところを見せる場面なんて巡り会わないとさえ思った。息子と娘と三人で訪れた公園には、見たことがないキレイな奥さんがいた。
なぜ、公園に来ている今まで見たことがない奥さんとは、皆キレイなのか。その秘密を未だに解き明かせないからこそ公園に皆行くのではと考えている。
尚更、バドミントンで負けるワケにはいかなかった。世の中には、「もしかしたら」しか存在しないからだ。もしかしたら気にしてくれるかも知れない。そしてまたどこかでバッタリなんてものがあるのかもしれない。そう考えるといつでも万全の状態でいたい。それが私の公園での思考であると記し、そう思うことにより、私の世界とは少しだけ幸せになるものだった。
出来るだけ長く生きたい。答え合わせの期間は長く欲しい。
娘は、腰痛の私に対しても容赦なかった。わざと足元を狙ってくるという計算されたあざとさが垣間見えた。私は「このまま残念な彼氏が出来た時もあざとい女子でいてくれよな」と少しだけ父として願った。
あっという間にキレイな奥さんは居なくなってしまったので、私達三人はバドミントンをし、キャッチボールをし、中当てをして遊んだ。気になる人が居なくなったので夢中で遊べた。
やっぱり公園は、独占に限る。
後、何回息子と娘と公園に来て遊べるのだろうか。帰り道にそういうことを考えていた。最近は、子供が出来るようになったことを考えるより、子供と出来なくなることを先に考えてしまう。
正しいも間違いも数多くある。そのどれだけ教えることが出来たのだろうか。どれだけ教えてもらって来たのだろうか。
何となく、寄り道したくなった。
「アイス買いにいこうぜ」
コンビニでアイスを買って食べながら歩いた。
「遊んでくれてありがとう」
そういうことを言われた。
こちらこそ遊ぶことを教えてくれてありがとうと思った。娘はもう六年生だ。もう少しだけ恥ずかしがらずに遊んで欲しい。
これを初めての日記にしようと。
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