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本音を忍ばせるには、総じて覚悟が必要になる。

文学には
絶望ということはあり得ない。

開高健「地球はグラスのふちを回る」より

彼が意識してないとしても、誰か他者に向かって何ごとかを訴えているんで、訴えているかぎり、彼は絶望者であるとはいえないわけだ。だから、絶望という名の希望をどこかに持っているんだということになる。

ということを読んでいた。

私が書きたい理由に自分の表現を追い求めて「本当のこと」を書きたいということがある。根底にあるのは、今ある事実は、他者から見た事実とは違うということだ。

目に見える現実と頭の中は違うと思っている。それをフィクションというのかノンフィクションというのか突き詰めたいし、自分が生きた時間の生活や匂い、時代の空気を記しておきたい。

私の文体がクネクネしていると評してもらった時に「伝わった」と感じた。自分自身の行動を振り返った時に、行動と頭の中がしょっちゅう別だからだ。

買い物してレジに並び、会計している行動をしていても、頭の中では「この人可愛いな。突然『あたたが好きなの』とか言ってくれないだろうか」と考えている。これを描くとしたら、やはりクネクネしてしまうのだ。

だけど私からしたら事実なのだ。

開高健の言う通り、書くことで一つ他者へ訴えている行動なのだとしたら、もうすでに私は救われているのかも知れないと思った。

私は書けなくなるまで絶望しなくて良いということだ。例え最後が遺書だとしても開高健の思想に寄せるならば絶望という名の希望を誰かに訴えているからだ。

だからといって、大きなことを成し遂げることや出来事は私には起きない。そもそも、物事には大きいも小さいもないとずっと言い続けて書いている。

日常をおもしろおかしく記す。
自分の周りは自分で面白くすれば良い。

これは根底に私が「人を信用していない」というのがハッキリと存在するからだ。大人は平気で嘘をつくし、何食わぬ顔をして、簡単に事実を婉曲し裏切ることが出来るということを、社会に出て自分に突きつけられて思い知ったからだ。それはそれは、とても大きなショックだった。裏切らないという信頼を前提にして社会は成り立っていると思っていた私は、根底からひっくり返されたのだ。開高健の言葉を借りるなら社会そのものが「輝ける闇」だと感じていた。

暗がりにいて明かりが見える兆しがなかったその中でも、何もない私を無条件で信頼して手を貸してくれた人がいる。それがKONISHIKIやその友人である恩師の工藤さんだ。

私はずっとこういう人達のような大人になりたいと追っている。会うたびにそう思わされる。つまり生涯追い付くことは出来ないのだと知っている。

一生追い付けないものを追うのは楽しい。

私や、私の「はなし」によく登場するポップは二十代前半のどうしようもない時代をKONISHIKIに救われた。文字通り救われた。生きている意味を教えてくれた。「何者でもない」私達に無条件に「好きなようにやれ。全部俺のせいにしていい」と背中を押すように言ってくれたからだ。

そうして自分達で動き出会った人達と今でも繋がり、一緒に楽しんでいる。もう二十年も前の話だ。

私達は、人に貰った優しさとその恩を返して生きているだけに過ぎない。

私は、貰ったものは返すと決めている。自分一人では何も出来ないと知ったその日からだ。どんな人に対しても必ず返すと決めている。そうやって生きることに価値があるし、そうすることが面白いと教えてくれた大人がいるからだ。

真似してでも追いかけなければならない。

だから、今の現状で別に私のことは何も気にしなくて良いです。「文学には絶望ということはあり得ない」を皆さんのおかげで体感している真っ最中なので。

これだけ多くの人を意図せずとも「なんのはなしですか」で巻き込んでしまい本当に申し訳ないと思っています。この気持ちは、返さなければならないと思っています。

どれだけ毎日「本当くだらないな」と笑わせてもらっているか分かりますか?ありがたく思っています。

自分が主役の人生ではないと知った日から、これまでずっと影を濃くすることに力を注いでいます。強い光に憧れるのなら強い影でないとならない。そばにいることが出来ないからだ。真っ黒で輪郭をはっきり帯びたいと願っている。

しっかりと「なんのはなしですか」について起こったことは記事にして創作大賞に出そうと思います。

私の人生は最初から進む方向と面白いと思うものが人と違うだけです。

それでも、自分が楽しいと思うものを追って突き抜けたいです。

どういうことになろうとも「なんのはなしですか」と皆さんで笑えたらなと思います。年末になって「今年はいっぱい笑ったな」と思いたいです。せっかく皆さんと同じ時間を共有出来ているので。そこまで本気でしてやっと私のエンターテイメントです。これには一切妥協しません。皆さんに対して失礼になりますし、自分の生き方に反します。

私が後悔するようなことだけはしてはならない。これが皆さんからいただいたものを返す大前提だと思っています。

何をくだらないことで大袈裟にと思うかも知れませんが、私が皆さんに対して真剣に向き合わないことこそ恥じるべきだと思っています。私は、人が無駄とかくだらないと思うことを真剣にやり続け、それをやりきると何が起こるのかを知っています。

今までも、何度もそうしてきたので。

答は、一生美味しくお酒を呑める。ということです。

そういう生き方をしてます。

久しぶりに心情だけをツラツラ書こうと思ったらとんでもないところに着地しましたが、毎日ありがとうございます。ということです。皆様にいただいたものが大きすぎて毎日痺れています。

最後になりましたが今日久しぶりにKONISHIKIこと大関に会います。会う前に今の自分の気持ちの整理をしたかったのかも知れません。

チケットを大関という元お相撲さんにお願いしてしまう私達が大好きです。大相撲観戦しに行ってきます。

皆さん国技館で会いましょう。
映る場所にはいませんけど。

ごっつぁんです。

今日だけは回収出来なくても「なんのはなしですか」と言わせてもらいます。

私のペンネーム知らない人へ。

KONISHIKIの子(コニシ木の子)です。

私のことを「息子」と呼んでくれていることを矜持として生きています。

なんのはなしですか







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