属人性のある仕事を目指すのがいいのではないか

仕事のことを考えていて漠然と思ったこと。


属人性のある仕事はプレッシャーがかかるからしんどい、と思っていたのだが、

よくよく考えれば、本当に本当に「その人」でなければだめだというような仕事がもしも自分に出来たのであれば、

もし体調を崩したり、今は仕事する気分じゃないんだなんて戯言を言っても、それでも周りが待ってくれるような仕事ができたなら、それはとても楽な状態なんじゃないだろうか。

なーんて、考えたりして。


主婦(夫)なんて、属人性のある仕事の最たるものなのではないか。

家事や育児の代行は、できる人は多いだろうけども、
全くの他人が家にいて家事育児をしているのと、
自分が信頼している家族が家にいて家事育児をしているのでは、
心の安らぎが全然違う。

こと育児は特にそうだろう。子供にとって、自分の世話は自分のお父さんお母さんが世話をしてくれるのが一番嬉しい。(もちろん例外もあるだろうけれど、大多数の場合ということで)

たとえその人が家事が下手だろうと、それでも「家族だから」「好きな人だから」という「属人性」が勝つ場合が多いんじゃないか。

ただし主婦(夫)業の一番ネックな点は、生きていく上に100%かかせない仕事にも関わらずお金を生み出すタイプの仕事ではないから、他に収入源を持たなければならない点。


これが似たように「属人性」のある仕事で、且つ収入を得られるという仕事に置き換えると、なにがあるか。

一番に思いつくのは、作家やアーティストなど。
でもこれは特筆した才能がないとなかなか難しい。


となると、
縁故で雇ってもらうことが一番近道なのではないか。という結論に辿り着いた。

「縁故採用」なんて私自身最も毛嫌いするタイプの言葉だが、
「その人となりを知ってるから雇う」という、本来の意味での縁故採用なら属人性も担保されるのではないか、という話。

・・・ああそうか、書いてて気がついたけど、これは「リファラル採用」という名前で今流行っているやつだ。

でも「採用」となると、どうしても雇う側と雇ってもらう側というパワーバランスが生まれやすいので、

どちらかといえば、会社組織に属するような働き方ではなく「ちょっと手伝ってよ」みたいな軽い働き方が一番いいのではないか。

もちろんこの働き方だと「稼ぐ」ということは難しいのかもしれない。でもがんばれば生きていくには困らないくらい、までは持っていくこともできるのではないか。

でもこの生き方を成功させるには、これまでの人間関係がとても重要になってくる。人間関係を環境によって切り替えていくような生き方をしているとなかなか難しい。書いている自分もどちらかといえばそのタイプなので、この結論に至った上で過去の自分の生き方に嘆いている。いくつかは今から修復が効くかもしれないけれど・・・どうだろう。


結局のところ、会社で雇う雇われるという関係性は、ある程度お互いに我慢しながらも生活の安定を保証する関係であって、それはそれで相当メリットも大きいわけで。だからこそ働くということに関してはこれが主流になっている。

そんな主流を無視して独自流を行こうとするのは、やっぱりそっちの方がしんどいことも沢山あるんだろう。だけれども向き不向きは確実にあるだろうな。


なーんて。考えがぐるぐる堂々巡りしている日々。

偉い人がすでに考え尽くしているようなことをない頭で考えたって仕方がないのは分かっているんだけれど、考えずにはいられない。

考える余裕があるってことは、そんなに焦ってないということでもあるのだけれども。その焦ってない状況が良い方に転べばいいものの、現在無職の私の場合、悪い方に転んでただ就職を先延ばし先延ばしにしてしまうだけに陥っていて、とても辛い。こういうことを考え始めると、楽しいことすら手につかない。どうしたものか。

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