そうか。私は、自分の仕事に誇りを持っている人と働きたいんだった。

無職になって2年が過ぎた。

さすがにお金が厳しくなって働かないといけなくなるはずなのに、なぜかそんなに貯金が減っていない。

理由はいろいろあって。

実家住まいなので出ていくお金が少ないこと、
有難いことにいろいろ手当やら頂いていたこと、
割と堅実に貯金していたこと、
その貯金も結構な割合を投資に回していたので最近の株価上昇で増え続けていることなど。

これは本来なら喜ばしいことなのだが、
嬉しい反面、困ったことに全く働く気分にならない。

聞くところによると、ニートの才能がある人とない人がいるらしい。
無職になってもわりとすぐに「暇だな」と思うタイプの人がいるらしい。
信じられない。私はどう考えてもニートの才能があるタイプだ。

・・・とはいえ、精神状態も安定してきたような気がするし、「2年」という一区切りも来てしまったし(「1年」のときはまだしんどかった)、春だし。

一度就活をしてみようかと思ってここ数週間、就活をしている。

だけれどもすでに書いたように、早急に「働かなければ」という焦りがないせいで、「2年無職」(本当に何もしていない。バイトもしていない。資格勉強もしていない。)という堂々たる肩書きながら、とても選り好みをしてしまっている自分がいる。


今の私の企業選びの軸は2方向。

① 前職までの経験を活かせる職種。

② 未経験でもライフワークバランスを大切にできる仕事。

①は特に説明することはないだろう。ほとんどの人が転職活動などをするときはそのようにすると思う。

だが自分の場合、完全に経験職と同じ業種職種となるとかなり幅が狭まり、且つ心身をやられて退職した手前、同じ職種には就くことは相当難しい。自分が身を置いていたのはそういうタフな業界だった。でも仕事自体はとてもやりがいがあった。
なので全く同じとは言わずとも、近しいようなものだったり、職務内容は違えど多少は経験を活かせそうなものだったり、やりがいがありそうなものだったり、ということも含めて考えている。

したがって②未経験でライフワークバランス重視は、
経験なんて気にせずとにかく身体を大事に、という意図でこの希望。

この2軸で求人を探していると、求人数でいうと、1:9くらい。やはり経験が活かせそうなものはかなり少ない。

そしていざ書類を送っても、9割落ちる。当然。

でもありがたいことに通った1割の企業の面接を、先週5社受けた。

1社が希望条件①にあたる経験職に近いもの。
4社が希望条件②にあたる未経験職のもの。

この面接を受けていて、思い出した感覚があった。


そうか。私は、自分の仕事に誇りを持っている人と働きたいんだった。

でも。やっぱりそれは贅沢な望みなんだろうか。



私が大学生の頃。当時は大学3年次が終わる頃から就活が始まっていたと思う。私は漠然と「舞台の仕事がしたい!」と思っているだけのぽやぽやした大学生。

そんなこんなだったので、受ける企業も素人が思いつくような超大手企業しか思い浮かばず、そんな超高倍率の大手企業をいくつか受け、あっさり全て書類落ち。

そりゃそうだ。「舞台の仕事がしたい!」、本当にただそれだけで、業界の勉強をするでもなく、特殊な知識や技術や経験を身につけるでもなく、大学受験でもほとんど勉強もできず地元の女子大に通う平凡な大学生。受かるわけがない。

仕方なくそれ以外の、かろうじて興味が持てるような会社もいくつか受けたが、結局内定はもらえず仕舞い。

大学4年の春夏になってくると、周りは内定を持っている人がほとんどになる。私は内心焦りつつも、計画性のない大学生活を送っていたために4年にもなって結構しっかり授業に出席せねばならぬ状態で、就活にも身が入らない。

夏休みに入り、やっぱり「舞台の仕事がしたい!」その一心で、小さな舞台関係の会社にアルバイトとして入ることができた。今思えばよく雇ってくれたなと思う。

その会社は、市民会館などの舞台技術全般を受託しているような企業で、私はそこに、大道具担当のような形で入らせてもらった。

自宅から片道3時間くらいかかるような遠い町の市民会館。海沿いを走る電車の窓からの風景をときどき思い出す。

日本の舞台の大道具さんは、雪駄を履いて、腰にはガチ袋(ウエストポーチのようなもの)をさげて、なぐり(金槌)でとんとんかんかんやる。そんな仕事の見習いになった。

雪駄を買ってもらい、ガチ袋はまた近いうちに買えばいいからと古いものを貸してもらう。

わー!本当の舞台の仕事だあ!と内心、無邪気に喜んでいた。

慣れないながらも、
市民のおじいちゃんおばあちゃんの詩吟大会で、背景の桜の木のかきわりをとんとん打ちつけたり、
綱場(幕をあげたりおろしたりするロープ)の使い方を教えてもらったりした。

でも、なんか違った。思っていたものとは。

大道具だし、体力も使うし、通勤もとても時間がかかったし、思っていた以上にくたくたになっていたのを覚えている。

でも、それだけじゃない、なんか違う。

何を甘ったれたことを。素人にもかかわらずちゃんと舞台に携わらせてもらってるんだから、と自分を鼓舞したが、やっぱり違う。

その「なんか違う」が明確に分かったのが、ある日の休憩室。


「あなた、いいとこの大学のお嬢様なのに、なんでこんなところで働いてるの?」

そう言われたときだった。


ああ、そうか。
ここで働いている人たちは、自分の仕事に誇りを持っていないんだ。

私は自分が憧れてチャレンジしていた仕事を「こんな仕事」と言われたことに腹が立った。

それと同時に、

ああ、そうか。
私は、生活のためじゃない、「やってみたい」という気持ちだけで仕事を選べる環境にいるんだ、と恥ずかしいような気持ちになった。

「お嬢様」。そう、いわゆる「お嬢様」の部類に入っている自覚はある。最近「親ガチャ」なんて言葉があるけれどその言葉にあえて乗るならば、私の親ガチャは確実に当たり。幼少期から相当な高下駄を履かせてもらっている。今の自分があるのは確実に親のおかげ。自分で努力なんて、側から見たらほとんどしていない。(だって現に今も、2年も実家でニートしていても怒られることもないんだから)

・・・でも、それでも、そんな自分でも色々考えてこの選択をしたつもりなんだけどな。


その日の休憩室の一言で、「なんか違う」が「確実に違う」に変わり、

やっぱり「お嬢様」でしかない私は、次の出勤日には辛くて行けなくなり、メールで退職を申し出ていた。結局1ヶ月も持たなかったと思う。

ここで粘れていたら、今の自分は違う自分になれていたかもしれない。私は嫌になったらすぐに逃げてしまう。なんだ、私はあの人の言う通り、結局ただの「お嬢様」じゃないか。

でも、それでも、自分の仕事を「こんな仕事」と言うような人とは働きたくない。果たしてこれは、間違ってることなんだろうか。

そういえば、このバイトをしていたことは両親も知らない。大学の友達にも話していない。なので思い返せば、このもやもやを誰かに発したことはないかもしれない。


そんなこんなで結局、どこの会社の内定も持たないまま大学を卒業しそうになったのだが、

やはり4月1日に仕事をしていないのが怖くなって、アルバイトだかなんだったか、何をしていた会社だかも覚えていない小さな会社に社員登用前提のような求人で紛れ込むことに成功した。

けれどもそこにも、あの「違う」があった。
働いている人みんなが、自分の仕事に誇りを持っていない。私に対する眼差しも「なんでこんなとこ来たの?」と言われていたような気がした。(実際には言われていない)

とにかく、出勤初日に一緒に食べた昼食の席の居心地が悪さをたまらなく覚えている。

なんと私は、その会社を1日目で飛んだ。


ああだめだ、自分はだめだ。

その日の夜は親に顔が合わせられなくて、家を出てカラオケで一晩過ごした。さすがに心配をかけないように適当にメールは入れていた、と思う。

ああだめだ、自分はだめだ。

もう舞台の仕事は無理かもしれない、というかそもそも社会人として生きていけないかもしれないと諦めながらも、
それでも非常に諦めの悪い私は、そのままだらだらとフリーター生活を送ることにした。


するとちょうど地元の劇場の求人があった。なんと私は受かった。あれは本当にただの運だと思う。運も才能のうちというけれど本当にそうだと思う。

その劇場での仕事はほとんど自分の思い描いていた理想通りだった。自分の仕事が誇らしくて仕方がなかったし、一緒に働いている人たちも、大変ながら小さな不満は持ちつつも、それでも仕事を楽しそうにしていた。と思う。

ああやっぱり自分の感覚は間違ってなかった、と思った。仕事も評価してもらえていたと思う。

仕事は4年続いた。もっと働くこともできたけれど、欲が出た私は転職を決意した。いわゆるキャリアアップを目指した。

・・・というのは表向きの言い訳で、なんだかんだ仕事がしんどくなっていていたのも事実。5年目に入る手前でもう心身的な限界を感じて、逃げるように転職した。結局、私は逃げることでしか現状解決ができない。

そしてまた運のいい私は、契約社員だが新卒で落ちた企業に入ることができた。これも殆ど運だ。

ここでの仕事はほぼ100%思い描いた通り。仕事の内容に関しては前職以上の満足度だった。もちろん一緒に働いている人たちも自分の仕事に責任を持ち、誇りを持って働いていたはずだ。

けれども私自身の体力不足、それから周りの知能とタフさについていけず、自分が情けなくなり2年で退職を選んだ。ここでも仕事はそこそこ評価してもらえていた・・・と勝手に自負しているが、辞め方があまりにひどいものだったのでもう何も言えない。とにもかくにも逃げてしまった。



さて、昔語りが長くなった。

そんなこんなで、そこから2年の無職期間を経て、今。

話を戻そう。


先週面接を受けた5つの企業。

1社が経験職に近いもの。
4社が未経験職のもの。


1社の経験職に近い企業は、正直、何故こんなにブランクのある人間を面接に呼んでくれたのだというほどの有名企業だった。もしかして履歴書のブランクを見落としていたのではないかと疑ってたりする。

とはいえ、面接では仕事内容を詳しく教えてくれて、私自身も仕事に対する熱い思いみたいなものを語れた気がする。そう、手応えがあった。・・・けれど落ちた。まあそれは仕方ない。とはいえ素直に落ち込んだ。かなりの有名企業だし。

それよりなにより。なんか、なんか良いと思った。うまく言葉にできないけれど。その「なんか」が自分のなかで言語化できたのは、他の4社の面接を受けてから。


未経験職の4社。

1社目は、いわゆる人事部のお堅い面接。未経験ということもあり、面接内容は新卒の面接みたいで、「えと、一体何を聞かれてるの?」みたいなふわっとした捉えどころのない質問で、何を話していたのか自分でも分からない。

2社目は、WEB面接で面接時間に遅れてきた挙句、謝罪もなく、こちらが全くの未経験というと呆れた態度で進められた。そりゃあ求人の「未経験歓迎」を鵜呑みにしたこちらも悪いけど、そこまであからさまに態度に出さなくても。

3社目は、面接専門担当として雇われているような雰囲気のコールセンターでテキパキ話すお姉さんみたいな感じ。雑談を交えながら終始和やかな面接ではあったが、仕事の内容は上部を説明されただけでよく分からなかった。

ここまでですでに「なんか違う」と感じていた。その「なんか」が思い出せなかった。その「なんか」の正体をぼんやり思い出したのが、この3社目の面接だった。

この面接で、自分の経歴を話していると「すごい、お嬢様ですね」と言われたのだ。向こうに全く悪気はないのは分かった。分かっているけれど、とてももやもやした。

あの人の言う「お嬢様」は、会話の流れから行くと「いいご身分ですね」という意味での「お嬢様」だった、と私には聞こえた。それは事実だ。事実なのかもしれないけれど、面接の場で言う必要があるのだろうか。

そしてあのときのことをふと思い出した。


そして4社目。

とても人柄の明るい面接官で、私自身、特段嫌な思いをしたわけではない。けれど言葉の端々からちょっと違うなと感じていた。それが明確になったのが仕事内容の説明中。その会社は物流系の人材派遣業だった。

先に断っておきたいのだが、この先に書くのはあくまで面接官が言った言葉だ。そして面接官も悪気があったわけではないことは理解できる。ただうっかり言葉のチョイスを間違えてしまっただけだ。

「私たちの会社で対応するのは、その…なんていうか、レベルの低い方たちが相手なので、おそらくこれまでの経験で接して来られたことのないような方達を相手にしていただくことになります」

私の記憶の限りなので、一言一句というわけではないが、あまりに印象に残っていたし誇張はしていない、はず。

とにかくこの発言でがっかりしたと同時に、私がこれまでの面接でも感じていた「なんか」の正体が確定した。

自分が仕事で対応している相手のことを例え口がすべってでも「レベルが低い」だなんていうだろうか。これは相手への尊敬がないと同時に、自分の仕事にも誇りに思っていないんだろうな、と少なくとも私には感じられた。

あの夏休みに、3時間かけて通っていた市民会館の休憩室の光景がはっきりと脳内に映し出された。ついこれまではそんなこと、最早そんなバイトをしていたことすら忘れかけていたのに、瞬時に記憶が蘇った。


未経験で面接を受けた4社は、単純に仕事内容がはっきり見えなかったということもあるが、面接官が自分の仕事に誇りを持っている気配を感じなかった。私達はすばらしい事業をしている、という自負のようなものを感じなかった。

経験職の1社は、それがあった。確実にあった。
企業としても有名な企業で、BtoCでやりがいが目に見えやすい業種ということもあるかもしれないが。それでもそれだけではない仕事へのプライドのようなものを感じた。


そういえば未経験の4社は結果すら来ていない。もしかしたら不採用の場合は連絡なしと言っていたかもしれない。その程度の興味だったので結果がどうやって伝えられるかも覚えていない。私もそつなくは面接できた気がしていたが、「なんか違う」と思っていたからその気持ちが相手にも伝わっていたのだろう。


とにかく、この1週間、どっと疲れた。

単純に全ての面接に落ちてしまった(おそらく)という、所謂「社会に否定された」みたいな感覚もあるのだが、それは無職を2年もしている手前、偉そうなことを言える立場では全くない。

それよりなによりも、自分の仕事に対して抱いていた軸を明確に思い出して、
さらに働ける自信がなくなってしまった。

果たして、仕事への誇りを堂々たるものとして持っている人が働いている企業を見つけられるのだろうか。
見つけられたとしブランク持ちの私なんかを拾ってくれるのだろうか、という絶望が広がった。

もちろん世の中にある企業の多くは、何か大義名分があって生まれているのだと思う。とはいえ利益を出さねばならないわけだから、そこで働く従業員の実際は「とにかく働く」ということをしている人が殆どだろう。それを否定するつもりは全くない。むしろそうやって働いている人がいるから私の生活も成り立っている。それは重々理解している。

そのなかで自分なりのやりがいを見つけていくのだと思うし、実際きちんとやりがいを見つけている人もいるはず。たまたま私が先週面接していただいた4社の面接官たちからは、そのやりがいのようなものを感じられなかったが、きっと明確にやりがいを持っている人が働いている企業もあるはずだ。

けれどもこれは。なかなか探すのが骨なのではないか。

そういえば。先日観た映画『夜明けのすべて』のあの会社は、小さいながらにそういう雰囲気があった。あんな企業をがんばって見つけるしかないのか。

・・・ちなみに困ったことに、とにかく熱意がある!みたいなベンチャー系は実はバイトで経験したことがあるのだが、それはそれで私自信の性質に合わなかった。この温度加減がかなり難しい。

だからこそ分かりやすい、まるでYouTuberの謳い文句ような「好きなことで、生きていく」みたいな企業に、未だに憧れを持ってしまう。ブランク2年だぞ。身の程しらずな。選り好みも甚だしい。

しかも一度ならず二度までもそれができるとてつもない幸運にありつけたくせに、それすらも続けられずに逃げたくせに。それにまた無理して体調崩すかもしれないんだぞ。自分、思ってるより体力ないんだからな。


結局、いつまでたっても「お嬢様」なのだ。私は。「お嬢様」と言われることが嫌で嫌で仕方ないのに、やっぱりどっからどう見たって、自分のムーブは「お嬢様」そのものだ。

プライドだけが高くて実態が伴わない。最悪のパターンの「お嬢様」だ。これできちんと実態が伴っていたら、それは正真正銘のエリートだろう。でも私はちがう。ただのいいご身分の「お嬢様」だ。


ああ、どうしようか。このまま、再び無職の殻に閉じこもりそうだ。
なんでこんなに貯金が減らないんだろう。(嬉しいくせに)

なんで世の中は、こんなにも一度ドロップアウトした者に厳しいのだろう。
こんな世の中のほうがおかしいぜ!狂ってるぜ!

・・・みたいな、いかにも無職っぽいロックな思想も根っこにはあるのだが、それは今回は心の奥の引き出しに仕舞って書いてみた。

だって。やっぱり自分の弱さが原因だと思うんだ。大多数ができてることが私にはできないんだから。しかも病気とかでもないんだから。(実際体調は壊したけれど。あれは、甘えではなかったと、思いたい。)

だからといって何もしないままでは何も始まらないから、自分流でもなんでも、何かしら模索しなければならないことも重々分かっているんだけど、でも、今この状況から一歩踏み出すのが怖くて仕方がない。

このままここに留まり続けることの方が、長い将来を踏まえて見たら、よっぽど怖いことなのも分かってる、分かってるんだけど、だめなんだ。今もキーボード叩きながら、涙がぼろぼろ止まらないんだ。

って・・・あれ?冒頭に「精神状態は安定している」なんて書いたけど、全然安定していないのでは。


ああだめだ。
また本旨とずれた締めくくりになってしまった。

自分の頭の中のもやもやを、なにかしらタイトルをつけて、おおよそ筋道を予想しながら書き進めるんだけど、着地がいつもずれてしまう。

それを修正する気力もないから、このままアップしてしまう。


自分でいうのもなんだけど、もっと丁寧に着地できる文章が書けて、てにをはを整えて、少しずつ混ざる変な口語が抜けたら、私の文章、並程度にはなると思うのです。(変な口語についてはわざやってる部分もあるのだけれども)

そうしたらさ。それこそ、とても烏滸がましい理想だけど、たとえばライターだとかさ、自分の裁量で仕事できるような可能性とかに繋がるかもしれないわけじゃん。あくまで可能性ね。


ああ、だめだな。弱いな自分は。なんにもやり遂げられない。

そういえばヨーロッパ旅行の記録残すのもストップしちゃってるし。(これはどれだけかけてもやるつもりだけど。)


はあ。就職活動、このまま続けるのしんどいな。



追記。

これを書いたのが夜中で勢いでアップした。

翌朝である今、読み返して書けていなかった主張があったことを思い出したので書き留めておく。本旨の流れとは少し別になってしまうが書いておく。


「お嬢様」問題について。

すでに書いたのは「なんでこんなところで働くの?」と働いている自分側を卑下(よく言えば謙遜)するパターン。これもこれで辛い。

ただもう一つパターンがあって、それが「あなたみたいな人にはこの仕事無理だよ」という相手軽視パターンもある。

実際、私が大学卒業後に面接を受けた小劇場で「好きなだけでやれる仕事じゃないんだよ?」とあからさまに見下されて言われた。

それは事実だったのかもしれない。実際に好きなことを仕事にした上で体調を崩して今無職だ。とは言え数ヶ月とか半年とかで安易な気持ちで「やっぱ無理〜」となった訳ではない。自分なりにかなり真剣に向き合った上で、致し方なく退職を選んだのだ。

その劇場は全国的に見ても稀有な劇場で、経験を積んだ今でこそ良い劇場だと思う。
だからこそ現場にいる面接官がこれからファンになるかもしれない求職者に対して、蔑むような言い方をしてきたのは本当に解せない。

今はもう時効と思って忘れようと努力しているが、あの面接のおかげで実際私はあの劇場から足が遠ざかっていた。今もあの人は働いているのだろうか。


話を戻すが、この相手軽視パターンも、「お嬢様」問題のひとつだと思っている。あの軽視はどう考えても私の学歴を見た上で出てきた言葉だった。

ちなみに自己卑下しつつ軽視もされるパターンもある。というかそれが一番多いかもしれない。要は僻まれる。

とにかく私の学歴は学校名があまりにも「お嬢様」すぎるのだ。

通っていたのは事実だし私自身それを嫌悪してる訳ではないが、そこで品定めをされる感覚は何度も味わったことがある。

幼少期から下駄を履かせてもらっていることは認める。けれども反面その下駄のせいで、一方的な判断をされることが多い。

そしてその判断が実際合っていることが多いのも辛い。やはりそういう風に「お嬢様」として見てくる人達とはどうしても話の内容が噛み合わないことが多い。

私も、そこでどうあがいてもやっぱり「お嬢様」だから、その噛み合わなさを我慢したり相手に合わせようと努力したりする忍耐強さがあまりにもない。

だって私だって「自分のことをお嬢様として見てくる人達」として一線を引いて見てしまってるのだから。結局自分がしてることも同じだ。

・・・そうか、これはやっぱり私自身の問題なんだろう。そうなのだ。ああ。


以上、取り止めのない追記となりました。

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