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将来のことを考えずに今に没頭できるか

私は今しばらく無職をしていて、就活を始めたのだけれど上手くいかなくて、いっそのことフリーランスを目指すかと考えたりするのだけども、なかなか行動に移すことができなくて。

その理由がすこしだけ分かった気がしたので、今ここに書き留めておく。

フリーランスをしようと思うと、ほぼノースキルの私は、勉強するなり未経験なりにクラウドソーシングサイトで応募しまくるなり、とにかく行動を起こさなければならない。頭では色々とあれをしてこれをしてと考えるのだけども、全く行動が伴わない。

やはりまだ、多くの人がそうするように会社に入って就職してという道を選んだほうが良いのではないか、という考えが頭の2割くらいを占めているせいだ。でも自分なりに就活をやってみて、今はそれは無理らしいと結論付けたはずなのだ。だからとりあえずフリーランスを目指してみようと思ったはずなのだ。でも、できない。

何かに没頭しようと思うと、何かを捨てなければならないのだ。

もしかすると器用な人であれば、2割くらいの余力を他に残しておいて、8割くらいでやりたいことをする、というようなことができるのかもしれない。でも私はこれまで30年以上生きてきて、そういうことができる人間ではない。と理解している。

しかし、いざ捨てるとなると、その捨ててしまった選択肢の方が本当の自分の活路だったのではないだろうか、という不安でいっぱいになる。

大人になると先のことを考えずに「今」に没頭する、ということができなくなってしまう。常に「将来」がつきまとう。今だってそうだ。フリーランスという少数派の道を選んで、将来の自分が後悔するのではないかという心配で頭がいっぱいだから行動することができない。

両親も健在、結婚もしていない、子供もいない私ですらそうなのだから、結婚している人や子供を持つ人たちなどからしたらもっともっとそうだろう。すべての選択や行動に「将来」がまとわりついてくる。自分だけではなく家族の将来にも関わってしまう。

「若い頃しておけばよかったことはなんですか?」という質問への答えは、大体が「もっと勉強しておけばよかった」「もっと遊んでおけばよかった」に集約されると思うが、

この真意は、もっと「今」に夢中になっておけばよかった、ということなのではないだろうか。

そのときその瞬間の興味のおもむくままに、やりたいことを全力でやればよかった、という意味なのではないだろうか。

「進路のため」「就職のため」などということを考えずに、とにかく、ひたすら、自分がやりたくてやりたくて仕方がないことをやればよかった、という意味なのではないだろうか。

ただ悲しきかな現実は、中学に入ったらすぐに「高校」のことを考えねばならず、高校に入ったらすぐに「大学」のことを考えねばならず、大学に入ったらすぐに「就職」のことを考えなければならない。人によっては小学校のときから「中学」のことを考えなければならない。

私自身、思い返しても、「今」と真正面から向き合えていたのは、小学生の頃だけだったかもしれない。

大学時代は能天気な性格のおかげか他の学生と比べたら「今」に集中していたタイプだった。しかしそれはそれで、周りが就活という「将来」に向き合っている最中、自分だけ「今」に集中しているようで、仲間と一緒になって「今」に向き合えないのがとても歯痒かった。

しかもその成れの果て、紆余曲折を経てではあるが、今、無職という結果になっていたりする。

・・・じゃあやはり、「今」なんかと向き合わずに、常に「将来」と向き合うべきなんだろうか。

どうしてもそうは思えない。いや思いたくない。これは理屈ではなくただの勘でしかないのだが。

いつかこの勘が正しかったと思える将来が来たらいいのだけれど。

私は、「今」に没頭できる人間になりたい。

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