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アンミカのどん兵衛CMキャンセルとKADOKAWA出版キャンセルの結果

加藤文宏


どん兵衛と陳腐化

 日清のカップ麺「どん兵衛」についてマーケティングにかかわるデータを持っていないので一般論で語らざるを得ないが、ロングセラー製品は陳腐化に陥らないよう折々に刺激的な情報を消費者に向けて発信する必要がある。
 日清のロングセラー「カップヌードル」を例に考えてみよう。
 「カップヌードル」には1971年に発売されたオリジナルを中心として、シーフードとカレーが主力の座にあり、これらの脇にチリトマト、味噌が控えている。そして毎年、新フレーバーやキャンペーン製品が登場し、消えて行く。オリジナル以外のシーフードなどラインナップも、過去の新顔のなかから生き残ったものである。
 なぜ、エスニックフレーバーだけでなく「謎肉だらけ」「エビまみれ」など奇妙な製品を企画して店頭に並べるのか。日清がおもしろい会社だからだろうか。
 こうした強い刺激を店舗と消費者に与え続けないと、中核に位置するブランドの生命線とも言えるオリジナルフレーバーが陳腐化して、古臭い、忘れられた存在になってしまう。だから日清は、製品で広告でおもしろい会社であり続ける戦いを続けている。
 食品は定番化するのが重要で、店舗の棚に確固たる地位を築かなくてはならない。だが、カップヌードルが半世紀前に登場したお爺ちゃんやお婆ちゃんの食べ物として若い世代に位置付けられたら、店舗の棚から追い出されてしまうのである。「どん兵衛」も、放っておいたら陳腐化してしまう1976年登場の製品だ。

どんぎつねと吉岡里帆とアンミカ

 「どん兵衛」のテレビCMは山城新伍・川谷拓三コンビではじまった。カップ麺といえばカップヌードルとその亜流か、ラーメンだった時代に和風即席カップ麺であることを強調するため、山城と川谷は落語世界の登場人物のようにCMで演出された。これが新発売時にCMに課せられたテーマだった。
 その後、さまざまなタレントが登場する多様なCMが制作された。それぞれ人気者だからという理由だけで起用され制作されたのではなく、「どん兵衛」ブランドを活性化させる戦略のうえにCMが企画された。
 また「どん兵衛」にも、カップヌードルのようにさまざまな新製品が投入された。しかし「どん兵衛」の新フレーバーを記憶している人はそうそういない。なぜなら、うどんやそばの新フレーバーは具材にしろ汁にしろ、カップヌードルのようには変幻自在に展開できないからだ。
 こうしたジレンマのなか、2017年に吉岡里帆と星野源の「どんぎつねシリーズ」CMがはじまった。ラブコメめいたストーリーCMは、吉岡里帆の魅力によって爆発的な人気となり、ロングセラー「どん兵衛」を次の世代へ手渡すことに成功した。
 それから5年が経過した。吉岡里帆のどんぎつね登場時に小中学生だった人たちが、自分でカップ麺を買い、自分の部屋で、自分で湯を沸かして食べる時代になった。まだまだ吉岡や、彼女のイメージを踏襲したどんぎつねが有効な気もするが、生き馬の目を抜く食品業界からすれば陳腐化が気になり始めていたかもしれない。
 吉岡里帆降板にはさまざまな事情があったはずだが、これを機に新たな、強烈な刺激を市場に与えようと日清が考えてもまったく不思議ではない。斬新でエキセントリックな新フレーバーを展開できない「どん兵衛」は、斬新でエキセントリックなアンミカを登場させたのである。
 アンミカを起用すれば、吉岡のどんぎつねの情緒性を好ましく思う層から反発があるのは織り込み済みだったろう。むしろ既存のCMファンの機嫌を取ることより、あらたに面白がる層の獲得が目的だったと考えるのが妥当だ。

アンミカをキャンセルする騒動の結果

 アンミカが嫌われるのには理由がある、とする人たちがいる。広告代理店がゴリ押ししている、とも言う。これは反日的な目的だ、と大袈裟に語る人もいる。
 だが広告代理店にも日清にも、政治的メッセージを折り込む暇はない。アンミカは賛否両論を生むほどのインパクトが期待されて、広告などに起用されているのだ。さらに日清という企業は、広告代理店の思惑に乗せられるほどヤワな体質ではない。
 いまは知らないが、かつては日清系列のライブハウスであったパワーステーションにて開催される忘年会に、取り引きがある広告代理店を呼びつけ裸踊りや常識はずれの芸で競わせて笑い者にするのが同社の恒例だった。
 そしてリアリストである日清は、アンミカへの毀誉褒貶を理解したうえで「どん兵衛」をアピールした。アンミカ演じるどんぎつねへの批判が想定外の方向へ進み、彼女の出自がとやかく言われるまでになったが、「どん兵衛」に注目が集まり、ショック療法で陳腐化が遠のいたとすれば塞翁が馬である。
 もしこれがまったくの新製品だったらちがっただろうが、「どん兵衛」は堂々たるロングセラー製品であり、一般的な消費者は騒動と関係なく「どん兵衛」を習慣的に買う。転んでもただでは起きない日清くらいの企業になると、投下した宣伝費以上の話題になったとそろばんを弾いているかもしれない。

KADOKAWAをキャンセルした結果

 LGBTQ活動家と左派政党、左派リベラル支持者が、角川書店が発売しようとした「あの子もトランスジェンダーになった SNSで伝染する性転換ブームの悲劇」を出版中止に追いやった。
 この結果、同書の内容を精査すべきと考えた人々が原書を読み、同書が出版された国々での反応まで調べる動きをみせた。原書を読んだり、海外の動向を調べた人たちは、活動家らが言うようなヘイト本ではなく、不可逆的な医療処置を受けて後悔する人の存在や、周囲の状況を伝えるドキュメンタリーであるのを知った。そしてSNSを通じて同書の内容と感想を伝えはじめた。
 これからどうなるのか。「あの子も──」の内容にとどまらず、トランスジェンダーをめぐる状況や運動への批判が、言論の自由を害した行動への批判とともに語られ、社会に根付くことになるだろう。もし他の出版社が同書を翻訳書として発売したら、書店が陳列を拒否しても通販だけで上々の売り上げを達成するはずだ。出版キャンセル活動の顛末が最大の宣伝として利用できると目論み、そろばんを弾き始めた出版社があるかもしれない。

脊髄反射的な反対がもたらす想定外

 当記事では善悪や正義と不正の観点を捨て、「風が吹けば桶屋が儲かるのか?」といった視点からどん兵衛のCMと、トランスジェンダー本の出版キャンセル問題について簡単に事情をまとめた。
 どん兵衛のCMをめぐる騒動は、コミュニケーション戦略とは何かなどという大それた知識がなくても、過去の事例を振り返ればどのような結末を迎えるか想定できたはずだ。
 トランスジェンダー本へのキャンセル運動も同様であり、もしかすると威力や勢力によって押し切れると想定していたかもしれないが、もたらされる反動を考えていなかったとすれば愚かである。
 反対すれば、声が大きければ、思惑通りになるという想定はバイアスにすぎない。思惑が騒動化そのものにあり、威力と勢力を見せつけて印象づけたり、鬱憤を晴らすことが目的だったとしても、逆効果をもたらすだけでなく思わぬ者の利益に結びつく場合がある。
 これらをアンミカのどん兵衛CMキャンセルと、KADOKAWA出版キャンセルが教えてくれた。善悪や正義と不正より、よほど確固たる事実である。

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