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理不尽な13年 れいわ・立憲・共産・社民が生んだ虚像とエセ左派・リベラル

──山本太郎とれいわ新選組は、大衆扇動のかぎりを尽くしている。扇動された人々を囲い込めば、コストをかけずに新たな運動が展開できる。こんなことのために、東北被災3県や能登半島の被災地が利用された。れいわ新選組だけでなく立憲・共産・社民の大衆扇動によって増殖したのが、「より平等な社会を目指すための社会変革」とまったく関係ない自称左派・リベラル層である。彼らは「左派・リベラル」を名乗るためだけの戦いを続けている。

加藤文宏


繰り返された虚像づくり政治

 れいわ新選組のやはた愛氏が能登半島地震の被災地輪島市に出向いて、「当時の悲惨さが今もそのままで絶句しました」と写真を添えて紹介した。国や自治体の怠慢によって復旧が遅れていると言いたかったのだろう。しかし瓦礫やガラス片がところ構わず散乱していると説明された状態や、写真に描写された異様な雰囲気が実際には存在しないと指摘され批判を浴びた。
 やはた氏が投稿した写真は、「事実」を撮影したものだが劇的に演出されていたのだ。彼女は事実を歪曲して虚像をつくり出し、この実在しない現象を見聞きして感情的になった人々を扇動しようとしたのだろう。なぜなら事実を歪曲したり、被害を捏造することで支持を集めてきたのが山本太郎氏とれいわ新選組だ。
 山本氏は2011年に発生した原発事故に乗じて反原発運動を展開した。被災地のみならず関東も放射能の影響で人々が被曝し健康被害が出るとデマを語り、レスキュー隊が被曝死したなどというあり得ない話で幼い子を持つ母親たちを脅している。瓦礫の広域処理に際しては、自らの母親がとてつもない健康被害を受けたと大騒ぎしたが、その後どうなったのかまったく説明されないまま現在に至っている。

 山本氏の言動は、震災に動揺し原発事故に不安を抱いていた人々を惹きつけ、彼らに強い「被害者意識」を植え付けた。人々の漠然としていたネガティブな感情は、被害と加害の関係を意識することで激しく燃え盛った。この燃え盛る感情に、山本氏は国と東電こそが「加害者」、不安を鎮めようと科学的根拠に基づいた事実を伝える人々を「工作員」や「御用学者」と指差して怒りをぶつけるように誘導した。
 山本氏の扇動力を利用したのは新左翼の中核派だけでなく、多くの生活協同組合、再エネ業界もまた、それぞれの主張とビジネスのために急接近して彼の活動を盛り立てた。
 いま山本氏とれいわ新選組は「能登半島への支援が遅く乏しいため復旧が遅れている」と政権や自治体を責め立てている。だが10余年間に渡って東日本大震災の被災地に放射線デマを振り撒いて、瓦礫処理にも反対運動を展開していたのが彼らであり、このため復旧だけでなく復興がとてつもなく邪魔されたのだった。 
 事実を歪曲されたことで、被災地と周辺地域の農産物、酪農製品、魚介類などが放射線デマによる風評被害によって販路が奪われただけではない。住民は結婚や出産に際して差別的な視線にさらされ、生きる希望を失いメンタルに不調をきたす人が続出した。
 避難する必要のなかった人々を自主避難に駆り立てたのも、デマに基づく被曝被害の虚像だった。自主避難者のほとんどが避難先で経済的な困難と社会的な孤立に悩まされたが、これさえも山本氏をはじめ反原発を掲げる政党や団体によって「政権と東電のせいだ」とされ、自主避難者が反原発運動に利用された。
 れいわ新選組と同党創立者で代表の山本氏が行ってきた「事実を歪曲して、虚像で人々を扇動」する政治は、何ひとつ社会の課題を解決しない。虚像を解決しようとすれば、現実の社会や政治が歪む。そればかりか何ひとつ解決していないにも関わらず、新たな事案を歪曲して、新たな扇動をはじめる。
 こうした扇動の自転車操業が繰り広げられる一環で、やはた氏の「輪島市歪曲事案」が発生したのだ。

れいわ山本・立憲・共産・社民と報道の狂った13年

 れいわ新選組だけでなく、政党では立憲・共産・社民がALPS処理水を「汚染水」と連呼して放出に反対した。彼らの主張は科学的根拠に欠け、感情論を合理的なものに見せかけるように粉飾されたものだった。
 さらに報道機関の多くが山本氏とれいわ新選組・立憲・共産・社民の主張を美化し、「汚染水」呼びを長期間に渡って続け、事故処理と処理水と被災地について事実を歪曲して報道したことで虚像が巨大化した。
 被曝して鼻血が出る、福島県は死の土地になった、自主避難者は国と東電に苦しめられている、汚染水を流すと汚染魚ができあがる──これらの歪曲された情報によって大衆が扇動された様子を、筆者は以下の模式図で説明してきた。

 活動家や政治家、報道やSNS、不安や不満を抱く人々(追随層)がかたちづくる三つ巴構造のなかに、追随層の抱えた解決し難い漠然としたネガティブな感情を活動家や政治家が強烈な怒りに変える循環構造が含まれている。
 活動家や政治家の動向は、報道やSNSで伝えられる。報道やSNSの影響によって虚像が増幅される。大衆は巨大な虚像を事実と思い込み、不安や不満に歯止めが効かなくなる。このネガティブな感情を解決する策として、政治家や活動家が攻撃すべき相手を次々と指し示す。ここに支持、被支持の関係が生まれる。支持者たちの怒りの盛り上がりと、活動家や政治家の主張を支持する様子は、報道やSNSによって美化され虚像を生み出す。
 この循環が延々と繰り返されたのが、原発事故以後の13年間だった。
 やはた氏の言動は歪曲と捏造が瞬く間に暴かれたが、反原発派など左派・リベラル勢の攻勢が激しかった昨年までは、虚像を元にしたさまざまな大衆扇動が繰り返され、そのやり方がまかり通っていた。狂った時代だったと言わざるを得ない。

社会の分断が運動の手段であり目的

 大衆扇動だけでなく、左派・リベラルの構造をあきらかにするため、彼らが行っている社会運動について考えることにする。
 大衆扇動は、反原発運動など社会運動の準備段階だ。社会運動では、先の三つ巴構造に参加する者が「被害側」または「被害当事者」とされ、虚像によって被害の大きさが拡大再生産される。社会運動は被害者を固定し、同時に加害者も固定し、運動に参加した者たちは強固な引力によって囲い込まれる。
 被害者が固定され囲い込まれるので、加害者とレッテルを貼られた人々だけでなく、運動に賛同しない他の人々との間に分断が生じる。不安や不満に対して怒りの対象を示唆して攻撃をそそのかすのが大衆扇動であるから、攻撃対象の存在が欠かせず、社会の分断は活動家や政治家にとって手段であり目的でもある。
 この状態を模式図で表すと以下の図になる。

 ひとつの大衆扇動と社会運動で参加者を囲い込むと、運動が安定するのは当然だが、運動の威力が増すことで新規参入者を容易に獲得できるようになり、これが運動の強化につながる。しかも運動が強化されると、運動に必要なさまざまなコストが低減できる。
 たとえば反原発運動を始めたばかりの山本氏は、講演に登壇して会場の聴衆に主張を届けるのがやっとだったが、いまどきは政党支持者たちに一気に動向を知らしめることができる。さらに支持者たちの言動が、山本太郎の考えや党の方針を世の中に拡散している。
 立憲・共産・社民の狙いもここにあった。また報道機関も固定客を獲得することで、ひとつの報道で多くの成果を得られるようになった。
 囲い込まれた層は、活動家や政治家や報道機関によって他の事案や運動に転用された。転用によって運動を強化するコストはますます低減できた。これが狂った13年間に繰り返された虚像づくり政治の実態だ。

彼らが「左派・リベラル」を名乗るためだけの戦い

 勘がよい人は気付いただろう。大衆扇動に追随した層で、活動家と政治家に囲い込まれて社会運動を強化し、強化コストの低減に寄与した層とは自称左派・リベラル層のことだ。
 この自称左派・リベラル層は反原発運動、反差別運動、反アベ、表現規制フェミニズム、トランスジェンダー本焚書層などとして、それぞれの運動に参加した人々であり、他の運動に転用された人々である。さらに、「壺」を連呼する統一教会追及層をここに加えてもよいだろう。
 自称左派・リベラル層の特徴は、彼らが本来持ち合わせていなければならない「より平等な社会を目指す」理念がないことと、人権が認められなくてはならない彼らと「人権が尊重されなくてもしかたない人たち」に社会を分断しようとする態度だ。
 自称左派・リベラルは、反原発運動でもフェミニズム運動でも、異なる立場の人々を排除し社会から抹殺しようとした。反差別運動では相手を説得するのではなく「しばく(殴る、痛めつける)運動」を展開した。トランスジェンダー本焚書でも社会を分断して出版の自由を毀損した。この流れで、安倍晋三氏の人権が無視された末に暗殺事件が肯定され、統一教会信者の信仰が暴露されたり、彼らを拉致監禁する行為が肯定されたと言ってよい。

 自称層だけでなく、活動家やヒエラルキーの頂点に位置する政治家も、彼ら本来の「より平等な社会を目指す」理念を見失っていると言わざるをえない。
 理念を見失った左派・リベラルに残されたものは、事実を歪曲して虚像生み出し、虚像をもとに大衆を焚き付け、大衆に被害者意識を芽生えさせ、怒りのぶつけ先を示唆して扇動し、扇動された人々を囲い込む「手段」だけだ。
 そして「手段」は、左派・リベラルが「左派・リベラル」を名乗るためだけに、「人権が尊重されなくてもしかたない人たち」との戦いに使用されている。
 この戦いは空虚な革命ごっこであり、社会改革を旗印にした壁打ちテニスのようなもので、打ち損ねたボールが無関係な通行人にぶつかる迷惑が発生している。
 こうなってしまったのは、彼らが左派・リベラルを標榜するほどには対極に位置するはずの右派・保守主義が存在せず、右派・保守主義とみなす政党や人々が思いのほか中庸またはリベラルだったからにほかならない。
 したがって打倒すべき保守政党の自民党が政権を取っても、彼らが言うほどには日本が右傾化しなかっただけでなく、社会が混乱することもなく、多くの人々が自民党に投票し続けたため長期政権化した。むしろ、民主党が政権を取った時代が「悪夢の」と前置きされるほどだ。
 虚像をもとにした、彼ら以外の人々への革命ごっこや社会改革を旗印にした壁打ちテニスでは、自称左派・リベラル層の焚き付けられた怒りは解決しない。ひたすらつのる恨みつらみは、新たな虚像とともに示唆される怒りのぶつけ先へ向かう。
 これが、社会運動を次々と着火可能にする低コストシステムである。自称左派・リベラル層は、れいわ新選組の山本氏・立憲・共産・社民に搾取されるかわいそうな人々なのだ。


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