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わたしのTOGENKYO 感想戦 クリエイターインタビュー第3弾


先日、最終回を迎えた『#わたしのTOGENKYO』。
この記事では企画の感想戦として、全3回に渡る全ての『#わたしのTOGENKYO』企画に参加していただいた3名に、企画のことから創作に関しての考え方まで、インタビューをしました。
企画に提供していただいた作品のエピソードもたっぷりお聞きしたので、ぜひ一読していただければと思います。

最終夜である今回は、こしの(@tan_dunno)さんのインタビューを掲載いたします!
作品について意外にも、興味深い話をたくさんお聞きしたので、ぜひお楽しみください。




———最後の最後にこの企画の根源的な点から盛り上げられたんじゃないかな

DĀ「まず『#わたしのTOGEKYO』に参加してみた率直な感想を聞かせてください。」

こしの「まずはめちゃくちゃ楽しかったのが一番です。ファンアートはそのものの共通認識を描き出して「わかる、そうだよね」と共有するものと、「誰でもない私がこう思ったんです!」と大声で宣言するものがあって、「わたしのTOGENKYO」は後者を待っていたことを感じたし、その大声勝負がものすごく熱かったですね。
あと、この企画の真っ最中に『ASOVISION』が発表されたことは結構衝撃が強かったです。三原康司さんによる「夜にロックを聴いてしまったら」のショートムービーが投稿されたとき、『わたしのTOGENKYO』で私がやろうとしていたことと被っていて動揺したんですが、中身のアプローチが全く違って「そうだ、これは『三原康司さんの見たVISION』であって、今手元にあるものは『わたしの見たTOGENKYO』だからな」と思えたのがすごく面白かったです。尊敬している本家に食らいつくようにも見えるのでちょっと緊張しましたが、むしろ同じ曲の同じ媒体で別のものを見せることができたらわかりやすく「わたしの」が浮き彫りになって、最後の最後にこの企画の根源的な点から盛り上げられたんじゃないかなと思っています。」



———フレデリックのライブの「何が来るんだろう」とワクワクする感覚、ビックリさせられる感覚たちを愛しているのですが、それらを思い出してもらえていたら嬉しいです。

DĀ「公表はしてなかったけど、第3回のみ参加者の希望を聞かずに主催者が曲を提案するかたちだったこと、常連の方には「今まで自分がやったことのない表現方法に挑戦する」という隠れミッションがあったことについて、普段の(企画ではない)創作と違う点がありましたか?」

こしの「『夜にロックを聴いてしまったら』はアルバム随一の推し曲だったので「今まで騒ぎ散らして愛してきた甲斐があったな」と思いました。この曲を好きな人はもちろん私だけじゃないけど、「あなたにずっと見えているその曲を私たちにも見せて欲しい」って言ってくれた気がして、つまりはガッツポーズです。
今回は作品自体だけでなく作品の外にも目を向けて、ここまでの時間を取った「演出」に凝るというのは初めてでした。順番やタイミングをしくじったら興醒めなので、フォロー0フォロワー0の非公開アカウントを一時的に作って、そこでツイートの流れを確認するいわゆるリハも行いました。もちろん演出だけに凝って肝心の中身が空っぽでもいけないので、気を抜けるとこはなかったですね。フレデリックのライブの「何が来るんだろう」とワクワクする感覚、ビックリさせられる感覚たちを愛しているのですが、それらをツイッター上で思い出してもらえていたらとても嬉しいです。」

DĀ「なるほど。『初めての何かをやって欲しい』っていうミッションがあって、これまでこしちゃんはイラストも動画もどちらもこの企画で見せてくれていて、今回は『演出』に初めてが込められてるっていうことなんだけど、具体的にはどの部分が作り手として『初めて』に感じましたか?」

こしの「かなり外からは分かりづらい「初めて」ではあるんですが、作るジャンルが変わった感じです。というのも、今まではフィクションの人物の場面を覗くように曲のイラストを描いていたんですけど、今回はがっつりノンフィクションというか、登場人物にはモデルがいて、しかもそれが自分自身なんですよね。こういうことを言うのはめちゃくちゃ照れるんですけど。
最初ミッション抜きに浮かんでいた流れは「それぞれ別の場所別の境遇で同じ音楽を聴いた2人が出会う」みたいな感じだったんですけど、あまりにも『薄すぎる』というか自分には説得力が出せなくて、これは他の「わたしのTOGENKYO」に食われるな、と思って没になりました。
そこから本当にかなり悩んだのですが、説得力で言うなら一番確かなのは自分が音楽をどんなふうに好きなのかということだろうと思って、結果作品上で自分をさらけ出そうと決めました。恥ずかしいけど中途半端に隠したら主張がわからないし、行き過ぎた自分語りで観る人を置いていくことにもなってはいけないので、そこの塩梅は本当に難しくて苦しくて、でもやっぱり面白かったです。」



———頂いたデモを聴いたところからアプローチがはっきり分離していく感じでした。

DĀ「主宰の意図として、企画に参加してくれた方に「創作をする人同士の出会い」の場を提供できれば、という点も含まれたんだけど、この企画を通じて自身に「新しい出会い」はありましたか?」

こしの「これは本当に新しい出会いばかりだったような気がします。
今回は第3弾トップバッターのAyaさんにDMでお伺いを立てて、後半のピアノを弾いていただきました。私は普段からあまり交流が得意な方ではないので、こうやって自分から誰かの力を借りに行くことも初めてでしたし、フォローして初手で長文のDMを送るのは結構な勇気が要りました。でも絶対面白くなると思ったので。
第二弾でのコラボはDĀさんからの提案だったのですが、そこで人に託すことによる不確定要素は自分だけじゃ出会えない別の場所に行ける希望を持ってるんだなと思えたことが本当に強かったです。それも新しい価値観との出会いですよね。きっとバンドはこういうところが面白いんだろうなと勝手に共感していたりしました。」

DĀ「Ayaさんのピアノとのコラボに関しては、私も作品を見るまでまっったく知らなかったので、本当に驚きました。今回の作品で前半の動画が打ち込みの電子音、後半の動画が生の楽器の音、という差分があることにはもちろん意味があると想うんだけど、どういう意図で出来上がったアイデアなんですか?」

こしの「最初こそ『2つ作るなら同じ音でも面白くないよな』というくらいのアイデアだったのですが、いざ頂いたデモを聴いたらそこからアプローチがはっきり分離していく感じでした。
電子音の方は音の一つ一つが短く跳ねているのでカットが忙しく動いてて、本家からのイメージをそのまま使ったことが多かったのですが、ピアノの方は音と音が流れるように繋がっている感じがあって、頭にあったイメージからかなりカット数も減りました。もともと妄想世界と現実世界の2つを描きたいとは思っていたんですけど、ここで音から主人公がバッチリ2つに分かれて、絵柄を変えるアイデアもここから生まれましたね。最初から全部計画しきっていたわけではなく、行き当たりばったりと言えばそうなんですが、制作中のイメージが柔軟に変わっていったのは楽しかったですしめちゃくちゃ疲れました!」



———『伝達ノイズ』は最低限にしようと思った結果、絵柄に辿り着いています。


DĀ「『わたしのTOGENKYO』の根幹であるFA(ファンアート)のあり方について、「こうあって欲しい」「自分はこうありたい」など思うところがあれば聞かせてください。」

こしの「ファン自体に様々なスタンスがあるのだから、もちろんファンアートにも本当に様々なスタンスがあると思うんですけど、私のファンアートは私が評価されて終わるのではなく、最終的に本家が評価される形になって欲しいと思っています。『この曲のファンイラストがすごい!→イラストを描いた人はすごいなぁ』というより、『→じゃあこの曲はすごくいい曲なんだろうなぁ』になって欲しいんです。曲を作ったのはあくまでもフレデリックだから、私が主役になりたいわけじゃないんです。
私のファンアートは「大好きです!」の叫びが絵やら何やら色々な媒体で放たれているものです。好きすぎて狂って見た幻覚のプリントアウトです。「叫びが素敵です、叫ぶの頑張ってください!」と応援してくれるのもめちゃくちゃ嬉しいんですけど、でもやっぱり私もいちファンでしかないので、一緒になって「いい叫びですね!わかります!私も大好きです!」って言ってくれる人がいたらもっと嬉しいです。」

DĀ「うんうん。これは企画に関してというよりも、これまでこしのさんの作品を見せてもらったり、実際に話したりする中で疑問に思ったことでもあるんですけど、こしのさんがイラストの描き手に注目して欲しいというより、このイラストのもとになった曲に注目させるように見てくれた人を向かわせるために、何か創作する上で工夫してることはありますか?」

こしの「メンバーではなくオリジナルのキャラクターが出てくるファンアートを描くときは、絵柄をかなり明快で素朴にしています。もちろん私がシンプルな線に魅力を抱く性格というのもあるんですけど、その中でも1番余計なものがなく、サクッと伝わる絵柄を選んでいる感じです。ディティールを凝って情報量が増えるとそちらに注意が逸れてしまうので、『伝達ノイズ』は最低限にしようと思った結果あの絵柄に毎回辿り着いています。
ただやっぱり私は線フェチで、みなさんからも私のこれを魅力と仰る方がいてくれて、100%すべてがそのように働いているとは言えないんですけど、ここではそういう機能美的な面もあります。
でもそれもほぼ気持ちの問題というか、作品上では本当にそれくらいのことしかできていなくて。やっぱり理想ではあるので、いざ実現しようとするとすごく難しいんですよね。こんなことを言っておきながら、私も好きなファンアートを描かれる方は無意識に崇拝のような感情になる傾向があるので、ここはどうしようもなく非対称になってしまうのだと思います。
尊敬してくださっていたり、嬉しい言葉を頂いて毎回飛び上がるほど喜んでいるのですが、それでも驕り高ぶらないように自分を律して、ふつうのファンとしてふつうに暮らしていくことが今出来ることのやっとです。」


TEXT ウチダサイカ(DĀ)




三夜に渡る「#わたしのTOGENKYO」クリエイターインタビュー、お楽しみいただけたでしょうか?
あなたにとって新たな作品との出会いの一つとなっていれば、嬉しいです。


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