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ライブもフェスもない世界で生きる僕等は20代


 2020年初頭から猛威を奮っているウイルスは、身体的な影響以上に経済や精神の方に大きな影響を与えているなと、他人事のように思っている。世の中が右往左往している中、御歳22歳の私の生活は驚くほど、いつも通りに続いている。
明日の世界がどうなるか分からないのだという事実を、世の中の全てを以て見せつけられていても、私は尚、「2021年新卒」という襷を受け取って生活している。2021年が2019年と同じようにやってくるとは限らないのになぁ、と思いながら私は慣習に抗う術を知らないのだ。2020年はもうすぐ梅雨を迎える。
 2019年、私は大学3年生だった。週に何度か大学に行って、年にいくつかの単位を得ていくつかの単位を落とした。週に何度かアルバイトをして、月に5万円ほどの賃金を得た。そして貯めた預金で、年に何度か自宅がある東京から関西に赴き、好きなバンドのライブに行った。その頻度は歳を追うごとに多くなっていき、大学3年の夏には随分こだまにも乗り慣れた『遠征常連ファン』になっていた。

 現在、2020年5月。手帳に書いていたほとんどのライブの予定が消えて、代わりに御社とのオンライン面接の予定に書き換えられた。いつまで経っても貯まらなかった預金は返金されるチケット代で潤った。今月も来月も新幹線に乗る予定はない。東京を出る予定もない。電車に乗る予定すらない。昼前に目覚めて、パソコンの画面越しに大学の講義を受け、夕飯を食べて眠る。外出するのは3日に一度。そんなふうな日々を過ごしている。

 私は音楽が好きだ。本当に何よりも音楽が好きだし、音楽が私の人生を支えていると思っていた。今でもそう思っている。ライブに行くことが生き甲斐で、そのための資金を稼ぐためにアルバイトの業務をこなしていた。
そのつもりだった。しかし、最後にライブに行ってから数ヶ月が経過した今、私は普通に生活している。生きている。ライブにもフェスにも行けなくても、ドラマや映画やゲームに生活を彩られて、私は生きている。
御社に向けたメッセージ。パソコンの液晶画面に表示された「あなたは将来、どんな業界人になりたいですか?」という文字に、どう答えていいのか分からなくなっていた。何よりも好きだと思っていたものが現状、手元からこぼれ落ちても、結局私は楽しく生活している。
あってもなくても、人は死なない。『音楽』とはそういう性質のものなのだと、痛感した瞬間だった。

 私の母は、ディスコでブイブイ言わせていた、まさに『ド世代』の人間だ。ボディコンを身に纏って夜な夜な渋谷のディスコで踊り狂っていたらしい。母からその当時の話を詳しく聞いたことはないけれど、当時のことを思い出して、懐かしむように微笑んでいた母の表情をよく覚えている。テレビ、ひいては歴史の授業でしか見たことのないような景色の中に母がいたのだという事実に、私はただただ驚いた。
私はベルリンの壁の崩壊を見ていないし、ニューヨークで起こった同時多発テロも覚えていない。それらの歴史上の事実の中の一つに組み込まれている『バブル』に体温を感じた経験もない。しかし、22年間家族として一緒に過ごしてきた母は、『バブル』を経験してきたらしい。「あの頃は楽しかったのよ」と、まさに教科書通りのセリフを吐く母に、私は「へえ」と、適当な相槌を打っていた。

 きっと私も何十年後かに「あの頃は楽しかった」と言うのだろう。その実感が生まれたとき、特に悲しいと思うことはなかったのだ。もしかしたら、このままライブというイベントは無くなるかもしれない。その可能性がないとは、誰も言い切れない。
 東京タワーが東京に建ったばかりの頃、一台のテレビに近所の人が大勢集まってプロレスの試合を見ていたらしい。今の私たちは、一家に一台(以上)あるテレビの前で一人一台持っているスマートフォンの画面を見つめている。
日本の景気が天井に達していた頃、ほとんど水着のような服を着て男女が踊り狂っていたらしい。今の私たちは、その様子に『昭和』というラベルを貼って、切り取って教科書で学んでいる。
東京で2度目のオリンピックが決まった頃、数万の人が一同に集まって、真夏や真冬にライブイベントをしていた。何十年後かのいつかの私たちは液晶を介して数億の人と一緒に同じライブに参加しているかもしれない。今の私たちはそんなふうに、当然のように変化していく歴史の只中にいるのだ。2020年現在、誰も公園で蹴鞠をしないし、桜を見ながら歌を詠むこともない。文化は廃れていきながら、新しい形として生まれ変わっていく。

 私は音楽が好きだ。ライブもフェスも好きだし、大勢の人と肌を重ねて同じ場所で同じ音楽に身を委ねて、酔ったように踊る時間が好きだった。その気持ちに全く嘘はない。
しかし、それが無くても人は生きていけるのだということも、痛いほど実感している。
以前、大先輩のライターから「音楽業界は豆腐業界と同じ規模だ」という話を聞いたことを思い出していた。鍋に豆腐があったら嬉しいけれど、ないならないで鍋はできる。今日の献立のあと一品に冷奴があったら嬉しいけれど、ないならないで献立は成り立つ。音楽もそれくらいのものなのだという話を聞いた。当時の私は殊勝に頷いていたが、「でも私は音楽が好きだし」と内心で納得していなかったと思う。
実感がなかったのだ。音楽がなくても人は死なない。生活に音楽があったら嬉しいけれど、ないならないで生きていける。音楽は、人が生きる上でそれくらいの優先順位なのだということを忘れてはいけないと感じている。

 極力家から出られない生活が数ヶ月続き、私が音楽に全身を浸す頻度は極端に少なくなった。しかし、ストリーミングという素晴らしいコンテンツによって、今まで出会えていなかった知らないアーティストの音楽を聴く機会が増えた。友人から勧められた楽曲の歌詞を見ながらじっくり聴いてみた。
この生活が明けて、ライブやフェスが再開するかどうかは分からない。正直なところ、もしかしたら『フェス』という形態のイベントは無くなるかもしれないな、と思っている節もある。
しかし、こうしてこの文章を書きながら聴いている音楽も、明日の朝に目が覚めてなんの気なしに再生する音楽も、テレビのCMから不意に聴こえてきた音楽も、ライブやフェスで聴くものと同じく『音楽』だということを忘れたくないと思っている。

 きっと、一台のテレビに大勢で顔を寄せ集めてプロレスを見ている人たちに「数十年後には、テレビは一家に一台の家電になっていますよ」と教えてみたら、信じられないと同時に少しガッカリすると思うのだ。彼らの行為は、テレビでプロレスを見るとう事実だけでなく、「みんなで集まって一つのものに集中して盛り上がる」という概念的な行為としての魅力もあったのだと思う。そうして人々の記憶に『明るい思い出』として深く焼き付いた結果として、教科書に乗るほどの一幕になったのだろう。きっとそれはバブルのディスコも同じだし、その論で言えばフェスも同じなのではないだろうか。
私の愛したものたちが、歴史の波の中で消えていくかもしれないことは悲しい。悲しいとは思うが、数十年後に家族とリビングで配信ライブを見ながら「画面越しでも楽しいけど、あの頃はあの頃で楽しかったのよ」と言っている未来もそれはそれで素敵な未来のような気もしている。

ライブもフェスもない世界でも、音楽は鳴り止まない。それは文化の発展のおかげなのだ。携帯で音楽を聞くことができて、数秒あれば好きな一曲を自分の手の中に入れることができる。
幸か不幸か、どんなに音楽が好きだとしても、ライブもフェスもない世界で生きる僕等は20代だ。2021年に世界がどうなっているか分からなくても、2021年以降の世界も生き続ける予定で生きねばならない。

私は「お母さん、『フェス』って行ったことある?」と純真な目で我が子に聞かれたときに、楽しかった思い出だけを懐かしみながら話せるような大人でありたい。

と、建前としてはそう思う。
しかし、私はまだ20代の学生だ。社会経験もないし、人生経験も乏しい。そんな立場で、今からひどく身勝手なことを記す。社会のことを何も知らない十四郎が、何かほざいていると思って読んでほしい。
 音楽は、生活にあれば嬉しいけれど、なくても死ぬわけじゃない。(音楽業界で働いているなどの事情がない限り、ではあるが。)しかし、私たちはこれまで、そんな『あってもなくてもいいけれど、あったら楽しいもの』にロマンを感じてきたはずではないだろうか。
例えば、日常生活を過ごす上で、歴史なんて知らなくても生きていける。武将の英雄譚や星座が持つ神話、地層が持つ年輪的なストーリーなど、専門家でない限りは究極、知らなくても生きていけるものだ。それでも、私たちは(少なくとも私自身は)そういった『あってもなくてもいいけれど、あったら楽しいもの』に人生を彩られてきた。
 音楽もその中の一つなのだろうと、私は思う。だからこそ私は音楽に、歴史や神話と同じような『浪漫』を感じるし、『浪漫』を感じるから好きだと思う。

 現実問題を全て取っ払って、私は今ライブに行きたい。それが、かつてと同じとは限らないけれど、あの浪漫をもう一度感じたい。これは暴論だ。分かっていて、私はそれでも「ライブに行きたい」と青臭く叫んでいたい。

“どんな時代だってこの世に人がいる限り 歌っている場合ですよ”

と歌っていたヒップホップのクラシックである名曲に、2020年にして初めて出会った若い私はそう思う。

だって、私はまだ前途揚々な20代なのだ。



TEXT DĀ

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