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時代によって変わる【呪い】の歴史


人が人と生活する分、呪いの歴史もあるはずです。
「あんなこといいな」「できたらいいな」という願望は、その願望の実現度に関わらず、いずれの時代の人の心の中に存在していたことでしょう。

前回はそれらの願いの中でも他者に害を与える願いを超自然的な存在にお願いする行為を【のろい】(かしり・とこい)、福をもたらす願いを【まじもの】(まじない)としていたと解説しました。

今回は日本における【呪い】の歴史とその変遷について、解説します。

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呪いの歴史

呪いの物証は奈良時代から

さて、日本における「呪い」はいつからだったのでしょうか。
【まじない】も定義に含めるとすれば、縄文時代からありますが、奈良時代に明確な形をもって出現します。
子孫繫栄や五穀豊穣の祈りがそれにあたります。
(アニミズム的信仰を「呪術」にするならば、もっと前からだけどね)
ここからやがて、権力者の「死」や「復活」などの祈りも加わり、外からの信仰も加わるようになっていきます。

史料として登場するのは『日本書紀』用明天皇2 年(587)から。
ここに、像を作って「マジナウ」の記述が登場します。(用途は不明)

また、考古学的な遺物としては8 世紀胸や目に鉄釘が打ちこまれた木製人形代(奈良国立文化財研究所蔵)などが出土しています。


「古事記」にみる祈り、呪い

伝承の中にも言霊による【呪い】が古くから存在していたことが分かります。

イザナギ・イザナミの黄泉国での別れ際の話(古事記)
→「魔除け」や「呪いの言葉」
もの言わぬ譽津別王(ほむちわけおう)の話
→口が利けるようにとの祈りの様子がわかるとともに、鳥の持つ霊力


このように、古事記の時代から「祈り」と「呪い」は一緒にあったと考えられます。

誉津別命(本牟智和気御子)の生母、狭穂姫命

呪いの禁止令


奈良時代以降にはたびたび呪詛を禁止する勅令が出されました。
これほどまでに、権力者の中で【のろい】が当たり前だった当時の様子がうかがえるわけです。


「大宝律令」(701年)や「三大格(さんだいきゃく)」に巫蠱を禁ずる
  「養老律令」(757 年)「賊盗律(ぞくとうりつ)」に「蠱毒厭魅」を禁ずる記載


呪法と解法

呪いが横行すれば、同じように流行るのはその【解呪】です。
蟲毒呪禁道(じゅごんどう)などの方法がまことしやかに用いられ、対抗策も職務の一つとされた陰陽道
また、役小角や道鏡が修行し学んだとされる「孔雀王咒経法」やその後に展開した「荼吉尼の法」「飯綱の法」があります。
解呪には同様の修法が用いられたと考えられています。

平安初期から現代まで伝わる調伏法としては、「調伏護摩」「転法輪法」など密教の調伏法や、「九字切り」「不動金縛法」「摩利支天鞭法」「筒封じ」「板封じ」「樽封じ」などの修験道の修法が知られています。

『九字護身法』 博文堂庄左衛門 1881年2月

ここまで明確に、強力な呪詛と解呪の方法が横行したのには、2つの背景が存在します。
御霊信仰から怨霊の祟りを祓いその呪力を封じるため重要性を増す
②上記の専門家以外の横行

②に関しては、信仰や宮中行事と共に、一般庶民にも【呪い】という言葉が浸透していった背景も抱えています。
どんな呪詛の方法があったかと言えば、例えば「道祖神を青竹が割れるまで叩いて『祟れ』と唱える」といった民間信仰的なものでした。
いや、普通に怖い。

戦国時代における呪い


時代が下り、文化の中心が武士たちに変わっていた戦国時代。
ほぼすべての大名が吉兆の占いをすることが当たり前になっており、それを軍事に転用する人物が「軍配者」、祈りに転用する人物が「祈祷師」として厚い信頼を受けていました。
軍師といえば、医者であり祈祷師であり、参謀だったのです。

黒田官兵衛は有名どころ

江戸時代における祈りと呪い

一般庶民の文化が花開いた江戸時代。呪う方法も、呪いの元凶も、さまざまに変貌します。
その裏ではなおも古代以降の「穢れ」を祓うための儀式などが、民間においても継続し続けました。
さらに、「もののけ」による「祟り」、つまり妖怪や幽霊が【呪い】を書けるようになります。
呪いと言えば有名どころの「丑の刻参り」は、屋代本、『平家物語』「剣の巻」、謡曲「鉄輪」、お伽草子「鉄輪」などに登場する「宇治の橋姫」伝説を原型のひとつとし、さまざまな要素を寄せ集めて江戸時代に成立したとかんがえられています。
こう見ると意外と最近なんですね。

ハイブリッド呪術、丑の刻参り『今昔画図続百鬼』


総論:「呪術」とは

ここまでは日本における呪術にのみ焦点を当ててみましたが、海外においても【呪い】は存在していました。
その場合の用語として【呪術】をいう言葉が用いられることが多いです。
これは呪いと同義ですが、文化人類学、宗教学や科学史ではこちらの言葉を好んで用いられます。
(というか、学術の分野では「呪い」という言語をあまり用いない)

呪術に関わる学術的な定義として有名なのは、イギリスの社会人類学者 ジェームズ・フレイザーによる共感呪術(類感呪術・感染呪術)の定義です。

類感呪術/模倣呪術
呪術師は、どんな事象でもそれを真似るだけで思いどおりの結果を生み出すことができる
例:雨ごい

感染呪術
呪術師は、誰かの身体とかつて接触していたものにたいして加えられた行為は、同じ結果をその人物にもたらすと考える
例:丑の刻参りのわら人形

ジェームズ・フレイザー「金枝篇」

呪いの専門家は?


実は、呪い(呪術)に関しては、民俗学よりも宗教学や科学史寄りです。
そう、現代の日本における呪いの定義は海外輸入(宗教学的・科学的な意味で)の定義と土着的・民間信仰的な意味が混在するかなりカオスな存在です。
ちなみに、呪いに関してはその精霊信仰的な部分や言霊信仰的な部分から「宗教が先か、呪術が先か」論争が今日も繰り広げられていて、面白いです。
一方で民間宗教者(シャーマンや魔女)の行う呪術や呪力はこの定義に則らない部分もあるので、一概に定義付けできないもどかしい所もあります。

そんな、呪術について調べてたらいてもたってもいられなくなって遠野市立博物館に行っています。(写真多め)

いかがでしょうか。
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