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子どもを持つことについて考える

はじめに

おざきです。
先日リスナーさんから以下のようなお便りが届いたのでご紹介します。

こんにちは! いつも楽しく拝聴しています。 もりちゃん、おざきくんと同年代の女です。(中略)
最近私が考えすぎていることについてぜひお二人の意見が聞きたいです。 結婚後、私は子どもが欲しいなーと思っていたのですが、色々なところで「なぜ子どもが欲しいのか?」を聞かれることがありました。 正直、なぜかと聞かれると今もちゃんとした答えが出ていません。 以前、「子どもの頃は進級や進学など、毎年のように大きな変化があったけど、大人になると1年経ったところで新入社員が入ってくるくらいで大きな変化はないから、子どもがいて人生のイベントを親としてまた経験できたら面白そうだから」と回答したところ 子どもは自分の人生の追体験や趣味のために存在するのではない、とやんわり注意されたことがあります。 友人たちとその話になり、結局子どもが欲しいというのは親のエゴだよね、という結論になりました。子どもができる前に産んで欲しいとお願いしてくることはないので…。 最近は「なんで子ども欲しいの?」と聞かれたら「いやぁ〜イケメンの夫の遺伝子は後世に残していかないと人類にとって損だよ〜」とか冗談ぽく返してしまいます。 本当は夫と2人でも十分楽しいけど、子どもがいたらもっと楽しいかな、くらいのふわっとした感じです。 それも障害がある子だったら?とか、子育てって楽しいことより大変なことの方が多いよ!自由がなくなるよ!とか、子育てにはお金がものすごくかかるんだよ!とか、色々聞いたり考えたりしてしまい ただなんとなく子どもが欲しいなんて考えが甘すぎるのかなあ〜とも思います。 昔は子どもを産むのが当たり前だったけど、今はそういう時代ではないので余計考えすぎてしまうんだと思います。 お二人はいつか子どもが欲しいなって思うことはありますか?理由を聞かれたらなんて答えますか?

RN コメダ初心者

まずはお便りありがとう。以下のテーマに分けて俺の考えを書いていくよ。
1.子ども持つことは親のエゴか?
2.なぜ子どもがほしいのか?
3.子どもを持つときの課題


1.子どもを持つことは親のエゴか?

質問者さんも書いてくれていますがこれは親のエゴだと思います。「自分が欲しいから産みました。」でいいと思います。
でもこれには条件があって、「子どもを不幸にしない努力を最大限すること」が必要だと思います。
*親がどんなに頑張っても様々な要因で「不幸」になってしまうことはあるので、そうならないように最大限努力する意識と環境が親にあればどんな人でも子どもを持ってよいと思います。

だから質問者さんがやんわり注意されてしまった最初の理由でも別にいいと思いますが、この条件の部分がその時は見えなかったのでやんわりと注意されてしまったのかなぁと感じました。
(コメダ初心者さんもその時は口に出さずとも子どもに対する責任はもちろん持っていると思います。こんなラジオを聞いてくれてメッセージまで送ってくれるような人なので)

逆に「子どもが欲しいから」以外に子どもを持つ動機ってあるか?といま思ったので想像してみると
・社会のため(少子化抑制のため)
・家系を途絶えさせないため(皇族とか家業を持っている人とか)
・資産としての子ども(将来養ってくれるとか)
みたいなものがあるのかなと思いました。
個人の意思や自由が何よりも優先・尊重される現代の日本社会で生きている僕たちには若干受け入れるのに抵抗がなくもないですが、これらの理由すべて「子どもが不幸にならない努力」を親がしてくれるなら別にいいと思います。

2.なぜ子どもがほしいのか

これこそ人それぞれですが僕的には2つです。
1.親を体験してみたい
→親になってみないとわからない気持ち、社会の見え方、得られる哲学、苦悩、葛藤など、そういうのを体験してみたいっていうのがあります。

2.死んだあとも自分が生きていた痕跡を残したい
→「俺がいたからこれがある」みたいなものが仕事でも趣味でもなんでもいいからあると人生が豊かになるように思いますが、子どもをもつっていうのはそれの最たるもののように思います。

3.「子どもを不幸にしない」ということについて

さて、「子どもを不幸にしない努力を最大限すること」という条件が守れればどんな人でも子どもを持っていいと思っている僕ですが、「不幸にしない」って抽象的で人の主観が入りすぎるので難しいなぁと思っています。
このあたりはラジオの後半で話したので詳しくはそっちを聞いて欲しいですが、要約すると
1.首都圏在住で子どもを有名大学に入れたり習い事を複数させたり定期的に旅行に行かせたりするような生活をするには結構な収入がないと厳しいが、都会じゃない場所で家族が最低限の生活をする上で必要な収入はそこまで高くない(ソースとかはググればあるかもしれないけど僕の感覚の話です)
2.たとえ「優秀な子」じゃなくてもその子なりに追求できる幸福はある
3.むしろ「優秀さ」「得られる収入の高さ」みたいな狭義的な幸福ではないところに自身の幸福を見つけられる人生の方が豊かな人生といえる
みたいな風に自分は考えています。
何が言いたいかというと、「子どもを不幸にしない」って聞くと「お金がたくさんいりそうだなぁ、親として自分はそんなに頑張れるかなぁ」と思ってしまうかもしれないけど、幸福になるためには最低限のお金さえあればあとは本人の受け取り方次第なので、そこまで気構えなくてよいのではないか、ということです。

さいごに

「自分は子どもを持ちたいか、それはなぜか」みたいなビッグなテーマをあえて言語化するということを試みましたが、かなり考えが整理されてやってよかったです。
おかげでラジオの収録もいつもより深いところにいけたので、今後も続けたいと思いました。
最後まで読んでくれてありがとう。ノートにいいねしてくれるとモチベあがるのでよかったらおしてね。

チョコがコーティングされている柿の種を食べながら「季節限定」と書かれているのを見て通年販売してくれ〜と説に願いつつ。 おざき



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