とてもとても

 とてもとてもが口癖の彼だったことがある。
 彼女は習字だかお花だかのお家元で、一緒にいると茶室にでもいるようなのっぴきならない座標軸を感じてしまう。
 僕はただの書店員だった。
 苦しいことが多かったので、笑顔で仕事をしていたら彼女に誘われた。

 僕はお腹から内臓が飛び出ているんですよと言ったけれど、彼女には関係がないようだった。
 私が選んだのが正解みたいな顔で、僕の飛び出した胃やら膵臓やら込みで、ちょっとこの柵に脾臓を引っかけないように通ってって言いながらスタスタと前を歩いていた。
 それくらいならわけないけれど、彼女が向かう先はみんな高級店だった。名前はみんな覚えていない。

 塵一つない、白く輝く実家みたいなところだった。偉い人とスーツの美女が、僕を内臓込みで全肯定してくれる。

 これ包んでくださると彼女は言う。僕にお風呂掃除を頼むみたいに、このシャツ着てなんて、12000円のシャツを持ってくるがよく見ると0が一個多い。
 僕は一歩下がる。
 あら、と彼女は言う。無言。

 とてもとても、と、僕は言う。こんな調子だ。

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