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「老い」を追い抜く

歳はみんな取るものだ。
みんな歳を取りながら生きている。
年を取りたくない人は今すぐ死ぬしかない。
つまり、歳を取ることは有り難いことなのである。

だから「歳を取ったからモウロクした」と考えるのではなく、
「モウロクするほど長生きしたんだ」と喜びましょう。
「とうとうおむつをしなければならなくなった。情けない」と考えるのではなく、
「おむつが必要になるほど長生きしたんだ」と考えればいいのだ。

若い人にも言いたい。
「ついにうちのばあさんの介護が始まった。大変」と愚痴るのではなく、
「おばあちゃんも介護が必要になるほど長生きしてくれた」と思うこと。

介護施設の職員さんから聞いた話だが、
手に負えないお年寄りがたくさんいるそうだ。
悪態をつく、言うことを聞かない、意地悪。
それはその人の性格ではなく、
そういう人生を積み上げてきて、その集大成として「今」があるのだと思う。

長年、老人医療に携わってこられた堀川病院の早川一光先生(故人)を取材したのは25年前だ。
早川さんは実にたくさんのお取り寄りをあの世に送った。
途中から、「どうせ死ぬんだから病気を治すのはやめよう」と思ったという。

でも病気を治してこその医者ではないか。
じゃぁ私は何を治す医者なのか。
ふと考えた。
日頃、年寄りに言っていることがある。
たとえば、「おばあちゃん、お元気ですね」と声を掛けると、
「元気で悪いか」と返す人がいる。
また、「私は歳取っても嫁の世話にはならん」と言う人もいる。

早川先生は「そんなことを言うもんじゃないですよ」と言う。
「介護が必要になったとき、息子夫婦、娘夫婦から
『私たちが看ます』と言ってもらえるような年寄りにならないといかん」
「何は無くても歳を取ったら素直が一番。
『すまんね』『ありがとう』が素直に言える年寄りにならなければいけません」と。

「そうか。私は患者の心を治す医者になろう」、
早川先生はそう思ったという。

とにかく歳を取ると、
今まで出来ていた家事もやってもらわなければならなくなるのだから、
今のうちから何でも「ありがとう」と口癖のように言えるようにならなければならない。
そうすると、家族から「おばあちゃん、いつまでも元気でいてね」と言われるようになる。

年寄りのシワを見た若い人が
「この方はたくさんの経験を積んだ人なんだな」
「たくさん苦労し、たくさんの苦難を乗り越えてきた人なんだな」と思う。
そのためのシワなのだ。

だから、歳を取ったら立派な人になる。
これがかつての人間社会の定石だった。

「老い」は自然現象である。
歳を取るから老いるのではなく、生まれた瞬間から一緒にいる。
ずっと後ろから忍び足でついて来ていたから気付かないだけ。
若い時の「老い」ははるか後ろにいて、ゆっくりついて来ていた。

それがいつの間にか、同じ速さになり、
すぐ真後ろに来ている。
そしてある日、突然、背中を「トントン」と叩いて言う、「オイ!」と。

やがて「老い」が先を行くようになる。
その後をトボトボをついていくのが残念なお年寄り。

じゃぁどうしたらいいか、先を行く「老い」を追い抜くのだ。
そして後ろを振り向いて、言う。
「オイ、何してる? はよ来んかい!」って。

つまり、「80歳になったらこうしたい」「90歳になってもやることがある」
いつも将来に夢を抱いて生きている人にとっての「老い」がまさにこれ。

「老い」が追いつけなくなる。
後ろのほうから「老い」が「おいおい、待ってくれ!」と言って
必死で追いかけてくるようになる。
そういう人はいつまでも若々しい人、早川先生がそうおっしゃっていた。

25年前の言葉だが、最近、僕もこの言葉を実感するようになった。

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