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「千と千尋の神隠し」の成女イニシエーション

「神話と秘儀」に書いた文章を転載します。


ジブリ映画「千と千尋の神隠し」を成女イニシエーション物語としての観点から解釈します。

「千と千尋の神隠し」という作品の全体的な解釈ではありません。

また、監督の宮崎駿の意図の解釈でもありません。

「千と千尋の神隠し」という作品と、アフリカ、アジア、アメリカ・インディアンなどの伝統的な部族社会の成人・成女イニシエーション儀礼や、その名残を残したヨーロッパの童話との共通点をまとめるものです。


物語の始まり


成人・成女イニシエーション儀礼(以下「儀礼」と表記)は、少年・少女が両親から離されて、擬死して「死」の領域である森の中に入っていくことから始まります。

成人・成女イニシエーション童話(以下「童話」と表記)では、物語の始めの設定は、両親、あるいは、主人公と同性の親が、なんらかの理由で不在である、もしくは、問題をかかえています。
例えば、定番の設定では、母親が意地悪な義理の母です。

この欠如しているものは、物語で主人公が獲得すべき目標、つまり、大人の人格を示します。

「千と千尋の神隠し」(以下「映画」と表記)の物語は、主人公である千尋の家族が引っ越しで新しい住まいに向かう中で始まります。
これは、一種のイニシエーション、つまり、人生の「移行期」を示しています。

家族は、道を間違い、トンネルを通って「異世界」に入ってしまいます。
この異世界は、捨てられた銭湯のテーマパークで、もともとは神社・神域だったという設定です。
つまり、神社に参拝する前に穢を払う湯屋がもとになっています。
そして、ここには、妖怪の類が住み着いています。

まず、両親はこの異界の食べ物を食べて、豚になってしまいます。
こうして、両親の欠如、両親からの分離が発生します。
ただ、冥界の食べ物を食べる、動物になるというテーマは、イニシエーション特有のテーマではありません。

千尋は、豚になった両親を救おうとしますが、両親を救うことは、自分が目標としての大人になることで達成されます。

成女イニシエーション儀礼は、初潮をきっかけとして始めます。
童話では、「赤」が初潮の象徴となります。
「赤ずきんちゃん」の「赤」がその例です。

映画では、トンネルは、入る時には赤いモルタル製ですが、出てきた時は通常の色の石作りです。

また、千尋が湯屋で働く時に着る服の色も赤です。


小屋と主宰者


儀礼や童話では、森の中に小屋などがあり、ここがイニシエーションの中心の場所になります。
そこには、イニシエーションを司る者がいます。

儀礼では、イニシエーションの主宰者は、部族の大人が扮する先祖霊や異形の精霊的存在です。
童話「ヘンデルとグレーテル」では、お菓子でできた家があり、そこに魔女がいます。

映画では、湯婆婆が仕切る油屋という温泉宿が舞台です。

温泉宿は、癒しの場所であり、資本主義社会の一つの典型である風俗業の場所です。
成女イニシエーションのテーマとの関係で言えば、「利他心(一般には男性を助ける)」と「女性の仕事の技術」を獲得する場所という共通性があります。
例えば、童話「眠り姫」は、紡ぎ車の錘が指に刺さって死にますが、これは女性の仕事を始めることで少女時代が終わることを表現しています。

また、入浴における癒しは、客にとっては一種の擬死再生に当たるため、「助産」のテーマともつながります。
「助産」は、成女イニシエーションの重要なテーマです。

また、油屋は食の提供も行いますので、異界(=自然=無意識)の豊穣性を示します。
「ヘンゼルとグレーテル」の森の小屋がお菓子でできていて、中に宝物があるのと同じです。
イニシエーションでは、この「豊穣性」を獲得することもテーマです。

また、儀礼では、性の知識を獲得することもテーマです。
童話「眠り姫」の紡ぎ車の錘が刺さることも、性的比喩かもしれません。

油屋は、性的なサービスの提供も行っていることをほのめかしています。
油屋は神を相手にしていますが、従業員には、神と寝る巫女、一種の聖娼もいるのでしょう。
ですが、性教育を行わない現代の子供向けアニメでは、これが伏せられています。

襖の奥にいる二人は、神を相手に寝る従業員の巫女か?  「回春」の文字もほのめかし。

また、千尋が訪れる湯婆婆の姉の銭婆の家には、糸紡ぎ機、箒といった女性の仕事の象徴となるものが置いてあります。
箒はヨーロッパでは出産の象徴でもあります。
千尋は銭婆からケーキを出されますが、これは「ヘンゼルとグレーテル」のお菓子家と同じです。

千尋は、油屋で、オクサレ様の接客を行い、ヘドロだらけになりながらも、河の神として再生させて、試練を果たします。
千尋は、オサクレ様に刺さったゴミを見つける「知恵」と、「利他心」を示しました。

その代わりに、河の神から、悪いものを吐き出させる薬的な呪物である「苦団子」をもらいました。
これは、千尋が獲得した能力の象徴です。
「苦団子」は、これを食べた千尋を、そして、千尋がこれを食べさせたハクとカオナシを助けることになります。

オクサレ様と苦団子


飲み込み、生み出す太母


儀礼では、少年・少女を「飲み込み(食べ)」、「吐き出す(生み出す)」怪物や熊が登場します。
童話では、これが、魔女や狼、クジラなどにもなります。

成女イニシエーションにおけるこれらの存在や、イニシエーションの主宰者である魔女的存在は、ユンクの元型で言えば「太母」に当たります。

「太母」は冥界(=無意識)の創造性であり、少女の意識や自我を「飲み込み」、成女として「生み出し」ます。
これは少女にとっては「擬死再生」であると共に、「出産」のテーマを含みます。

儀礼では、例えば、少女が大人の股下をくぐる行動をさせられます。
童話「赤ずきんちゃん」の狼は赤ずきんちゃんを飲み込み、猟師が狼の腹から取り出します。
この猟師の行為は、「助産」のテーマの名残です。

映画の、油屋の女主人である湯婆婆には、本来、一体である姉の銭婆がいます。
二人が一体で、成女イニシエーションの主宰者です。

湯婆婆と銭婆

湯婆婆は、千尋に成長の場を提供しますが、同時に、千尋やハクなどの働いている者を離さない存在です。
つまり、「飲み込む太母」です。
湯婆婆が赤ん坊の坊を愛しているのは、その象徴です。

それに対して、銭婆は、千尋を異界から日常世界に戻す助言をするので、「吐き出す(生み出す)太母」です。

「銭婆」という名前は、「銭」は社会で流通するものなので、社会性を示しているのでしょう。
また、「銭」は「払う」もので、これは湯婆婆の魔法を「祓う」に通じます。

銭婆の家は、油屋と電車でつながった「沼の底駅」にあります。
この電車には、影のような死者が乗っていて、彼らは途中の「沼原駅」で降ります。

銭婆の家は「死の世界」、湯婆婆の油屋は日常世界との「中間世界」として設定されているのでしょう。

千尋の名前の「尋」は水の深さの意味で、「千尋」という名前は、深い水の底まで行ける者を意味します。
銭婆のいる「沼の底」は水の底であり、千尋は、その死の世界まで行くことで、日常世界へと帰還するのです。

千尋は湯婆婆と雇用の「契約」をしましたが、この「契約」は、湯婆婆に「飲み込まれた」状態を表現します。

それに対して、銭婆は、「契約」を作り直すことができる「ハンコ(魔女の契約印)」を持っています。
銭婆は、契約とその解除を司る存在であり、死者と日常世界へ戻る者を判定する者なのでしょう。
つまり、イニシエーション通過の認定者です。

ですが、千尋は、自分でそれにふさわしい者であることを示さなければいけません。


自我と名前、カオナシ


映画では、日常世界が「自我」を持つ世界であるのに対して、トンネルの向こうの異界(=無意識)は、「自我」のない世界です。
本名が「自我」の象徴とされ、本名を覚えていることが、日常世界に戻る条件とされます。

湯婆婆は、千尋の本名を奪い(ただし、千尋は湯婆婆との契約書に自分の名前の漢字を間違えて書いたので、根本的には奪われませんでした)、「千」という異界での名を与えます。
ですが、千尋はハクの助言で、本名を覚えています。

ハクも本名を奪われていますが、千尋がきっかけとなって思い出します。

伝統的なイニシエーションでは、幼名から大人名に変わる場合も多くあります。

千尋が出会って油屋に引き入れたカオナシは、カオがなく、言葉をうまく喋れず、自身の意志や目的を持たない存在です。
つまり、「自我」を持たない者、まともな大人になっていない者です。
イニシエーションの観点から見れば、イニシエーション通過の失敗者です。

そのため、油屋とは、偽の依存関係にあり、破壊者の関係にあります。

油屋をジブリに当てはめれば、カオナシは大人になりきれないジブリ・アニメのファンなのかもしれません。

千尋は、他の従業員のようにはカオナシを相手にしないという態度を取り、「苦団子」を食べさせて、暴走した彼を浄化します。
カオナシを救えるのは、イニシエーションからの帰還を司る銭婆なので、最後に、彼は彼女の元に留まります。


アニムス(内なる男性像)


千尋が異界で出会う最重要人物は、ハクです。
千尋とハクは、助け合う関係です。

表の設定では、ハクは、千尋が住んでいた家の近くを流れていたコハク川の神で、本名はヒギハヤミコハクヌシです。
千尋は、昔、「靴」を追いかけてこの川に落ちて、ハクに助けられましたが、二人ともそのことを忘れていました。

ですが、映画でほのめかされている裏設定では、千尋を助けて代わりに死んだ兄のようです。
この場合、他人のために自分の命を捨てる、他人の命によって自分が生かされている、というテーマになります。
これは、宮崎駿が「銀河鉄道の夜」の影響で取り入れたるテーマですが、成女イニシエーションのテーマにはありません。

成女イニシエーションの観点からは、ハクは獲得すべき「内なる男性像」に相当します。
童話では「王子様」、ユンクでは「アニムス」に当たります。
儀礼では、最終的に「結婚相手」になります。

童話では、この「内なる男性像」を「利他心」から助け、また、助けられます。
例えば、グレーテルはヘンゼルを魔女から助けます。
「白鳥の王子」では、主人公のエリーザが編み物をして白鳥になった兄を人間に戻します。
動物から人間に戻るテーマは、アニムスの誕生、意識化を意味します。

映画では、河の神の浄化、カオナシの浄化に続いて、ハクを助けることが最後の試練になります。
つまり、アニムスの獲得がイニシエーション通過の条件なのです。
アニムスは男性的な能力であるため、ハクもそれで千尋を助けます。

千尋は、白い龍がハクであることを直観によって見抜きます。
そして、死にそうになったハクに「苦団子」を食べさせます。
これによって、湯婆婆がハクを縛るために体の中に入れた黒い虫を追い出して殺し、同時に、「ハンコ」を盗んだものを苦しめる銭婆の魔法を解きます。

そして、昔、コハク川でハクに助けられてことを思い出して、ハクが自分の名前を思い出すきっかけとなります。

つまり、アニムスの成長を促します。

ハクは、千尋に本名を忘れないように、仕事をして弱音を吐かないようにと助言しました。
また、湯婆婆に、息子の坊と千尋の自由を交換条件に出しました。
そして、銭婆のハンコを盗んだことが、結果的に千尋を銭婆のところに導きます。

ハクは、言葉や契約、つまり、男性的な事項で、千尋を助けます。

千尋は、死の世界にいる銭婆に「ハンコ」を返す行為で、死をいとわない「利他心」を見せます。

銭婆は、千尋に、「過去のハクと関係を思い出させ」というヒントを与えます。
これは、象徴的には、潜在的に存在するアニムスを意識化することです。

そして、銭婆は、千尋に「髪留め」を与えます。
これは、髪という自然なものに整える道具であり、秩序、言語、意識、そして、「自我」の象徴です。
それは、異界からの帰還の能力であり、アニムスに関係する能力であるとも言えます。


水と火による浄化・擬死再生


儀礼では、少女を川の水に沈められて擬死再生を体験させるのが定番です。
「白鳥の王子」のエリーザは、湖で体を洗って美しい姿になりますが、これも一種の水による擬死再生です。

千尋がコハク川に沈んで死にそうになったことを思い出すのは、水による擬死再生の再体験です。

油屋で河の神に湯の中から救われるのも、水による擬死再生です。

また、千尋が、海原電鉄に乗って「沼の底」駅の銭婆のところに行って戻ることも、水による擬死再生です。

油屋前の海原電鉄と沼の底駅にある銭婆の家

イニシエーションでは、「火」による浄化や擬死再生というテーマも現れます。

儀礼では「火」を飛び越えることが定番です。
童話「ヘンデルとグレーテル」には魔女のカマ、「シンデレラ(灰かぶり姫)」には主人公の仕事場としてカマドが出てくるのは、その名残です。
古来、カマドは家の中心で、カマドの女神は、女性が祀るものでした。

映画では、千尋が油屋で最初に行く場所が、油屋の仕事を支える基底部であるボイラー室です。
これは「火」に関わる場所です。
ここを仕切っている釜爺は薬の調合もし、「スス」が正体のススワタリ達が石炭を運んでいます。

千尋はここで特別な試練を受けませんが、やけどをしたり、その仕組を理解します。
そして、仕事に対する熱意を示して、釜爺に「わしの孫」とウソを言わせて、湯婆婆に取り継がせます。

湯婆婆の部屋にも、暖炉(古来からの火の女神の祭壇)があります。

「スス」は、灰かぶり姫(シンデレラ)の「灰」と同様、火の再生・不死性の象徴です。

ススワタリは、千尋の「靴」を預かりますが、「靴」は灰かぶり姫がなくしたものです。
また、千尋が昔、川で「靴」を流してハクに助けられたことが、油屋でハクに助けられて「靴」を脱いで働くことにつながっているのです。
「靴」は自由の象徴で、一旦、それをなくして「水」と「火」の再生の場所に入るのです。

湯屋の外壁の色の赤、そして、千尋が着る服の赤は、「火」の象徴かもしれません。

「ハク=白=水」に対して、「千尋=赤=火」という対照性があると考えることもできます。
そうであるなら、ハクの名の「ニギハヤミ」に対して、千尋が神になるならその名は「ニギハヤヒ」でしょう。


<飛翔と帰還>


銭婆が、千尋に「思い出す」というヒントと、「髪留め」を与えた後、というより、それによって、ハクの体調が直り、銭婆のところへ千尋を迎えに来ます。

そして、帰れなかったかもしれない銭婆の死の領域から、千尋は、白龍の姿になったハクに乗って「飛翔」して油屋に戻ります。

童話では、異界から日常世界に戻る際の魔女や怪物などからの「逃走」や「飛翔」がテーマとなります。
「飛翔」や「逃走」は、無意識につかまることを脱する力で、これは男性的な力、言語的な知恵の力と関係します。

自由に歩き、走るための道具である「靴」もこのテーマに関わります。
「靴」をなくすのは「灰かぶり姫(シンデレラ)」にも出てくるテーマで、これを取り戻すのはアニムスである王子様です。

映画では、千尋は、過去に「靴」を川に流して、ハクを失います。
それに対して、今度は、「龍」となったハクによって「飛翔」します。
「靴」は「龍」に進化しました。

この時、千尋は「コハク川」でハクに助けられた過去の記憶を思い出します。
これを聞いて、ハクは自分の名前を思い出し、同時に、龍から人間の姿になります。

白龍のハク、人間のハクとの飛翔

忘れた記憶の意識化は、無意識の意識化であり、死んだ記憶の再生です。
それは「飛翔」という、意識の自由とともにもたらされました。

水底からの帰還の途上で、水中から助けられた記憶が蘇り、これが日常世界への帰還に導きます。

その忘れさられていた記憶は、利他の記憶であり、新たな利他の行為の結果によってそれを取り戻しました。

油屋に戻った千尋に、湯婆婆が最後に出した課題は、多数の豚の中から両親を見つけるというものでした。

親を見分けることは、イニシエーションの目的である大人になったことを、つまり。イニシエーションに成功したことを示すことです。
これは、「人間」が答えである古いスフィンクスのクイズと同様のものです。

千尋はこれに合格し、日常世界に戻る許可を得ます。

ハクは千尋に、日常世界に戻る途中に「振り向かない」という助言をします。

トンネルを通って日常世界に戻った千尋は、異界での体験を忘れてしまいますが、彼女の頭には、大人の印であり、イニシエーション通過の印である「髪留め」が残っています。

ハクは、千尋と分かれる時、元の世界に戻ったら千尋に会いに行くと約束します。
見たことがあるという多くの証言がある別ヴァージョンのラストでは、引っ越し先の近くの川で、千尋がハクを思い出し(再会し)ます。

ですが、実際の現実では、別人の恋人との出会いとして、約束は実現するでしょう。



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