見出し画像

荒ぶる神の変容と解放:荒神と金神

映画「ゴジラ-1.0」の評判が良く、日本だけでなく海外でも興行収益を伸ばしています。

この映画が描くゴジラについては、自然からのしっぺ返しの象徴だとか、戦没者の怨霊の象徴だとか、戦争や原爆災害の象徴だとか、いろいろな解釈がなされています。
実際には、様々なものの複合的象徴なのでしょう。

いずれにせよ、監督は、ゴジラを神々しく、恐ろしい存在として描いたと語っています。
また、ジブリ映画「もののけ姫」に登場した「タタリ神」にも喩えています。

日本人は、古代から、こういった、「荒ぶる神」、「恐るべき神」、「祟り神」に大きな関心を寄せてきました。

たいていの「荒ぶる神」は、否定的な側面だけではなく、「守り神」や、幸をもたらす「豊穣神」という肯定的な側面を持ちます。
ゴジラにも「守り神」としての映画があります。


ゴジラの話はこれくらいにして、私は、「荒ぶる神」は、心理的に広い意味では、「抑圧されたもの」や、その「解放」の象徴にもなると思います。

抑圧されたものは、意識には否定的な存在として映り、破壊的な力とともに解放されることがあります。
ですが、解放されると、何らかの創造をもたらすこともあり、肯定的存在に変容するからです。

抑圧に必然性がないかぎり、抑圧する方が悪く、無意識の側に正義があります。
ですから、これらの神は、時には、「反体制」や「革命」の神にもなり、「解放の神学」を担います。

つまり、従来の支配体制で抑圧されてきたものが、虐げられてきた神に象徴され、「荒ぶる神」が「救い神」として復活することがあります。
それらがニュー・ヒーロー、あるいは、ダークヒーローとなるのです。

また、多くの場合、「荒ぶる神」は、人が何らかの間違いをした時や、信仰を忘れて祀らなくなった時に現れ、正しく祀ることで「守り神」になると考えられました。

正しく認識され、対処されないという点でも、抑圧された無意識と似ています。
抑圧されたものは、抑圧していることも忘れられます。


現代の日本人には馴染がありませんが、中世に幅広く信仰された謎多き神として、「荒神」があります。
「荒神」にも、「荒ぶる神」と「守り神」の二側面があるようです。
また、日本神話の中で最も人気のあるスサノオにも、この二側面があります。

本稿では、「荒神」と、これに関連しそうな信仰(金神、庚申信仰)を扱い、次稿でスサノオを扱います。
どちらも、近代の大本教に至って、「救い神」になります。

ただ、本投稿は、客観的、歴史的な分析というより、心理的なつながりをもとにした雑談的な内容です。
特に「荒神」については資料が少なく、勉強不足もあって、勝手な推測が多くなっています。



荒神とは


中世には、西日本を中心に、実に様々な性質の神が、「荒神」と呼ばれて大きな信仰を集めました。
なぜ「荒神」と呼ばれるようになったのか、その理由は分かっていません。

「荒神」には、先に書いた「祟り神/守り神」の二側面があります。
知らぬ者、祀らない者には障礙がありますが、供養すると所願が成就するとされました。

ですから、「荒神」に対しては、僧によって「荒神供」が行われることもあれば、陰陽師などによって「荒神祓」が行われることもありました。

一般に、「荒神」は、大きく2種類に大別されます。
一つは、屋外で祀られる、多種の、古来からの民俗的な「地荒神」。
もう一つは、主に屋内で祀られ、仏教に由来する「三宝荒神」です。


「地荒神」には、屋敷神、氏神、部落神、樹の神(樹の下の塚の神)、牛馬神、農業神、水神、道祖神などがあります。
これらの神々には、記紀神話で重視されない、民間信仰の神(民俗神)が多いようです。

「荒神」には、「シャグジ神」のような縄文以来の古い神の影響もあり、その中世的形態という側面もありそうです。

民俗神である「地荒神」の多くは、正体が分からなくなった神です。
ですから、低く扱われている神であり、正しく信仰され祀られていない神であり、それゆえに、潜在的な「祟り神」と思われたのかもしれません。

これらの神は、正体が分からなくなっても、無意識では生きているので、「抑圧された神」なのです。


「三宝荒神」は、インドの障礙神(疫病神)である毘那夜伽が調伏されて護法神の聖天になったことを背景に、日本で生まれた護法神・守護神です。
仏法僧の三宝を守るとされ、三面六臂または八面六臂の「忿怒相」で表現されます。

ですから、「三宝荒神」は、「祟り神」から「守り神」になった尊格という側面を持ちそうです。

ちなみに、「三宝荒神」には、忿怒相の「忿怒荒神」、柔和相の「如来荒神」、僧形の「小島荒神」という3つの姿があるとされます。

聖天(ガネーシャ)はシヴァ・ファミリーなので、「三宝荒神」は、シヴァ神の暗黒・忿怒相である摩迦伽羅天(マハーカーラ、大黒天)と関係のある尊格ではないかと思います。

「三宝荒神」は、教義的には「煩悩即涅槃」を表現します。
密教では、怒りや欲望は、分別や対象のないエネルギーの状態であれば、清浄なものであると考えます。
また、「三宝荒神」の本地は愛欲に関わる愛染明王とされます。
ですから、「三宝荒神」は、怒りや貪欲を清浄なものに転化する尊格なのでしょう。

これは、最も深い意味で、「抑圧されたもの解放」というテーマを体現しているのかもしれません。


また、「三宝荒神」は、先に書いたように疫病神の毘那夜伽の調伏に関わるので、陰陽道で疫病神の牛頭天王を退散させる神の天形星(天刑星)であるとも考えられました。

牛頭天王は京都祇園社の祭神と考えられましたが、その眷属の八王子は、方位の凶神の八将神とされ、八荒神とも呼ばれました。

つまり、「荒ぶる神」として荒神が、疫病神や方位の凶神つながるのです。


「三宝荒神」は、近世には、古くからの民俗神である竈神と習合しました。
竈神(火神)は、おそらく縄文以来の神で、縄文時代には家の中心となる神でした。

習合した理由は、竈は火事をもたらすような「荒ぶる神」という側面を持っ一方、火は生命力や浄化の象徴でもあるからでしょうか。


荒神の背景:神道の荒御魂と怨霊


「荒神」の観念の背景には、神道では「荒御魂」や「御霊信仰」、仏教では「護法神」や「忿怒尊」の信仰、道教(陰陽道)では五行循環の凶の思想がありそうです。

古くから神道の神には、善神/悪神といった二元的な区別は乏しく、一つの神に「和御魂/荒御魂」という2つの側面があるとされてきました。
これは、自然を、固定的な二元論ではなく、両義的な存在として正しく認識しているのでしょう。

また、亡くなった人間についても、「祖霊(祖神)/怨霊(鬼)」という2つの可能性がありました。
普通に亡くなった人は、普通に先祖供養をすれば、徐々に祖霊になっていきます。
ですが、恨みを抱くなどの特別な死に方をすれば、害をなす死霊になるので、特別に祀る必要があります。

平安時代頃からは、「御霊信仰」が流行しました。
左遷された菅原道真が死後に怨霊となったとか受け止められて、天神として祀られたのが、その代表的な霊です。

つまり、不当な扱いを受けて恨みを持って亡くなった人物が「怨霊」として害を与えることが恐れられ、それを鎮めるために祀ることが行われるようになったのです。

これらの「荒御魂」や「怨霊」は、戦うべき存在でも、祓うべき存在ではなく、なだめ、祀る存在です。
正しく祀ることができれば、人を守護し、幸を与える存在に転じると考えられたのです。


天つ神に支配された国つ神にも、朝廷に対する「怨霊神」になるという側面と、「守護神」になるという側面があったはずです。

記紀によれば、大和の国つ神の代表である大物主も、崇神天皇の時に、祟り神、疫病神としての性質を現していて、正しく祀ることを命じています。

国つ神は、天つ神の支配を受けて、低く扱われ、本来の形で祀られなくなった神でもあります。
それゆえ、「抑圧された神」であり、潜在的に「祟り神」です。

このことは、猿楽の式三番にも現れていると思います。

式三番は、「怨霊」を慰めて、「千秋万歳」、つまり、恒久の天下泰平を祈ります。
ここに登場する翁の「白式尉(白面の翁)」と三番叟の「黒式尉(黒面の翁)」は、「守護神」と「怨霊神」の二面性を表現しています。

「白い翁」は祝言を述べることを本質とする、国つ神の「和御魂」=「守護神」と考えることができます。
一方、「黒い翁」は激しい舞いを本質とする国つ神の「荒御魂」であり、「守護神」の側面と、「怨霊」の側面があります。
「鈴の段」で舞う「黒式尉」は悪霊を鎮める「守護神」です。
ですが、「揉の段」で「怨霊」のように激しく舞います。

ところが、その舞は、怒りを超えて、本来の国つ神の姿が解放された喜びの表現のようになります。


荒神の背景:仏教の護法神と忿怒尊


仏教には「護法神」、「忿怒尊」といった恐ろしい姿をした尊格がいます。

これらの中には、もともと荒ぶる鬼神や障碍神だったけれど、仏に帰依して守護神になった者がいます。
それら守護神は、恐ろしい忿怒の姿をしていて、仏敵や煩悩を滅ぼします。
また、仏も、これら忿怒尊の姿に化身するとされました。

「鬼神」が「護法神」になることは、「怨霊」や「祟り神」が「守り神」になることと似ています。

また、仏が「忿怒尊」になることは、「和御魂」が「荒御魂」になることに似ています。
仏教では、「如来相(柔和相)」と「忿怒相」とも表現します。


中世から江戸期までの日本の宗教の中心には、本地垂迹説を基にした神仏習合があります。

この中世のコスモロジーでは、現実世界を超えたグローバルな仏などの仏教の「本地」の尊格が、ローカルな地域を支配する神道の神として「垂迹」し、さらには、身近な地上の存在(僧、仏像、翁など)として「化身」します。

一般に、垂迹神は「権現」とも呼ばれましたが、有力な神は「大菩薩」などと呼ばれました。
記紀に無視された埋没神や、勢力の弱い神、正体不明の民俗神などは、「荒神」と総称される垂迹神になったのでしょう。


荒神の背景:陰陽道の金神と庚申信仰


現代ではほとんど忘れ去られていますが、つい最近まで恐れられた、陰陽道系の金性の神がいました。

陰陽道には、五行が循環し、それによって吉凶を占い、凶となる方位と時間を避けるという考えがあります。

そのため、方違えの方位神である「金神」や、金の気が満ちる「庚申」の日に活動する「三尸」が恐れられました。

「荒神」は「こうじん」、「金神」は「こんじん」、「庚申」は「こうしん」で、発音が似ているので、無意識の働きから、必然的に、互いに影響関係があったと思われます。

例えば、九州北部で信仰された「三月金神」は、「三月荒神」とも呼ばれます。
これも含めて、「三宝荒神」、「三尸」などすべて、「三」でもつながります。


「金神」は、移動する方位神で、「金神」のいる方位は凶とされました。
造作・修理・移転・旅行などでこの方位を犯す(方違え)と祟られて、家族7人に死が及ぶとされました。

「金神」には、一方的ではありますが、方位を犯して妨害する方が悪いという理屈があります。

「金神」は「祟り神」ですが、岡山地方では「金神」を守護神として信仰する者も生まれ、やがて金光教という形になりました。
「金神」も「祟り神/守り神」という二面性のある神とされたのです。


一方の「庚申信仰」では、「金」の気が満ちる「庚申」の夜に、「三尸」という体内虫(体内神)、あるいは、「ししむし」、「しょうけら」という鬼が、天帝に宿主の悪行を報告するので、この夜に徹夜でそれを避ける守庚申(庚申待)が行われました。

そして、「三尸」を封じる、忿怒相の垂迹神「青面金剛」を祀りました。
「青面金剛」は天帝の使者とされますが、その姿から、やはり摩訶伽羅天と関係のある尊格で、「三宝荒神」ともつながるのではないかと思います。

「三尸」は人間の悪行を報告するだけではなく、人に悪行を起こさせたり、病因となる存在で、「祟り神」ではありませんが、人に害を与える存在です。

また、「三尸」を祀って守り神にするわけではありませんが、代わりに「青面金剛」を祀る点で、「祟り神/守り神」の対立二項や、「三宝荒神」の信仰と類似したところがあります。


大本教の金神


近代には、戦前に国家神道から弾圧されたことで有名な、大本教において、悪名高き「荒ぶる神」、「祟り神」が、「救いの神」とされる宗教運動が起こりました。

当時の大本教は、近代日本における最も先鋭的な宗教運動として評価されています。


金光教の影響を受けてか、大本教の開祖の出口ナオは「艮の金神」を根源的な神としました。

大本教の「艮の金神」が金光教の「金神」と違うのは、「三千世界の立替え」によって、「水晶の世(後に「みろくの世」と呼ばれ)」をもたらすという社会革命の性質を持っていることです。

自身が被っている苦難の理由を、金光教は方違えから内面の信の問題へと変革したのに対して、大本は社会の問題へと変革したのです。


大本教が生まれた京都府の綾部の北の大江町には、鬼伝説があります。
これは、大和朝廷が土着の土蜘蛛の「クガミミ」を征伐したことがもとになっているようです。
この「クガミミ」は、綾部の元藩主だった九鬼(クカミ)家につながっているという説もあります。

大本のお筆先にも「九鬼大隅守との因縁」という言葉が出てきます。
九鬼家は、鬼門の神を祀ってきたようです。

つまり、方位の「祟り神」と国つ神の「怨霊神」がつながっていて、大本教の「艮の金神」には、その復権という側面がありました。


また、大本教の聖師になった出口王仁三郎は、ナオについた神を「国常立尊(大国常立尊)」=「天之御中主」=「大元霊」=「伊都能売」と判定(審神)しました。

この考えは、伊勢神道の影響を受けていると推測されます。
伊勢神道では「豊受大神」を天照大御神より上位の根源神であるとして、「豊受大神」=「天御中主神」=「国常立尊」としました。
実際、王仁三郎は、「伊都能売」と「豊受大神」を同体視しています。

伊勢神道を創始したのは外宮を祀る度会氏で、「豊受大神」をと同じく、綾部に近い丹波から伊勢に渡った氏族です。
「豊受大神」は伊勢神宮に招かれた女神ですが、日本書紀には登場しない「埋没神」であり、古事記には和久産巣日神の娘として登場しますが、後から追加された可能性も指摘されています。

このように、大本教の「艮の金神」には、地元の埋没神の復権という側面もあったのです。

そして、それが、国家神道に対決する社会的な変革の神とされたのです。


*大本教、特に王仁三郎には、金神と同様に、悪名を着せられたスサノオを解放の神とする側面もありますが、これについては下記で扱います。

*タイトル画像は、三宝荒神(ギメ東洋美術館)をトレミング




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?