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竹取物語の宗教観と月女神信仰 2(平安期の神道から)

「竹取物語の宗教観と月女神信仰 1(古代の神仙信仰から)」に続く後編です。




神道の成立1:清穢観と物忌


現代に続く神道は、その浄穢観と、穢れを祓う物忌の制度として、奈良時代後半の8Cの末ころまでに成立しました。

これは、光仁天皇以降のことで、天皇の系譜が、天武系から天智系に代わってからです。
天武が大きく導入した仏教や道教の要素に対して、神道はその影響を受けつつも、それらを分離して確立しました。

この新しい神道の浄穢観は、神祇信仰の古くからの素朴な浄穢観に、仏教の戒律や道教の浄穢観の影響を取り入れて、強化したものです。


「竹取物語」では、かぐや姫を迎えに来た使者が、かぐや姫がいる場所について、「穢き所」と2度語ります。
ここには、月を清浄な世界として、地上を「穢き所」とする「竹取物語」の厳格な浄穢観が表現されています。

そして、かぐや姫は、月に戻る前に、長期に渡って、物思いにふけります。
前編でも語ったように、これは、穢れを落とすための物忌です。

ですが、新しい浄穢観によって、経血や死も穢れと見なすようになりました。

同時に、男性宮司を中心にした、国家的な神道の組織化がなされました。
これと共に、巫女や仙女のような女性の聖性が低く見られるようになり、月女神信仰や神仙思想も衰退していきました。
女性の天皇も、7Cには多数いたものの、8C中頃の孝謙天皇を最後に、17Cまでいなくなります。

伝統的な月信仰では、経血は、穢れではなく、神聖なものとみなされていたはずです。

「竹取物語」では、かぐや姫の成長、成人については書くものの、初潮や経血については触れられません。
それに、何かを食べたということも書かれません。
つまり、かぐや姫の身体性が描かれません。

このように、「竹取物語」は、本来の月信仰とは異なる側面を持つにも関わらず、月と地上の清穢の対比を強調する点で、神道の強化された新しい浄穢観を取り入れています。

そして、それを逆手に取るようにして、穢れた貴族社会を批判しているようです。


*このパラグラフの参考書籍
高取正男「神道の成立」(平凡社ライブラリー)


神道の成立2:穢れと祟りの管理


古来から、神は祟るものでしたが、神道の成立によって、祟りは国家的に管理されるものになりました。

当初は、祟りをなすのは、アマテラスなどの神でしたが、次に、皇位継承争いに敗れた皇子などの怨霊となり、菅原道真などの貴族にも広がり、御霊信仰が成立しました。

例えば、729年には、天皇の病の原因がアマテラスの祟りとされ、伊勢神宮における動物の死穢が原因とされ、その浄化が行われました。
同様の事件は、内宮の記録で、9Cには4度も記録されています。

792年には、皇太子の病気が、早良親王(崇道天皇)の祟りとされました。
そして、863年には、最初の御霊会が開かれ、複数の御霊が祀られました。

*「竹取物語」と怨霊封じの関係については、最後のパラグラフで扱います。


竹取物語と仏教


「竹取物語」の浄穢観には、仏教の影響も見て取れます。

「竹取物語」のネタ元の一つに、大乗経典の「月上女経」があるとされています。
この「月上女」というのは月の女神ではなく、月より美しく輝く女なのですが、最後に、出家を決意して、飛んで仏所へ向かいます。

かぐや姫は、月には「思い」も存在しない清浄なところであると語ります。
そして、天の羽衣を着ると、地上での記憶を失います。

月界を無念、無想の世界とし、それを清浄としますが、これは仏教的です。


また、仏教の影響は、因果応報の論理にも現れています。

「竹取物語」では、かぐや姫は、月の世界(つまり前世)で犯した罪によって、地上に一時的に降ろされたと語られます。
また、竹取の翁のもとに来たのは、翁に功徳があったためであると語られます。

つまり、かぐや姫が地上へ降りたことの理由付けに、仏教の因果応報の論理が使われています。

ですが、その罪や功徳が何であるか、具体的には語られません。
ですから、この物語だけから考えれば、この理由付けは、表面的なものにすぎないようにも感じます。

*渡辺秀夫は、中国神仙伝にも、仙女が罪を犯して地上に降ろされるという物語があると指摘しています。

*政治的配慮から、具体的な理由を隠している可能性もありますが、これについては次の投稿を参照してください。


聖/俗、天/地の媒介と分離


かぐや姫は、天上の者でありながら、地上に降りた者という、聖/俗を合わせ持つ矛盾を抱えています。
かぐや姫の悩みは、ここに生まれます。

かぐや姫は、下降した月の霊力として、地上の者に富をもたらすべき存在です。
竹取の翁には、金をもたらしたし、翁と天皇に不死の薬を残したので、富をもたらす天地の媒介者となっています。


ですが、かぐや姫は、結婚に関して、翁、5人の貴族、天皇の望みを拒否します。
つまり、かぐや姫は、天上の者として、家長権力、社会権力、国家権力を拒否するのです。

かぐや姫は、ここでは、天地の分離のみを示し、媒介者とはなりません。

かぐや姫が、5人の貴族の求婚者に果たした難題は、神仙思想や仏教に関わる聖物を得ることでした。
5人は、それぞれに各種の社会的権力を持つ者ですが、それらは聖なる世界には届かないのです。

天皇に対しては、自分はこの国に生まれた者ではないからという理由で、地上の王である天皇の命を拒否しました。

また、かぐや姫は、天皇の誘いを、宮仕いをしろというなら死にます、と言って断りますが、この真意は、宮仕いをすれば、月の聖性を失ってしまうということです。

かぐや姫が、皇族・貴族社会に対して媒介者とならなかったことは、「竹取物語」のそれらに対する批判を示します。

ちなみに、天皇は天下った存在ですが、地上では不死性を失いました。
ですから、太陽神、天皇は、かぐや姫のように、天地を媒介できない存在です。


ですが、天皇は、かぐや姫を地上の者ではないと知った後も、3年も歌の交換をして誘い、慰め合いました。
この時の関係は、国王として上から命じる関係ではないようです。
これに対して、かぐや姫は心を動かされて半ば恋心を抱くようになりました。

また、かぐや姫は、月に帰るに際して、育ての親に対する情愛も語るようになりました。

つまり、社会的権力とは無関係なところでは、媒介者として、地上的なものに染まったのです。
ですが、これらは、天上の者にとっては、穢れでした。

月に戻る定めのかぐや姫は、この矛盾を抱えた存在として、物忌をしていました。


月信仰との決別と哀惜


かぐや姫は、天皇と翁に不死の薬と手紙を残しますが、記憶をなくし、月の使者によって強引に月に連れ帰られます。

この場面でも、互いの人間的な感情のドラマとしての表現がなされていますが、物語の構造上の本質は、月の霊力の下降と上昇、聖と俗との媒介と分離の表現です。


翁も天皇も、不死の薬を飲みません。

翁の判断は個人的なものです。
ですが、天皇は、大臣などを集めた会議で、これらかぐや姫の残した物を焼却する決定を行いますので、これは国家的な判断です。


かぐや姫が天皇に残した遺物の焼却は、富士山で行われ、その煙はいつまでも上がり続けたと語られます。

当時の富士山は、噴火をする活動的な活火山であり、その煙とのダブルミーニングとなっています。
火山と月は、夜に輝く点で共通するため、月神は火山神でもありました。
かぐや姫の「カグヤ」は月の輝きとともに、「カグツチ」同様に、火山の火を表現しています。

そして、当時の富士山には、崑崙山と同様に竹があり、その上空には、仙女が舞っていると考えられていました。
つまり、富士山は神仙思想の山でした。

*月信仰と火山、神仙思想の関係に関しては、保立道久「かぐや姫と王権神話」を参照


この富士山での遺物の燃焼とその煙がいつまでも上がり続けることは、月神の儀礼の継続を表現するという解釈があります。

ですが、私は、月神信仰との決別とそれに対する哀惜を表現していると思います。
翁も天皇も、不死薬を飲まなかったからです。

哀惜は、物語上では、天皇のかぐや姫への哀惜ですが、これは「竹取物語」の作者の月信仰への哀惜を託したものでしょう。

翁も天皇も、かぐや姫を失った絶望から、不死の薬を飲まないように描かれています。
ですが、これは人間ドラマとしての表面的な理由付けです。

かぐや姫=月の霊力=不死の薬ですから、不死薬を飲まないことは、かぐや姫自身の否定となります。

翁が、かぐや姫が去った後、不死の薬を飲まずに病に伏したことは、月信仰との決別がもたらす影響への、作者からの警告です。


かぐや姫の怨霊封じ


富士での焼却は、月神の儀礼の継続を表現していないと書きましたが、ここには、正反対の2つの儀礼が重ねられていて、強烈な皮肉を表現しています。

天皇がこの焼却を命じたのは「調石笠(つきのいわかさ)」です。

この名は、月神を降臨させる磐座を思わせます。

一般に「かさ」は「笠」の字を当てられることが多いのですが、実際には「嵩」が意識されていると思われます。
漢の武帝が月女神でもある西王母の降臨を願って祀ったのが「嵩山」だからです。(保立道久「かぐや姫と王権神話」)

つまり、「調石笠」による富士の儀礼は、月神の降臨を願う祀りを示しているかに見えます。

ところが、「調石笠」のモデルは、「調使王(つきおお)」だと推測されています。(小嶋菜温子「かぐや姫幻想」)

この人物は、天皇陵を管理する諸陵頭なのですが、桓武天皇の時に、早良親王の怨霊を鎮める役を果たしています。
早良親王は、皇太子でしたが、大伴家持が首謀とされる藤原種継の暗殺に関与したとして、皇太子の立場を廃され自殺しました。
早良親王は 最初の御霊会(863年)で祀られた人物の一人です。

このことは、「調石笠」による富士の儀礼が、かぐや姫を死靈と見なして、(反藤原氏の)怨霊となることを防ぐためのものであることを暗示せざるをえません。
武帝の儀礼とは正反対の、怨霊封じの儀礼なのです。

当時の天皇家は、皇位の継承争いによる怨霊問題を抱えていました。
これは、皇権が、自身の中に反体制的な外部性を抱えていて、それを排除する必要性を抱えていたことを示しています。
これは、藤原氏が他氏を排除することと一体です。
そのため、怨霊鎮めの儀礼が必要でした。 


つまり、「竹取物語」は、この皇権=藤原摂関政治の排除体制を、月信仰の排除と重ねながら、批判しています。
この異質なものを排除する体制は、かぐや姫という異界の媒介者を認めないのです。
そして、煙が立ち続けることは、この排除体制が続くことも表現しています。

同時に、煙は、火山を怒りであり、かぐや姫の怨霊をも表現するのでしょう。


次の投稿では、天皇家にとって、月神が祟り神となった、具体的な歴史的可能性について考えます。

実際に、歴史的に不死の薬(仙薬、丹薬)との決別があったのかというと、これは微妙です。
天武の頃は丹薬を服用していましたが、聖武天皇(在位724-749)や桓武天皇(在位781-806)は、丹薬の使用を禁止するように命じています。
ですが、淳和天皇(在位823-833)、仁明天皇(在位833-850)は、神仙思想に傾倒し、当時の律令に定められた医薬に反して、丹薬(仙薬)を服用しました。
その後は、丹薬の服用を公言する天皇はいなくなりましたが、丹薬、石薬の服用はなくならず、927年の延喜式では、公に丹薬の原料が認められています。

ですが、神仙思想が徐々に衰退したことは、事実でしょう。


まとめ


まず、「竹取物語」は、かぐや姫の地上への降臨と月への復帰によって、月の霊力の下降と上昇、それによる聖/俗の媒介と分離、地上に富をもたらすという、月信仰の本質を表現しています。

ですが、太陽神やその子孫である天皇の下に月神を位置づけることを、拒否しています。

そして、皇族・貴族社会に対しては、かぐや姫が富を与える媒介者となることを拒否しています。

また、国家の神道が月女信仰と決別することを、天皇-藤原体制が異質なものを排除することに重ねて批判し、月信仰への哀惜を表現しています。


付論1:異類の報恩譚とかぐや姫


「竹取物語」には、昔話の異類の報恩譚とも類似した構造があります。

「鶴の恩返し」や「雪女」では、異類を助けると恩返しをされるものの、タブーを犯すことで異類が去ってしまうという物語です。
タブーは、「見るなのタブー」や「言うなのタブー」などです。

「見る」ことや「言う」ことは、言語的な識別を意味します。
ですから、これらの物語は、異界の聖域(無意識や自然の創造性)に、言語的・日常的秩序を持ち込むことで、その創造性が失われることを表現しています。


「竹取物語」では、竹取の翁は、功徳によってかぐや姫を得たとされます。
ですが、昔話のパタンで考えると、かぐや姫を育てたことが恩になります。

では、何がタブー破りに当たるかと言えば、結婚しないと主張するかぐや姫に対して、結婚させようとしたこと、特に天皇からは高い身分を与えるからと言われて協力したことでしょう。
これらは、世俗的な価値のための利己的行為です。

ですが、共犯関係にある天皇は、無理やり、かぐや姫の部屋に押し入って、顔を見て、連れ帰ろうとしました。
すると、かぐや姫は影になって消えました。

これは、典型的な「見るなのタブー」の侵犯と、それによる異界性の消失を示しています。

「竹取物語」では、月の世界を「思いのない世界」と表現しますが、これも昔話が、異界を言語秩序の届かない世界とすることと一致します。


付論2:コノハナサクヤヒメとかぐや姫


かぐや姫は、物語の中で、絶世の美人であるにもかかわらず、自分の容姿を良くないと語っています。
この背景には、コノハナサクヤヒメとイワナガヒメの神話(死の発生譚)があると思います。

かぐや姫の遺物が焼かれたのは富士山でした。
富士山の神はコノハナサクヤヒメです。

冨士浅間神社の縁起譚は、コノハナサクヤヒメとかぐや姫を、同体としています。

古事記によれば、コノハナサクヤヒメとイワナガヒメは姉妹で、父はオオヤマツミノカミです。

オオヤマツミノカミは、降臨したニニギノミコトの妃として二人を嫁がせようとしました。
ですが、ニニギノミコトは、イワナガヒメの顔が醜かったので送り返し、美しいコノハナサクヤヒメだけを妻にしました。

そのため、天皇は死すべき存在となってしまいました。

二人の姫は、次のような性質を持っています。

・イワナガヒメ   =岩:醜:不死
・コノハナサクヤヒメ=花:美:短命


これに対して、かぐや姫=月は、美しさ(輝き)と不死性の両方を象徴します。
つまり、両姫の特長を統合する存在です。

・カグヤヒメ    =月:美:不死

かぐや姫が自分の容姿が良くないと語るのは、断るための方便ではありません。
自分は、イワナガヒメの不死性も持っている、かつて天孫はイワナガヒメを娶ることを断ったではないか、と語っているのです。

「竹取物語」の作中の天皇は、ニニギノミコトが失った不死性を取り戻すことに失敗したのです。


*「歴史の闇に隠されたかぐや姫のモデル」に続きます。


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