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後輩ちゃんの手作りご飯

 先輩の家に押しかけて、ご飯を作ってあげる事にした。
「どうして、君が」
 先輩が住んでいるアパートのチャイムを鳴らし、「せんぱーい」と声をかけ、またチャイムを鳴らし、「いませんかー」と声をかけ、またチャイムを鳴らしたところで扉がカチャリ、ギィと少しだけ開けられて、先輩が顔を覗かせて、「どうして」と、私に疑問を投げかけたのだった。
「先輩が恋人と別れたらしいと噂を聞いて。元気づけてあげようかと」
「なんでどこでそんな噂、いや、別れたっていうか。その」
「別れ話してたみたいだって、先輩のご友人から」
「え? ああアイツか。確かにアイツには喋っ、いや、それより、今はちょっと」
 などと、扉の前に立ったまま会話を交わしていると、隣の方からカチャリギィィと音がして、「あら可愛い子」と言葉が聞こえた。先輩の隣の部屋から、おばあさんが出てきたところだった。
「彼女さんかしら? こんにちは」
「こんにちはぁ。先輩の後輩です。おばあちゃん、先輩のお隣さんですか」
「あら後輩ちゃんなの、学校の? 可愛い子ねえ」
 ありがとうございます、と話していると、先輩が「おい」と短く声をかけてくる。
「あ。すみませんおばあちゃん、私今から先輩の家にお邪魔するところで」
「あら、邪魔しちゃってごめんなさいねえ。私も病院に行かないと」
 いってらっしゃい、とおばあちゃんに手を振って、先輩の方に向き直ると、先輩はなんだかすごく難しい顔をしながら私を家に入れてくれた。
「先輩の家に入ったの初めてです。結構片付いてるんですね」
「……今、取り込み中なんだ。お茶くらいは出してあげるから、それ飲んだら帰ってくれないか」
「いえ、それより私、先輩にご飯作ってあげようと思って来たんです」
「は?」
「元気を出すには美味しいご飯ですよ。私料理得意なんです。台所こっちですか?」
「は!?」
「食材くらいありますよね。私家にある物でパパッと作るってのができる人なんですよ。とりあえず冷蔵庫の中見せてくださいね、何があるかなぁ」
「何を勝手な事、いや、待ておい駄目だ、冷蔵庫、冷蔵庫は、おい!」
 パカッと冷蔵庫を開ける。
「…………先輩、何ですかこれ」
「いや、それは。それは」
「野菜が全然ないじゃないですか! お肉しか入ってない! もう、こんなんじゃあ栄養バランスの悪い料理しかできませんよ、私ちょっと野菜買ってきます!」
「は? あ、ああ」
 私は急いで先輩の家を出る。確か向こうにスーパーがあった筈だ。ここに来る途中で見かけた。……あ、そうだ、先輩に何が食べたいか聞くのを忘れた。確か、先輩はアレルギーも好き嫌いもなかった筈だから何作っても食べられはすると思うけど……ううん、何食べさせたら元気出るかな。
 やっぱり恋人とお別れして落ち込んでいるんだろう、元気ない顔色してたもんな、先輩。
 
 買い物を終え再び先輩の家を訪れると、今度はチャイムを一度鳴らしただけで扉を開けてくれた。
「先輩、ただいまです。野菜買ってきましたよ。それからルーも。カレーにしようかと思って。……あれ、ちなみにお米ってありますよね?」
「え? いや米はあるけど、えっと、いや、えーと……」
 先輩は、何故かきょろきょろと何かを探すように辺りを見回してから、私を、家に入れてくれる。
「良かった、お米の事はすっかり忘れてたんですけど、もしなかったら私スーパーにもう一度行ってこないといけないところでした」
「いや、君……」
「え?」
「君、警察連れてきたんじゃないのか」
「警察? スーパー行ってきただけですけど。野菜買ってくるって伝えたじゃあないですかぁ」
 先輩に笑いかけると、先輩は呆然とした顔で見返してくる。
「さて、じゃあさっそく作っちゃいましょう。お米はどこです? ここかな? ……あっ、あった。……ん、先輩、座って待っててくれていいですよ。それとも手伝ってくれます? ならお米炊いといてくださいよ、私野菜とかお肉切りますから」
「……肉って」
「冷蔵庫のお肉、使っていいですよね?」
 冷蔵庫を開ける。
 中のお肉を見る。
 お肉は、幾つかのパーツに分けられて、冷蔵庫に収められている。先輩が切ったのだろうけど、切り口がなんだか雑だ。無理矢理に切った感じ。先輩って意外と不器用なのかもしれない。
「先輩、人間ってどこの部分が一番美味しいんでしょうね、カレーに入れるなら」
 鶏肉も豚肉も牛肉も使った事はあるけれど、流石に人肉は初めてだ。
「君、一体、何、考えて、それが、それ、それが何だと思って」
「それ? このお肉ですか? 先輩の彼女さん……もう、元カノなんですかね?」
 死体を見るのって初めてです。私はそう言った。
 先輩は口を押さえてその場にしゃがみ込んだ。
「え? 先輩もしかして具合悪かったです? カレーじゃなくてお粥とかにしますかそしたら」
 慌てて私が声をかけると、先輩はゆっくりと首を横に振った。
 んー、これは何の否定だ?
 お粥じゃなくてカレーでいいよ、って事かしら。
「カレー、作っちゃいますよ」
「…………」
「先輩、やっぱり座って待っててください。私が美味しく作っておきますから」
「…………」
 私は冷蔵庫から、お肉を取り出す。
 バラバラに切られて冷蔵庫に詰められた、先輩の元カノさん。
 頭部が一番インパクトがあって気になったけど、なんとなく、太ももが美味しそうかなと思ってその部分を選んだ。
 お米を研いで、炊飯器にセットしておいて、タマネギじゃがいも人参を切っていく……楽しい。好きだなあ料理。
「先輩、具材大きめでもいいですか? 私いつも大きめのごろっとした具のカレーを作るんですけど、先輩の好みとしてはどうかなあって。先輩が細かく切った具の方が好きだったら全然私そうしますし」
「…………」
「何か答えてくださいよぉ」
「君は」
 先輩は、囁くような声で問いかける。
「君は、どうしてこんな事を」
「え? それはだから、先輩に美味しいご飯を食べてもらって、元気になってほしいなあと思って」
「……………………そこに。冷蔵庫に、死体が、あるって、いつ知った」
「知った? 知ったのは、まあ、さっきですかね。野菜買いに行く前。冷蔵庫の中身チェックした時」
 私てっきり先輩は、恋人と普通にフったかフられたかして別れたんだと思ってた。だけど、冷蔵庫を開けると、そこにはバラバラになった死体があった。
 先輩の恋人と、直接お会いした事はない。でも以前写真を見た事はあった。それで顔は知っていた。だから、その死体が恋人さんだって、すぐにわかった。
 あー、「死別」だったかー、と思った。
 とはいえ、フったのでもフられたのでも死別でも、先輩が恋人とお別れした事には変わりない。大切な人とお別れしたら落ち込む。落ち込んだ時には美味しいご飯だ。
 私は、先輩の元カノさんの太ももを、食べやすいサイズに切り分けていく。
 肉に包丁を入れていけば、少しずつ、骨が覗いてくる。
 そういえば、人間の骨って出汁とかとれるんだろうか。豚骨とか鶏ガラみたいに。今度、試してみてもいいかもしれない。
 具材を炒めて、水を加えて。
「私この、灰汁をとるの地味に好きなんですよね」
 じっくり煮込んで。
「そうだ先輩。私カレーのルー辛口で買ってきちゃったけど先輩って辛いの大丈夫、でしたよね? ……ですよね?」
「……辛いの? ああ、うん、平気だよ。食べられる……食べ……」
 先輩の声、やっぱり元気ない。
 美味しいカレーを食べて、元気を出してほしい。
「もうすぐ完成しますからね。後はルーを入れて……」
 
 元気のない先輩を、食卓に座らせる。
 できあがったカレーライスを、先輩の目の前に置く。
「ほら、サラダもあるんですよ! 簡単なものですけど。レタスとトマトで。飲み物はお水でいいですか?」
 先輩は、カレーの皿と私を交互に見ている。
「そんな心配そうに見なくても、ちゃんと美味しいですよ」
 私は先輩に笑顔を向ける。
「可愛い後輩ちゃんの手作りご飯ですよ。さあ、先輩。召し上がれ」
「ああ……」
 先輩は、ゆっくりと、スプーンに手をのばす。
「そうだな。こうなりゃ、もう、いっその事」
 
 先輩が、私の作ったカレーを、食べていく。
 先輩の元カノさんの一部だったものが、先輩に咀嚼され、先輩の胃に落ちていく。
 なんだかその光景は、先輩とお別れしてしまった先輩の大切な人が、もう一度先輩と一緒になるのだと思えるもので、私は、幸せだなあと感じた。
「先輩、美味しいですか」
「料理、本当に上手なんだな君は……ああ、でも、なんか、ちょっと……」
 先輩は、肉をひとつ口に入れ、よく噛んで、飲み込んで、それから小さく呟いた。

「辛いな」

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