見出し画像

産後うつを発症するまでの過程 その3

私の体調はどんどん悪くなってきました。
些細な出来事に涙が出る。
寝不足。
初めて金縛りにあったものこの時期でした。金縛りって本当にあるんです。
目が覚めているのに体が動かないんです。

また、乳児湿疹も長い間ひどかったのでそれもストレスでした。
夜中に顔が痒くて手で擦ってしまい朝には顔が真っ赤でした。
手にミトンをかぶせたり夜痒がる時は気をそらしたり、子供は寝ると体温が高くなるから痒みが出やすいんです。子供の些細な動きに敏感でほとんど寝れませんでした。

汚いものに触れないように気を張っていたり、とにかく当時の私は過敏になりすぎていました。

実家には2か月お世話になり自宅に帰る予定でした。
夫は仕事で帰りが遅いためこんな状態でワンオペする自信もなかったので、週末だけ帰ることにしました。

生後5か月目で完全に自宅に帰ることにしました。

自宅で子供と2人帰りの遅い夫を待つのは辛かったです。
話し相手が誰もいない。。。孤独でした。。。孤独で寂しいと夫に言っても仕事で帰れないと相手にしてもらえませんでした。

また出先で動悸がしたら怖いので、友達とは会わず近くのスーパーに行く位でほとんど家の中で過ごしました。
自分の体調が悪くなって倒れたら、この子はどうなるんだろう?と思うと近くのスーパーに行くだけでも動悸がしたことも何度もありました。

当時の私は『他人に迷惑をかけてはいけない』『かっこ悪いところを人に見られたくない』という人でした。今は何とかなると思えるようになったのですが、私の両親が『人に迷惑をかけるな。恥ずかしいことはしないで』とよく言っていたので染み付いていました。

赤ちゃんと二人だけの時間がどんどん辛くなり夕方が1番嫌いでした。暗くなっていくのが怖かったんだと思います。
どうしようもなく不安でこのまま部屋に居てはどうにかなってしまいそうで
10か月位の赤ちゃんを抱いて当時住んでいたマンションのまえの道をうろついていたこともありました。
動悸以外の症状も次第に出てきて、胃のムカムカ、吐き気、気分の落ち込み。。。朝目覚めて気分がいい日なんてありませんでした。
今は忘れてしまいましたが当時書き出した症状は10個位あったと思います。

ある朝突然テレビが見れなくなりました。小さいころからテレビが大好きで1日中テレビをつけぱなっしにしていた自分が、画面をみると頭の中がグラグラしました。たった1つだけ見れたチャンネルはNHK総合でした。初めてNHK受信料を払う意味を見出せた瞬間でした。

自分は何かがおかしい。どこかがおかしい。
いろいろな科を受診しました。
循環器で1日ポータブルの心電図をつけて生活をしたこともあります。
この時は動悸の症状が出ませんでしたので特に異常なしとの結果でした。

産後の症状だからと産婦人科にかかりました。(子供を産んだところとは別のところです)
この頃になると日に日に症状も酷くなっており、婦人科の予約時間まで駐車場で待っていると足がガタガタ震えました。震えが止まらないので言うことをきかない自分の太ももを思いっきり何度も殴りました。

もうこの症状をどうにかしてほしい。この病院で診断を下してもらい薬が欲しい。すがる思いで受診しました。しかし婦人科でははっきりした診断は出ず、不安を和らげる漢方が院内処方されました。
カ、カンポウ??
和らげるんじゃなくて治して!!

愕然としている私に医師が『心療内科にかかってみては?』と言ってきました。とにかく今日で決着をつけたかった私は病院を出た足で心療内科に向かっていました。

つづく


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?