見出し画像

祖母が亡くなった日①


朝6時の電話

2022年8月末の休日、朝の6時過ぎに電話が鳴った。
固定電話からの着信、休日なので普段なら気が付かず寝ていそうな時間だったが、
すぐに気づいて電話に出た。
祖母の入居している介護施設長からの電話だった。
「本来なら娘さんであるあなたのお母さんに伝えるべきなんだけど、
 何度かかけても出ないから、
 このままお孫さんのあなたに伝えてもいいですか」
そう気遣ってくれた時点で、良くないことが起こったことを察した。

「おばあさまが、今朝方息を引き取りました」

とにかく早く行かなきゃ

「ああ…そうですか。分かりました、すぐ行きます」

そう重く返事をして、施設長からの電話を切った。
そしてそのまま弟に電話をした。


ちなみに弟は県外に住んでいるのだが、休日はよく実家に帰ってきている。
私は実家から車で15分くらいのところに住んでいるので、一緒に来て欲しいと頼みたかった。

朝6時過ぎで寝ているかと思ったが、弟は電話に出てくれた。

「ばあちゃんが亡くなったって。今から一緒に介護施設に来られる?」
そう言うと、
「分かった…シャワー浴びてからなら」

(え?シャワー浴びるのは確かに身だしなみとして大切かもしれないけど、身内の死を前にシャワー優先か?)
そんな気持ちをグッと堪えて、
「分かった。じゃあ早く浴びて連絡して。私も実家に行くから」


私も寝巻きから最低限の服に着替えて、家を出る準備をしていた。
すると弟から電話が。
私「シャワー浴び終わったの?」
弟「いや、親父が朝飯食ってから行けって言うから、まだ浴びてない」


ここで私は静かにキレた。
「あのさぁ、朝飯食ってけって、そんな状況かな?とっととシャワー浴びて支度してよ。私が一人で行けばいいって思ってる?一人で行けないから一緒に来てって言ってるんだよ」

それを聞いた弟は、
「はい、すいませんすぐ支度します」
と姉の怒りを素早く回避するように電話を切った。


私が大袈裟なのか、家族がおかしいのか


後日談だからまだ笑い話にできなくもないが、この時点でどいつもこいつもだなと思っていた。
理屈で考えると、もう亡くなっているなら急ぐもなにもないってことなのか?
しかし私にはそれが全く理解できなかった。
父は、今日は長丁場になるだろうからご飯を食べてから行けと、息子を気遣ったのかもしれない。
でもさ、一日くらい食べなくても死にやしないよ。
育ち盛りのピークは過ぎた23歳の男だよ。

それより、コロナ禍で面会もできず、一人静かに亡くなっていった祖母を、いつまでも一人で待たせる方が悲しくないか?
こういう時は一刻も早く駆けつけるべきではないか?
「べき」の前に、早く駆けつけたいと思わないのか?
これはただの感情論なのだろうか。

私に理解者はいるのだろうか。

そんなことを言い出したら暗くなるので、とりあえず目の前の状況に向き合って、急ごう。


祖母との再会

コロナ前は月に2度くらい介護施設に遊びに行っていたが、コロナ禍で面会ができなくなった。
少し緩和されてからは、月に1度だけ、3mくらい先にいる姿を見るだけだった。

そんな状況が続いていた中での知らせ。
やっと近くで会えて握れた手は、最初はまだ微かに温かかった。
それなのに、数十分でみるみる冷たくなっていくのが悲しかった。

設定温度16度の冷房が効いた部屋で、死亡届を書いてくれるお医者さんを待っていた。
午前8時、死亡届に書かれた時刻。
亡くなったのはきっと午前6時前なのに、書類上では8時まで生きていたように見えて不思議だった。
2時間長生きしたことになってるよ、良かったね、ばあちゃん。
気持ちを紛らわすために、心の中でそう思った。


そしてそう、こんな大切な場面に立ち会ったのは、私と弟だけ。
父も母も来ない。
当たり前に、孫だけがこの問題に向き合っていた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?