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僕の見えてる世界〜Nikon f401s〜

カメラに興味持ったのは、スマホのカメラに疑問を持った時。それと当時付き合っていた子を綺麗に写したかったから。
だから僕のカメラへの目覚めはそのくらいの熱量、一眼レフというのを適当に見繕って、買って満足していた、宝を持ち腐っていたのだ。覚束ない技術だった、今もそうと言われればそう。でも過去の自分じゃ絶対に撮れない物を今は撮れる、そればかりは胸を張って言えること。同時にすごく過去の物にも興味が湧いた、

カメラ屋さんで買った写ルンです。奥ゆかしい気持ちになる、昔をなぞるような質感の写真をとって、現像するまでどんな写真になるかわからない、おもしろすぎる。

フィルムカメラに目覚めた時、カメラのこういった側面に惚れていた。
ある時、曾祖父ちゃんがカメラを持っていると聞いた、昔のカメラかあ、と思った。それを譲り受けた時に走った衝撃、古いカメラ、それは綺麗に保管されていて、時代を超えて会いに来てくれたんだね。電池とフィルムをすぐに入れ替えてみた、軽くシャッターを押すとウィィィンという音を立ててフィルムを巻き上げる。

子供の頃、何度かあった事のある物静かな夫婦、ソファに腰を掛けてテレビをみている。僕の曾祖父だと言う。程なくしてそのソファにはじいちゃんとばあちゃんが座ることになった、だから曾祖父の印象はそのくらいなんです。

「曾祖父はカメラと珈琲が好きだよ」
父が言う。

ああ、僕のルーツは貴方なんですね。

珈琲もカメラも不思議な縁で繋がっただけのものだと思っていた、それが違うと知ったのは、曾祖父の大切に保管されていたカメラや珈琲の道具達を譲り受けた時だった。それは新品と言うまでにはいかないにしても、とても綺麗に大事に置いてある物達だった。Nikonのフィルムカメラに手を合わせた時、こんなにもフィットするものなのかと、感動が収まらなかった。まだ動くそのカメラで僕は自分の世界を撮ろうと思うまでに時間はかからなかった。



桜の季節、すぐに桜へと車を走らせた。
少しの接写気味。
上部分の光と下部分の黒が、中の桜を際立たせる。
緑のフレームに少しの桜、少しハートにも見えるかも。


フィルムも電池を一新、現像できるかも怪しかったけど、作品達が気持ちを攫っていった。


公園を歩く、色の出方がノスタルジック。
橋を続けて撮る、どこに続いてるんだろう。みたいな?
橋の柵から、水の上を走るキラキラを。


自然も人工物も、交わってその世界の良さが出る。
僕の見解でしかないけどね。笑


フィルムといえばみたいなホームフォト。
カーテンの間から柔らかな光と手つかずな枯れ葉。
その下の光がまたとないくらい好き。
枯れ葉に隠れた「われもの注意」


古く映る。これが僕にとって大切で、この映り方の光の差し方からしか感じない「モノ悲しさ」がある。


春の訪れ。


現像してもらってる時間、本当にドキドキした、古いカメラだし壊れていてもおかしくない、だけど試さざるを得なかった、それほどに僕の衝撃は大きかったのだから。

ねえ、曾祖父ちゃん、僕は貴方の道具を使っています、貴方がこれで何を撮っていたのかはわかりません。でももし僕と似たものでも撮っていたら、僕はやはり貴方の血筋なんだと思います、僕の「好き」を守って繋げてくれてありがとうございます。

この意志は、僕の宝みたいなものです。

珈琲もカメラも。

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