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最初のバケットリスト

私の最初のバケットリスト。
3年前からしてみたかったことのひとつ。留学をすること。

行き先は、韓国。
3年前から韓国語の塾に通い始め、勉強していた私は
もっと語学を極めたい、新しい場所で視野を広げたいと決断し
韓国の大学にある語学堂の申請ページをクリックした。

人は人によって、慰めを受けるというが私はそうではなかった。
むしろ人という存在を憎み、時には信頼するという事が怖かった。

私の家庭は、一般的な家庭ではない。
両親も兄弟もいるが、兄弟間に会話は一切ない。
周りには、姉とよくショッピングに行くだの、〇〇を買って貰ったなど
よく聞くが、私には経験したこともない遠い話だ。
そう、特に私は姉と仲が悪いのだ。
物心ついた時から、会話はなくどうしてそうなったか理由も分からない。
無視をされ、気に入らないことがあると聞こえるような声で、嫌味を言い
大きな物音を立て、不快感を表した。

両親も、私がなにかをしたいと言うと「お前には無理だろう。」
何かを成し遂げたり、学校に合格しても褒めるという事はしなかった。
私は、両親の否定から入る会話が幼い時からものすごく嫌いだった。

なぜ、親なのに我が子の成功を喜んであげないのだろう?
我が子の望むことを、信じて見守ってくれないのだろう?
私の頭の中は常に、クエスチョンマークだった。

最初に新卒で入社した会社が、あろうことかブラック企業で私は
うつ状態まで追い込まれた。極端な選択も試みた。
外に出るという事自体が嫌になり、家にひきこもっていたそんな時も、
父親は就職はしないのか?家に、お金はいれないのか。
傍にいてくれるどころか、突き放した。

結果、大喧嘩をし、今も何年も口をきいていない。

家にいるという事自体が、私の苦しみになり
家族という存在が私には重かった。

誰かの視線に怯えたり、気を使うことなく
新しい場所で自分の好きなことをしたかった。

再就職し、お金を貯め、留学した。

韓国行きの飛行機に乗り、飛行機が離陸した瞬間
涙が止まらなくなった。

嬉しさと解放された喜びと、不安や悲しみや
複雑な感情が入り交じり、隣の人に気づかれないよう
声を押し殺して、涙をぬぐった。

私は思う。逃げることは決して悪ではないと。
自分の人生なのだから、逃げてもまた戻ってくればいいし
他人が何を言おうが、自分の人生の責任なんかとってくれない。
ならば、時には逃げてもいいと。

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